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【小説】白い世界を見おろす深海魚 61章 (嘘とウソ)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入する。

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61 

 話が終わる。
 しばらくの間、拍手が鳴り止まなかった。周囲を見渡すと、高岡社長に羨望の目を向けている者が何人かいる。
 ただ、隣の太った男性は退屈そうな表場をしていた。ポケットからガムを取り出し、ゆっくりと噛みはじめる。この男は、どういう過程でこの会場にやってきたのだろう。誰かに誘われたのだろうか。  聞いてみようか。社交的ではないが、押せば話してくれそうな、気弱な人間に見えた。

 先ほどの真っ赤なレディーススーツの中年女性が再び壇上にやってきて、10分間の休憩を挟んだ後で詳しいビジネスシステムを説明をすることを告げた。後方で立っていた会員が、前の席に座っているカモに笑顔で近寄る。室内は多くの会話が行き交い、騒がしくなった。
  それに乗じて、ぼくは隣の男性に話しかけてみた。
「こんにちは」
 あいさつをすると、男性は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにぎこちない笑みを返してきた。
「さっきの社長のお話、どう思いますか?」
 きっかけとして感想を聞いてみた。
「うん……なかなか良いビジネスだと思うよ」と顎に手を当てる。
 適当に言っただけだけだろう。ためしに「どういうところが?」と聞いてみると、男は「いや、だから……」と、口ごもった。
 待っていても、その答えは出そうにないので「このセミナーには、誰かに誘われて来たんですか?」と質問を切り替えた。
「うん、パーティーで知り合った人にね」
 ほら、と彼は親指で後方を差した。その先には白のカーディガンにロングスカートを履いた若い女性がいた。大きな眼と、ゆったりと広がるパーマをかけた黒髪。きっと彼女はキャスト・レオの人間だろう。
 もっと詳しく聞くために、場所を変える必要がある。
「この後で、お時間ありますか?」
 そう言うと、彼は戸惑いの表情を浮かべた。
「なんで?」

「なんの話をしているんですか? わたしも混ぜてくださいよ」

 突然、彼がさきほど指差した女性が、ぼく達の間に入り込んできた。腰を曲げて視線を合わせる。舌ったらずな甘い口調だった。口を横に広げて満面の笑みを浮かべていたが、目の奥には突き刺さるような嫌疑の光を宿している。
「セミナーの感想を聞いていたんですよ」
 ぼくはできるだけ軽い口調にした。
「先ほどの方、本当に為になる話をしてくださいますね。なのに冗談も面白くて、腰が低いところが凄いなぁ……って」
とりあえず壇上にいた人物を賞賛しておいた。そうしておけば、悪い印象は与えないだろう。
「ありがとうございます」
 女性は、ぼくの手を握った。ラベンダーの香りが鼻をなでた。太った男はあからさまに不愉快な表情を浮かべる。
「ところで……ええと、お名前は?」
女性は無邪気な表情を向けてきた。
「あぁ、田中っていいます」
 瞬時に考えた偽名を口にした後で、あまりにもありきたりな苗字であることに後悔した。
「田中さんっ。よろしくね」と、女性はさらに手を強く握る。
「ところで……」
 彼女は、顔を近づけてきた。大きな目がぼくを捕らえる。
「田中さんは、どうしてここに来たのですか?」
 どうして……って。
 彼女の言葉の意味に気づき、握られていた手から汗が吹き出てしまった。

  ぼくは、疑われていることに気づいた。

つづく

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