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【小説】白い世界を見おろす深海魚 56章 (卑俗の人々への殺意)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索していている安田にクライアント先であった企業のマルチビジネスの会員となっていた塩崎から色仕掛けのような勧誘を受け、人間不信となる。

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56

 青田さんは相変わらず愛想がいい。人懐っこい笑顔を近づけては来るが、それはどこか表面上のことのように感じられるようになってきた。以前のようにお互い照れくさい関係を押し隠したものではない。あのときの誘うような素振りなどなかったかのような振る舞い。

 上山が取材している間、青田さんといつものように今後の企画と予算を相談した。彼女は書類に目を落としたまま、淡々と仕事を進めていた。

 キャバクラで、斎藤さんの誘いを拒否したからだろうか。もうメンバーになる見込みがないことを知って、距離を置くことにしたのかもしれない。以前のキスも単なる色仕掛けなのだろう。そんな考えが浮かぶ。悲しみと怒りが混ざりあった感情が胸の奥で渦巻いていた。青田さんも塩崎さんも、信用してはいけない女性だ。

「安田さん、ちょっとぶっちゃけ話をしてもいいっすか?」
 キャスト・レオの帰り道、上山は視線を自分の足下に向けて、こんなことを喋り出した。

「ん? なに?」
 ぼくは大して興味も持たず聞いた。会社に帰った後、パンフレットの修正案をどのようにして作り直そうか思考を巡らせていたから。

「いや、言いづらいことなんですけどね」

 言いづらかったら言わなきゃいいのに。面倒くさいヤツだ。本当は言いたくてしょうがないのだろう。ぼくは彼の言葉を聞き流すつもりで「なんだよ、言ってみろよ」と促した。

「いやぁ、誰にも内緒にしておいてくださいよ」
 彼は笑いながら頭を掻いた。

 イヤな顔つきだった。黒目が見えなくなるくらいに目を細めて、両頬をつり上げていた。半開きにした口からは少し黒ずんだ前歯がのぞく。

「実はですね、俺、昨日塩崎さんとヤッちゃったんですよ」

 頭の中の企画が全て消えた。耳鳴りが強くなり、頭に響く。

「ヤッちゃったって……なにを?」
 分かっているクセに、聞いてしまう。なんらかの間違いであってほしいという想いを抱きながら。

「決まっているじゃないですか。エッチですよ」

 上山は肘でぼくの脇腹を突いてきた。彼の口から発せられた「エッチ」という言葉は、この世でなによりも醜悪なものであるように感じた。胸の中でざわめきが起こる。こめかみが脈打ち、怒りと悲しさで目の表面が乾く。

「実は……塩崎さんは、キャスト・レオの一員になっていたんですよ。ビックリでしょう? それでね。昨夜、呼びつけられたと思ったら入会を誘われたんですよ。『一緒にメンバーになって金を稼がないか』って」

 今度は空をあおいで大きな笑い声を出した。堪えきれられず、本当におかしくてたまらない、といった様子だった。

「だから、ぼくは『一回ヤらせてくれたらいいですよ』って条件を持ち出したんです。そしたら彼女、本当にラブホでヤらせてくれましたよ」

 ぼくは奥歯を噛み締めた。彼の下品な笑いが耳の奥にまで流れ込んでくる。こめかみが激しく脈打っていたが、強く握った手の行き場はない。

「俺、ヤリ終わった後で断りましたよ。『あんなインチキ商売のメンバーなんか入らない』って。だってそんなところに入ったら友達を失っちゃうじゃないですか。その断ったときの塩崎さんの顔。笑えましたよ。まるでこの世が終わったかのように青ざめていましたからね」

 握りこぶしにさらに力を入れる。手のひらに爪が突き刺さる。その痛みがぼくをギリギリのところで正常に保たせた。

 彼は大袈裟な笑いで、一緒に笑うことを求めてきた。

「そうか……それは、ラッキーだったな」
 ぼくは無理やり笑顔を作った。殺したいほどなのに。

 怒りを上山にぶつけることができたら、どんなにいいだろう。でも、できなかった。彼を殴ることも罵倒する勇気もない。ただ、顔を見ないようにして足を速めただけの自分が情けなかった。

つづく

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#創作大賞2023

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。