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(小説)白い世界を見おろす深海魚 26章

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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26

 約束の時間の三分前に、ぼく達は目白駅の正面出口に着いた。

 ぼくはボストンバッグ、塩崎さんはトートバッグを肩からぶら下げている。中には運動するための着替えとシューズが入っている。電車の中で聞いたことだが、塩崎さんはバスケットボールの経験があるらしい。中学生まで部活をやっていて、センターという位置にいた。ほとんどやったことのないのは、ぼくだけなのだろう。恥を掻くことは目に見えていた。
 上山は少し遅れてやってきた。白いワゴンアールが目の前に停まり「お待たせしましたー」と窓から顔を出す。車内のスピーカーからは、ダンス・ミュージックが流れていた。中に入ると助手席に昨晩会ったミユがいた。後部座席では、上山の友人らしき人物が窮屈そうに長い足を折り曲げていた。「こんにちはー」と白い歯を見せる。

 ぼくと塩崎さんは頭を下げて、車内へ入るとココナッツのニオイがした。学生時代に見たことがある大麻の形をした芳香剤がバックミラーに取り付けられている。

「タカやんの会社の先輩なんですよね。なんか仕事できそうな感じですねー」

 タカやん……とは上山のことだろう。いきなりのお世辞に塩崎さんは「そんなことないですよ」とかぶりを振る。「ねぇ?」と、ぼくに同意を求めてきた。

 上山の友人はぼくを見た後、再び塩崎さんに視線を戻した。

「いや、キャリアウーマンって感じですよ。普段はスーツを着ているんでしょう? きっと似合うんだろうなぁ。日経新聞なんか片手に持っちゃったりして……」

 どうやら、ぼくのことは眼中にないらしい。

 塩崎さんを最初に車に乗せたことを後悔した。この男の隣に座らせる結果になってしまったから。

「そうですかぁ? それって、わたしが仕事ばかりのタイプに見えるってこと?」

 お得意のイタズラっぽい笑み。一瞬だけ男は戸惑いの表情になるが、すぐに「そうかもしれませんねぇ。婚期を逃さないようにしてくださいね」とイジワルを返す。
 あっ……と彼は思い出したように自己紹介を始めた。
「俺、ヤスって言います。タカやんとは大学のサークルで一緒でした。今は、銀行員やってます」
 彼は最近合併したばかりの銀行に勤めていた。ぼく達の会社の取引先でもある。こんな男が“お固い”といわれる銀行員なのか。そんな風には見えない。最近まで学生だったせいか、軽い雰囲気がする。

「すごい。エリートなんですね」

 塩崎さんは、手を合わせて驚きを表現する。

「いや、そんなことないですよ」と、ヤスという男は人差し指と親指で鼻を掻いた。

「この前、研修でシアトルに行ったんですよ。そのときに、現地の銀行を見学したんですけどね。あれはヤバかったですよ。彼らの仕事をさばく手際の良さ。大体会議にかける時間が3分ぐらいなんですよ。それを終えたら早足で次の業務に取りかかる。彼らのアクティブさに、日本やべぇな……って思いましたよ。俺たちなんて、まだまだですよ

 仕事で海外……という別の世界の話。ぼくは東京圏内を抜けることがないし、塩崎さんもたまに静岡県の掛川市にある工場へ出張する程度だ。

 こういう人間が将来の日本経済を支えるのだろうか。ぼくはヤスの顔を見た。屈託のない笑顔を塩崎さんに近づけている。彼の余裕のある冗談に、塩崎さんは照れくさそうにしていた。普段は滅多に見ない種類の笑顔に、ちょっと不安を抱いた。

 バスケットコートは車を十分ほど走らせた場所にあった。緑に囲まれた公園の片隅に三面、それぞれ一つずつゴールが取り付けられている。そこにもう一人の参加者が待っていた。身長が百九十センチぐらいありそうなデカイ男。すでに短パンとシャツに着替えていて、袖から出ている腕の太さがさらにやる気を削ぐ。ガテン系の仕事をしているかと思ったら、彼は中学の教師だった。先ほどのヤスといい、見た目とは違う仕事をしている。社会人一年目は、そんなものなのだろうか。月日が経つごとに、業種のイメージに適した顔になっていくのかもしれない。そうだとしたら、今のぼくはどんな顔になっているのだろう……と考えた。

 コートに着くなり更衣室へ向かっていった塩崎さんとミユが戻ってきた。塩崎さんは、薄いピンクのティーシャツの上にパーカーを羽織っていた。黒のナイキのハーフパンツから出ている脚の白さが気まずくて、急いで目を逸らした。

「更衣室、ボロい……」と言いながら近づいてきた。ゴムを口にくわえて、長い髪を後ろにまとめる。

つづく

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#創作大賞2023



リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。