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【小説】白い世界を見おろす深海魚 59章 (潜入)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索していている安田にクライアント先であった企業のマルチビジネスの会員となっていた塩崎から色仕掛けのような勧誘を受け、彼女への失望感を抱いていた。

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 日曜日の昼に、セミナー会場へ行ってみた。

 新宿駅の南口から歩いて10分程の、小さいビルが窮屈そうに佇んでいる場所。目的のビルの入り口を覗くと冬の陽が降り注ぐ外とは対象的に、冷たく湿った空気が漂っているようだった。休日のためか入り口のエントランスの照明は消えている。

 なるべく目立たない格好にしようと、クローゼットを前にアレコレ悩んだ。でも結局は、普段仕事で身につけている縦縞の入った黒のスーツを選ぶことにした。自動ドアのガラスには、いつものように頼りないサラリーマンの姿が、そこに映っていた。

 以前、取材したカメラマンが言うには、説明会が開始されるのは午後の2時から。今週もそうだとしたら、あと35分で始まる。

 最初に現れたのは、若い男性の二人組だった。一人は銀縁メガネに紺色の細身のスーツを着ている。髪の色は明るいブラウンで、右半分だけ斜めに剃り込みを入れていた。もう一人は長いあごひげを生やしている。二人とも、サラリーマンという印象ではない。柄の悪いホストかチンピラのようだ。ポケットに手を突っ込み、笑いながら正面入り口の横にある社員専用のドアから、ビル内に消えていった。

 キャスト・レオのメンバーなのだろうか。斉藤さんと同じような厳つい雰囲気を感じる。見た目だけじゃない。歩き方や微かに耳に届く声のトーン。あらゆる特徴に危険なニオイを感じる。

 次にビルに来たのは若い男女だった。男は背が高く、ふちの赤い眼鏡をかけていた。黒いシルクハット、チェックのシャツ、重そうなブーツ。ヴィジュアル系ミュージシャンが好むような格好。女性の方は茶色く染めた髪に、ゆるいパーマをかけた女性。歩く度に上下に揺れる豊かな髪と小さな顔。短いスカートから白い脚をのぞかせていた。電車で隣に座っていたら、横目で見てしまいそうな容姿を持っている。

 彼女は入り口の脇にあるインターホンを押し、取り付けられているマイクに向かってなにか話しはじめる。男性は笑顔を保ったまま、その様子を眺めていた。話が終わったのか、女性はインターホンから顔を離して男を見上げる。手を伸ばすと男性は、女性の手を握り、ビルに入っていった。そのカップルを皮切りに、次々とビルに人が入っていく。みんな、オフィスビルに不釣り合いなカジュアルな出立ちだった。堅苦しいスーツを選んだのは間違いだったかな……。

「よかったら、説明会に顔を出してみてよ。安田さんに、絶対に損はさせないからさ」
 斎藤さんはそんなことを言っていた。

 一体どんな手口で勧誘してくるのか。知りたくてもセミナーの見学を斎藤さんに頼むことはできなかった。セミナーに参加しておいて、その後会員にならないのは下手に警戒心を持たれることになる。今でも彼は、たまに疑り深い目を向けてくる。会員数や支社の場所を聞いたときも「これは業務上、必要な情報ですかね?」と一瞬だけ冷たい表情を浮かべていた。意図的な行為なのだろう。余計なことは聞くな……という無言の圧力を与えるための。

 直接取材できる相手がいればいいのだが。

 ビルに入っていく人間を目で追っていると、みんな二人一組になっていることに気づく。ほとんどが男女のペアだ。なんでだろう。カップルでなければ、参加が許されないのだろうか。ぼくは関係者のように場慣れした素振りを意識しながら、彼らに紛れてビルのなかに入った。その演技が上手くいったかどうか分からない。誰も、ぼくのことを気にしていない様子だったが、緊張で心臓が高鳴っていた。

 薄暗いエントランスには、賑やかな声が響いていた。十組ほどのカップルがエレベーターを待っている。螺旋階段にもたくさんの人がいた。笑い声、床に響く靴底、エレベーターの到着を知らせる電子音。

つづく


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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。