見出し画像

【小説】白い世界を見おろす深海魚 72章 (波長と調和)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって、これ以上の詮索を止めるよう脅しを受ける。
だが、恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。
安田は業務の傍ら悪事を公表するため、記事を作成し山吹出版に原稿を持ち込んだ。


【前回までの話】
序章 / 1章 / 2章 / 3章 / 4章 / 5章 / 6章 / 7章 / 8章 / 9章10章 / 11章 / 12章 / 13章/ 14章 / 15章 / 16章 / 17章 / 18章 / 19章 / 20章 / 21章 / 22章 /23章 / 24章 / 25章 / 26章/ 27章 / 28章 / 29章 / 30章 / 31章 / 32章 / 33章 / 34章 / 35章 / 36章 / 37章/ 38章 / 39章 / 40章 / 41章 / 42章 / 43章 / 44章 / 45章 / 46章 / 47章 / 48章 / 49章 / 50章 / 51章 /52章 / 53章 / 54章 / 55章 / 56章 / 57章 / 58章 / 59章 / 60章 / 61章 / 62章 / 63章 / 64章 / 65章 / 66章 / 67章 / 68章 / 69章 / 70章 / 71章


72

『一.内容を大幅に削減する必要があります。蛍光ペンで括った箇所以外は削除してください。二.〆切は来週の木曜日まで。期日は必ず守ってください』
と、別紙に殴り書きされていた。

 ぼくは担当者が赤ペンで修正してくれた通りに原稿を直していく。仮名遣いや言い回しといった細かい指導から『出だしは勧誘の手口から始める』、『事例はもっと簡潔にする』という内容まで。
 大晦日まで残りの一週間。時間短縮のため直接、山吹出版へ行って修正した原稿を提出するようにした。田岡さんは、その日の内にチェックして速達で届けてくれた。こういった往復を二回繰り返して原稿は完成した。

 仕事終わり。オフィスの空気は浮ついていた。いつもの重たい空気は消えて、従業員の雑談や笑い声が所々で聞こえてくる。新入社員がオフィスの大掃除をはじめたら、さらに騒がしくなるだろう。ぼくはいち早く、自分のデスクの清掃を済ませた。
 塩崎さんが残していった精神安定剤を捨てようかどうか悩み、ポケットに突っ込む。パソコンに向かって原稿を書く彼女の姿を思い出し、「今年もおつかれさま」とつぶやいてみる。
 夜9時半から近所の居酒屋で、忘年会が開催される。普段、ぼくたちの会社は社員同士で酒を酌み交わすことはない。業務が深夜にまで及ぶから、そんな余裕がないのだ。だからこそ、会の参加は必須だった。
 仕事と責任の押し付け合いで、互いに首を絞めるのを得意とする職場だが、年末ぐらいは仲良くしよう……という考えもあるのだろう。

 オフィスビルを出て、ベンチに座った。
 一足早く休暇に入った会社もあるせいか、ワゴン車で売りに来る弁当屋が在庫を抱えていた。冷たい風が吹くなか、エプロン姿の若い男性が『大売り出し』と赤のマジックで書かれた段ボールを陳列棚に貼り付けていた。

「こんにちは」
 見上げると、空の色を反映させたようなグレーのコートに身を包んでいるミユがいた。2時間ほど前、彼女から「近くへ寄るから、少し会えないか」という内容のメールがあった。

「寒い?」
 ミユは首を横に振った。

「どこか店に入る?」
 ぼくは、オフィスビルの敷地内にあるスターバックスを顎で示した。
 また、ミユは首を振る。

「ここでいい」と、ぼくの隣に座った。
 その日、彼女からは沸かしたミルクのような匂いがした。

「やっぱりダメだったみたい」
 唐突な言葉に、ぼくはしばらく考えた。
 考えたけれど、分からない。

「どっちが?」と聞いた。

 ミユは、ふてくされたような顔つきで「どっちも……」と返した。
「ル・プランも解散……」とつぶやいた後で、「タカアキとも二度と会いたくない」と叫んだ。
 子供のように脚を投げ出して「サイテー」と吐き捨てる。

「あぁ、最低だな」
 ぼくも同意した。本当に最低だ。

「あの部屋は、どうなるの?」
 壁一面に彩らせた深海の部屋。ル・プランの解散自体は、なんの感情も湧かなかったが、あの部屋だけは気になっていた。

「まだ、先のことだろうけれど、多分、取り壊される。他の店舗と同じように……壊して、新しく、キレイな建物が建つことでしょう」と、語尾が子どもに絵本を読み聞かせるような口調になる。

「そっか。残念だ」

 ぼくとミユのため息が重なった。それがなんだか可笑しくて、目を合わせて笑った。
 声に出して笑うと、少し空気が軽くなったような気がした。

「ねぇ、今夜、あの部屋に行かない? パーティーしよう」
 目を細めて、顔を近づけてきた。

「ゴメン、仕事が終ったら会社の忘年会があるんだ」
 そっかぁ……と、彼女は曇り空を見上げる。漆黒の髪から小さな耳が覗く。ぽっかりと開いた口からは、白い息が吐き出されている。

「じゃあ……それが終ってからは?」
「12時、過ぎるよ?」
「それでも大丈夫」

 早くアパートに帰って、一年の疲れを清算できるぐらいの眠りにつきたい……という気持ちがあった。でも、断ることができないほど彼女は柔らかい表情をしていた。広げた薄い唇からは、白い歯をのぞかせている。

「終ったら行くよ」

「ありがとう」
 ミユは数秒、見つめてから人差しでぼくの鼻を撫でた。彼女なりの愛情表現なのだろうか。
会社の人には見られていないかな……。

 鼻先を掻きながら辺りを見回したが、周囲にいるのは先ほどの弁当屋の袋をぶら下げたおっさんだけだった。オフィスビルの掲示板の張り紙に顔を向けている。
 ミユは立ち上がると「じゃあ、また」と手を振った。手を振り返そうと思ったが照れくさかったので、うなずくだけにした。


 駅に向かって歩く彼女を見送ると、ぼくはオフィスへ戻った。

つづく

【次の章】

【全章】
序章 / 1章 / 2章 / 3章 / 4章 / 5章 / 6章 / 7章 / 8章 / 9章 / 10章 / 11章 / 12章 / 13章/ 14章 / 15章 / 16章 / 17章 / 18章 / 19章 / 20章 / 21章 / 22章 /23章 / 24章 / 25章 / 26章/ 27章 / 28章 / 29章 / 30章 / 31章 / 32章 / 33章 / 34章 / 35章 / 36章 / 37章/ 38章 / 39章 / 40章 / 41章 / 42章 / 43章 / 44章 / 45章 / 46章 / 47章 / 48章 / 49章/ 50章 / 51章 /52章 / 53章 / 54章 / 55章 / 56章 / 57章 / 58章 / 59章 / 60章 / 61章/ 62章 / 63章 / 64章 / 65章 / 66章 / 67章 / 68章 / 69章 / 70章 / 71章 / 72章 / 73章/ 74章 / 75章 / 76章 / 77章 / 78章 / 79章 / 80章 / 81章 / 82章 / 83章 / 84章 / 85章/ 86章 / 87章

#創作大賞2023


この記事が参加している募集

ライターの仕事

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。