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(小説)白い世界を見おろす深海魚 4章(地下鉄での会話)

【前回までの話】
・序章
・1章
・2章
・3章

【概要】
広告代理店に勤める新卒2年目の安田(男性)は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎(女性)は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。



 地下のプラットホームには乾燥した風が吹いていた。
「……で、どんな会社なの?」

 塩崎さんは手帳を白い指で押さえながら、なにかを書き込んでいた。
 直前まで制作チームが決まらず、打ち合わせをする時間がなかった。

 新しい仕事が入ると大抵は制作部内でたらい回しがはじまる。切羽詰ったスケジュールのため、初仕事になる今日まで誰に割り当てればいいのか予想がつかない。
 多少業務に慣れている新人ライターの塩崎さんに決まったのは、つい30分前のことだった。

仕事の話をするため、ぼくたちは人の少ない場所を選んで列車を待った。

「アパレル企業だよ。カジュアルの」
「ふーん、キャスト・レオか……聞いたことないわね。男性ファッション?」
「男女どっちもやってるみたい。ホームページを覗く時間もなかったの?」
 塩崎さんは溜息をつく。
「当たり前でしょう」と手を上げて、首を横に振った。
 アメリカ人がドラマでよくやるようなオーバーリアクション。

「リーダーから突然『お前が取材に行け』って指示されたのよ。見るヒマなんてなかったわ」
 自動アナウンスが流れて、電車が入線する。
 彼女はメモ帳をカバンにしまうと、風圧で乱れた髪を手櫛でなおした。
「手一杯なのよ。ライターの人数が少なすぎるわ」とゴチた。
 営業も一緒だよ。

 初めてキャスト・レオに連絡をした際、担当者から「早急にお願いします」と頼まれて電話を切られた。
 そのことを川田部長に話すと「今の時代、早急な対応を求めていない企業がどこにあんだよ」と苦笑した。
 あまりにも一方的な要求。苦労しそうな顧客になる予感はあった。

 次の日の午前中に相手先へ行き、電話で応対をした青田さんという小柄の女性と会った。長いまつ毛の下には際立った黒目。会社の製品なのだろうか。フリルの付いた薄いピンクのブラウスを着ていて、春先の羽毛に包まれた小鳥のようだった。
「突然のお願いで、申し訳ございません」
 特に悪びた様子もなく、目を細めてぼくを見上げた。
 何千人との“初対面”を経験した人間にしかできないような余裕のある笑み。
開いた口から八重歯が白く光る。
 その表情は少女のあどけなさと、大人特有の少し疲れた影を同時に宿していた。

 PR誌の発行目的、予算、形状等を聞いて、オフィスへ戻ると大凡の見積書を作り、メールで送った。
 その一時間後に受注を決定する返事がきた。相手先の即決即断で契約を結ぶことができた。

 ベンチャー企業だからなせる技で、これが大企業だとこうはいかない。何度も相手先に伺い、企画書を提出して、プレゼテーションにて他の会社と競合したあげく、強気な態度で値切られる。
「ラッキーじゃない。君の営業成績も上がるね」
 塩崎さんはそういって、首を傾げて微笑んだ。
 トンネル内に潜む人工の光が、彼女の栗色の長い髪を照らした。
 一度目が合った後、ぼくは窓の外に視線を移した。そこに映るのは汚れたコンクリートだけだった。
「でも、なんというか……」
「どうしたの?」
「いい評判は立っていない会社なんだ」
「それって、悪い評判がある会社ってこと?」
 ぼくはうなずいた。
「ほんの一部で……だけどね」
 電車が揺れた。
 急いで脚に力を入れてバランスを保つ。塩崎さんはためらいなく手を伸ばして、ぼくの腕にしがみついてきた。細い指先から、微かな力がスーツ越しに伝わってくる。

一度きりの揺れ。
彼女は、ゆっくりと手を離す。

「ほんの一部?」
 止められた会話を再開した。何事もなかったかのように。

「うん、インターネットの掲示板で叩かれていたんだ。その会社、ネットワークビジネスをやっているんだけどね……」
「ネットワークビジネス? あぁ、ネズミ講のことね」
 塩崎さんは、その言葉を放った後で眉をしかめた。

「わたしたち、今からネズミ講をやっている会社に行くの?」

 ぼくは「静かにしろ」という意味合いで人差し指を唇に持っていった。
 でも、周囲には座席で腕を組んで眠りこけている中年サラリーマンと、三越の紙袋を抱えた婆さんしかいない。
「俺も、その辺のことは詳しくないんだ。一応、株式会社として十年前から成り立っているから、犯罪行為を行っているわけではないと思うけど……多分」
「竹下さんには相談したの?」
 竹下さんとは、ぼくの所属している営業部の先輩だ。
 体育会系でとにかく仕事がうまくいかないと、根性が足りないせいにする。
「自分に甘えるな」とひたすら叫び続け、徹夜で企画書を作成させたり、自発的に休日出勤をする部下を賞賛する。

 社内では公にされていないが、コイツの熱血指導のせいで、同じ部署にいた同期が二人も辞めてしまった。
「相談はしたよ。後、心配だから川田部長にも伝えておいた。『とにかく悪徳企業ではないみたいだから、きっちり仕事をしてこい』ってさ」
 ぼくは「参ったよ」と呟いた。
「まともな会社であることを祈るわ。安田君は打ち合わせに、一度行ったんでしょう?」
「結構でかいビルの一室にある会社だけど、見た感じでは怪しくはなかった。ごく普通のオフィスだったよ」
「ふうん」
 水道橋駅への到着を告げるアナウンスが流れた。ぼく達は降車して、地上へ繋がるエスカレーターに乗った。

 駅を出て、東京ドームを左手にぼく達は横断歩道を渡る。
 近くに大学があるせいか街はカジュアルな服装の若者達でにぎわっていた。

 キャスト・レオの担当者のことは、詳しく話さないようにしていた。ありきたりの営業だったことにしているが実は訪問をした際に、ちょっとした、ややこしいことがあった。

つづく

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#創作大賞2023

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。