(小説)白い世界を見おろす深海魚 6章(甘い匂いと秘密)

【概要】
広告代理店に勤める新卒2年目の安田(男性)は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎(女性)は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

【前回までの話】
・序章
・1章
・2章
・3章
・4章
・5章


6

「ハイ……ん? モテ……いや、そんなことないですけど」
 突然の話の転換についていけなかった。手を振って否定するぼくの反応が面白かったのだろうか。青田さんは大きな声で笑った。

「どうぞ飲んでください」と、目尻の涙を拭いながらコーヒーを勧める。

「顔は整っているし、すごく優しいオーラが伝わってくるの」
 テーブル越しに彼女は手を伸ばしてきた。指先が頬をなでる。
コーヒーを吹き出しそうになり、急いで飲み込んだ。

 顔を近づけ、収集家がコレクションを磨くような慎重な手つきで顔に触れてくる。

 香水と女性の混ざり合った匂いが鼻腔をつく。

 彼女は顎を引いて、ぼくを見上げる。目が合う。互いの息づかい。

 青田さんは唇を差し出してきた。ぼくは何の抵抗もなく、それが当然のことのように受け入れた。彼女の口の中に舌を入れる。人の内部の暖かさ、やわらかさ、匂いが頭の中で鈍い回転をはじめた。

 営業先の人間に……後々面倒なことになるんじゃないか。

 そんな不安が頭をよぎったが、仕事中に行う後ろめたい衝動が一種の快楽をもたらしていた。


 青田さんは顔を離し、ぼくの首に絡めていた華奢な腕をほどいた。
 そして、先ほどと変わらない笑み。
 数センチしか離れていない彼女の顔を見るが恥ずかしくなって、うつむいた。

 彼女の小さい笑い声。
 つられて笑う。

「また会ましょう」
 そういって立ち上がり、テーブルの上に乗せた書類を腕に抱え込んだ。

 彼女に出口まで案内されてぼく等は別れた。互いに何もなかったかのようにエスカレーターの扉が閉まるまで、形式的に頭を下げていた。

つづく


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#創作大賞2023


リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。