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【小説】白い世界を見おろす深海魚 71章 (淋しい区画の古びたビル)



【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって追い出される。諦めて会場をあとにする安田の元に騙されてセミナーに出席した男が近づき、これまでの経緯を話すことを告げられる。話を聞こうとするが、彼の行動を怪しんだ会員が跡をつけて拉致。これ以上の詮索を止めるよう脅しを受ける。
恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。
安田は業務の傍ら悪事を公表するため悪戦苦闘しながら記事作成をする。


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71

 緊迫したオフィスの空気も、今年最後の業務を終えた部署から緩みはじめる。

 営業部も忙しさが一段落すると、お歳暮を持参してクライアント先を回る慣例が開始される。今年はヨックモックのクッキーの詰め合わせらしい。部に届いたときには、すでに包装紙に包まれていたため中身は確認できなかった。

 大量の紙袋をぶら下げながら、寒波が押し寄せている都心を歩く。

 鼻先が冷え、つま先がかじかむ。でも、仕事の打ち合わせに行くわけではないから気楽だった。担当者に手渡して「来年もよろしくお願いします」と頭を下げるだけでいい。

 移動途中で、事前に連絡しておいた山吹出版に立ち寄った。もうすでに、ぼくの書いた原稿は届いているはずだ。

 その出版社は人通りの少ない通りにあった。老舗の薬品会社と繊維メーカーの間にある薄汚れたビル。辛うじて動いている小さなエレベーターで3階の受付に行くと、くすんだピンク色の内線電話が置かれていた。担当者の番号を押すと「あぁ、どうも。右手に白い扉があるでしょう? その中で待っていてください」と、男性の声が聞こえた。

 部屋は何千人と座らせてきたくたびれたソファーとガラス製の灰皿が置かれたテーブル、それと偽物の観葉植物が置かれていた。タバコのヤニで黄ばんだ壁のニオイを嗅ぎながら10分ほど待つと、担当者らしき人が入ってきた。歳は四十代後半だろうか。短く刈った白髪まじりの髪。幅の狭い楕円形の眼鏡をかけた男だった。ワイシャツを第二ボタンまで開けていて、Uネックのシャツと頼りない胸毛を覗かせていた。

「どうも初めまして」

 男は名刺を差し出した。名刺には『株式会社 山吹出版 アリシア編集部 デスク 田岡啓造』と記載されていた。

「さっそくですが、原稿を拝見しました」
 田岡さんは笑った。社交辞令上の笑いなのか、稚拙な原稿の中身に対する笑いなのか。

 ぼくも作り笑顔を浮かべる。

「率直に言いましょう」
 彼は手に持っていたクリアファイルから、ぼくが書いた原稿を取り出した。

「最近、勢力のあるマルチの勧誘方法が分かって非常に興味深い記事でした。次号の記事に空きができたので、そこへの掲載を考えています」と、早口で言葉を並べた。

「ただ……少しばかり、文章を書き換える必要があります。よかったら、安田さんの記事の内容だけいただけませんか? こちらで書き直したいのですが……。もちろん、ネタの提供ということでわずかばかりですが、お礼を差し上げます」

「どうですか?」と、田岡さんは細めた目で、ぼくの顔を覗き込んでくる。

 テーブルに置かれた原稿を見ると、オレンジ色の蛍光ペンで囲まれている文章が何カ所かあった。おそらく、この原稿で使えるネタの部分なのだろう。

「あの、よければ書き直させていただけないでしょうか?」

 その言葉に、田岡さんは眼鏡の上にある眉を微かに上げた。

「おこがましいのですが、私は自分で記事を書きたいのです。そのための時間をいただければと思っております」

 両膝に乗せた手のひらから汗が吹き出た。わがままな要望だとは分かっている。雑誌の編集は、そんな悠長なことを言ってられないことも。でも、自分で書いた記事を何としてでも掲載したかった。それが、ぼくの考えているキャスト・レオと塩崎さんに対する一つのハッキリとした形だと思っている。

 田岡さんは口元を手の平で摩った。

「なぜ、自分で書きたいのですか?」

「私は記者を志望しています。誰かの言葉ではなく、自分の文章で読者に伝えたいのです」

 そう言った後で「できれば、指導していただければ……」と、あまりにも図々しい言葉を続ける。

 田岡さんの顔をまともに見られなかった。驚いているのだろうか、それとも怒っているのか。

 詳しい事情を言っても、しょうがない。理解もしてくれないだろう。だから、ジッと膝の上に乗せた自分の両手を眺めていた。

 しばらくの無言の後、微かな笑い声が聞こえた。顔を上げると、人差し指で眼鏡のブリッジを持ち上げながら口を横に広げている。

「ここはジャーナリスト養成学校じゃないのですよ。でも……」

 ため息をついた後「まぁいいでしょう。少しだけなら指導させていただきます。手取り足取り教えるわけには行きませんが、ちょっとした校正ぐらいはできますよ。それでよければ……」

「本当ですか?」
 彼の言葉に礼を言う。ぼくが書いた原稿が雑誌に載るのか。

「私も他業種からマスコミに憧れて、出版業界に飛び込んだ人間です。ここの人間に編集を教わってきたので、安田さんの気持ちは分からなくもないです」

 田岡さんは「では、この原稿に アカを付けてお返しいたします」と立ち上がった。ぼくは再び頭を下げた。


つづく

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#創作大賞2023


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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。