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【小説】白い世界を見おろす深海魚 63章 (地下にあるカフェでのヤマシタの話)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって追い出される。諦めて会場をあとにする安田の元に騙されてセミナーに出席した男が近づき、これまでの経緯を話すことを告げられる。

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63

 会場にいた人間と鉢合わせすることを避けるため、ぼく達は新宿駅の東口に向かって歩く。
 歩きながら、太った男は携帯電話をポケットから取り出して眺める。
「さっき、君と話していた娘だよ」と、男は着信音の鳴っている電話をそのままポケットにしまった。

 歌舞伎町の近く。古いビルの地下にあるカフェに入った。十畳ほどのスペース。テーブルはスーツ姿のサラリーマンらしき人たちで、ほとんど埋まっていた。
 気だるそうにメニュー表を持ってきたウェイトレスに注文を済ますと、男は自己紹介をはじめた。
 名前はヤマシタといって、都内の住宅販売会社に勤めている。素性を明かしてもらうと、偽名を使っていることに気が引けた。本名を明かそうと思ったが、念のために“田中”のままでいることにした。ただ、会場に潜入した理由は偽らない。個人的な興味で原稿を書くためであることを話した。

「仕事はマスコミのようなことをやっているけど、原稿を書いたことはないんですよ。ヤマシタさんと同じ営業職です」

「どおりで……ぼくへのアプローチの仕方が下手だと思ったよ。取材記者なら、もっと自然に近づいてくるような気がするんだ」

 ヤマシタはコーヒー・フロートをストローでかき混ぜながらニヤついた。少し腹が立ったが、まぁ事実なのだからしょうがない。

「実はぼく、学生の頃に一度、ネットワークビジネスをやっていたことがあるんだ」

 ぼくは手に持っていたコーヒーカップを置いた。
また、このビジネスをはじめるつもりだったんですか?

 彼は小さく首をふった。頬にたっぷりと付いた肉が震える。

「それなら、なんで……」

「単に騙されただけだよ。飲み会があるって言われて、行ってみれば……まさか、ネズミ講の勧誘だとは思わなかった」と苦笑する。「この商売で痛い目に遭っているからね」
 大きく息を吐く。強い風圧が手の甲にかかった。

「ちょうど親がやってる会社の経営が厳しくなって、仕送りが半分になったときかな。ゼミで知り合った男に誘われたんだ。またそいつが明るくて、いいヤツに見えたんだよ。ぼくの趣味の話にも興味を持っているような素振りで聞いてくれたし」 と、しかめっ面を受かべながら、スプーンに着いたクリームを舐めた。

「ビジネスの内容は美容化粧品の販売だったんだ。主に男性用の。ぼくのいた大学は書いた論文の数よりも、抱いた女の子の人数を競うバカばかりだからね。モテたいヤツがよく引っかかるって誘ってくれたんだ。そいつは学生食堂にいた我が物顔でデカい声で喋る連中を指差して言ってた……」

 ヤマシタは会場でやったように、肘を立てて親指で後方を指した。

「『こういうバカなヤツらのせいで大学の質が落ちているんだ。就職のときに困るのは真面目に勉強をしてきた俺らだぜ? 悲しいけれど、学生個人ではなく大学名で内定を出す企業がまだまだ多いからね。どうしようもない……クソみたいな現状だ。でも俺らが泣く前に、ヤツらを食い物にしてやるのも面白くないか?』そうやって誘ったんだ。ぼくは女に縁のない大学生活を送っていてね。女を連れて、何も考えずに遊んでいるカラッポなヤツらを見返してやりたいって気持ちがあったよ」

「……で、入会したんですね」
 ぼくの質問に、ヤマシタはうなづいた。

「最初は面白いくらいに売れたんだよ。でも、それはひっかけだったんだ」

「ひっかけ?」

 ストローをテーブルの上に置くと、ポケットからタバコを取り出した。

「ありきたりのね。最初にぼくが売った人達は、実はネットワークビジネスのメンバーだったんだ。それを当初、ぼくは自分の力で儲けることができたんだと思い込んでいた。だから、欲がさらに大きくなって……もっと頑張れば、さらに売れるものだと思い込んでしまった。二度目からは、商品を取り寄りよせる量を大幅に増やしたんだ」

「大量に購入したけど、次は誰も買ってくれない。入会費、商品購入費と多大なコストをかけたヤマシタさんは勧誘に躍起になる……という仕組みですか?」

「そうだね。高校の同級生、大学のゼミ仲間、バイト先の先輩。とにかく営業しまくった。その結果、ぼくの周りからたくさんの人が離れていったよ

 塩崎さんの顔が頭に過る。一緒に食べたグラタンの味が口の中でよみがえり、胸の奥に突き刺さるような痛みを感じた。

「一人だけ指摘してくれた友人がいたんだ。それまで気づかなかったんだよ。自分は騙されていたことに
 彼はタバコに火を付けて、腹を膨らませて煙を吸い込んだ。

「当時、就職活動の間際でね。学校に訴えることも怖くてできなかったよ。結局は泣き寝入り。もうあれ以来、こんなことをしないって決めたはずだったのに……でも、まさか、また誘われるハメになるとはね」
 自嘲する顔でタバコをもみ消した。茶色いプラスチックの灰皿にから一筋、煙が上がる。

「さっき、会場で君と話していた女性。彼女とはインターネットで知り合ったんだ。ぼくみたいなデブに近づいてきたからおかしいと思ったよ。ぼくは……」
 太い首の上に乗っかった頭を横に振る。

「何もしないで女性が寄ってくるほどの男じゃない」

つづく

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#創作大賞2023

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。