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【小説】白い世界を見おろす深海魚 73章 (死んだ街の住人)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって、これ以上の詮索を止めるよう脅しを受ける。
だが、恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。
安田は業務の傍ら悪事を公表するため、記事を作成し山吹出版に原稿を持ち込んだ。


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73

 忘年会は、予定よりも遅れて開始された。

 就業時刻に近づいてきたとき、あるクライアントが年始に出す社内報の修正を求めてきたからだ。どうやら、社長の年頭挨拶の一部に誤りがあったらしい。
 人事部長の意見で、オフィスに残っている制作チームが来るまで乾杯を待つことにした。年齢の近い社員と無駄話をしていると30分ほどで、制作チームがやってきた。会場に入ってきて開口一番、社員の「申し訳ございません」という謝罪。せっかく緩み始めた空気が再び引き締まった。こんな状況のなかで忘年会が開始された。

 社員の平均年齢が29歳の企業のためか。食べるスピードが早かった。次々と冷めた料理が減っていく。
 年末のボーナスなんて、わずかにしか出なかった。そのくせ会費は6,000円もする。食べられるだけ食べて、少しでも元を取ろうという考えもあっただろう。
 幹部陣が集っている席からは、大きな笑い声が聞こえていた。顔を真っ赤にした副社長がビールを注いでまわる。
「厳しい時代だけど、来年も“攻めの営業”で頑張ってね」と言われた。激励にも脅しにも聞こえて、緊張が身体を走った。
 同じ部署の先輩社員から、仕事に対する熱い想いを延々と聞かされたせいで、ぼくはほとんど飲み食いができなかった。帰りの電車で、空腹を感じる。ミユのところに行く前に、なにか食べていくことを考えたが、すでに夜の0時を回っていた。これ以上、彼女を待たすのも悪い気がした。

 駅に着くと、ミユはコンビニの小さな袋をぶら下げながら改札口のそばで立っていた。

 ル・プランは正式に解散したというが、他のメンバーはどこへ行ったのだろう?
 パーティーといっていたが、他に誰もいないのだろうか?

彼女と夜道を歩きながら考えた


 その2つの疑問を今、ミユに訊いて良いことなのかどうか迷った。
 商店街は、不安になるほどの濃い闇が支配していた。頼りない外灯が空っぽの死んだ店を照らしている。遠くで爆竹のような破裂音が響き、空家の側では混乱したコウモリが羽根をばたつかせていた。若者たちの大きな笑い声。そのすぐ後で、サイレンが鳴る。
 シャッターのスプレーのラクガキが以前よりも酷くなっていた。外国の映画で観るような色彩豊かな凝ったイラストはなく、数秒あれば書けてしまえそうな卑猥な記号や罵詈雑言ばかりだった。
 女性が通るにはあまりにも危険に感じる道にも、ミユは平然とした足取りだった。ぼくと一緒だからだろうか。いや、多分、彼女は一人でもこの夜道を歩いてしまうのだろう。怯える様子もなく、視線を前に向けたまま。

 巨大な排気音を出す大型のバイクが2台、前からやってきた。緊張で足取りが重くなる。少し迷ってから真ん中を歩くミユの手を握り、端へ連れていく。強いライトが不遠慮にぼく達を照らす。相手の姿は逆光で見えない。バイクは鼓膜に痛みを与えて通り過ぎていった。

 握ったミユの指先が動いた。人差し指の腹の部分で、ぼくの手の甲を叩く。細く、柔らかい指先がくすぐったい。叩くリズムは一定の間隔で、それは何かのまじないのようだった。
 店の側まで行くと再び人と出くわす。二つの影。大きいものと小さいもの。身を隠すように暗闇に溶け込み、近づくまで全く気づかなかった。
 2人は店の入り口を覗きこむようにして腰を屈めていたが、ぼくたちに気づいたようで、素早く首を動かして振り向いた。見開いた4つの眼。怯えと図々しさをいやでも感じてしまう視線の持ち主は、中年の女性と小学校低学年ぐらいの女の子だった。親子だろうか。眼とむくんだ頬の形がよく似ていた。母親らしき人は舌打ちをした。着ていたナイロン製のジャンパーを音立てながら、子供の手をひっつかんで早足でその場を去った。
 なんだったのだろう。
「誰?……」
 彼女達の去った方向を指差して、ミユに聞いた。
「知らない」と彼女は肩をすくめた。
「たまに来てるのよ。夜の間、ずっと2人でこの界隈を歩き回っているの。たまにあの女の子、大きな声を出して泣いているわ」
 彼女たちが置いていったものだろうか。入口にスーパーマーケットのロゴが印字されたビニール袋が置かれていた。布のような物が詰め込まれている。ミユは足でそれをどかして、ポケットから鍵を取り出した。
「扉、押しといてくれる?  古いから開けづらくなってるの」
木製の扉を押すと、少し持ち上がった。彼女はぼくの顎の下に頭を近づけて、ドアノブに鍵を刺した。柔らかい匂い。微かな息づかいと重なって、シリンダーの奥から金属音が聞こえた。

つづく

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