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【小説】白い世界を見おろす深海魚 84章 (弱い生きもの)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって、これ以上の詮索を止めるよう脅しを受ける。だが、恐怖よりも嫌悪感が勝っていた。安田は業務の傍ら悪事を公表するため、記事を作成し山吹出版に原稿を持ち込み、出版にこぎつける。大業を成し遂げた気分になっていた安田に塩崎から帰郷するという連絡がくる。さらに、キャスト・レオの中傷記事の筆者であることが勤め先に知られることとなる。
安田は自分が置かれた状況のプレッシャーから逃れるため、退職前に塩崎がデスクに残していった抗うつ剤を服用して、キャスト・レオへ謝罪に向かう。


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84


 病院前の広場に設置されたベンチは、年寄りたちで埋まっていた。

 座りたかったが、諦めて街を見渡せる高台の欄干に寄り掛かった。
「俺のことは気にせずに帰ってください。ここにいたら風邪ひいちゃいますよ」

 青田さんは居場所を見つけられない子どものように、ソワソワしていた。いつもの明るさと自信は身を潜め、どこか頼りない。
「ううん、いいの。もう少しだけ、安田君の側にいてもいい?」

 一人で考える時間が欲しかった。

 でも、なにを考えればいいか分からなかったから「いいですよ」と、うなずく。
 彼女は視線を泳がせていた。なにか言いづらいことがあるのだろう。「あ……」とか、「ん……」とか、呼吸と共に吐き出された微かな言葉が、漏れては消えていく。それは声とは程遠いもので〝聞こえる〟というよりは、微妙な空気の揺れで〝感じ取る〟ものだった。

 母子が鳩にエサをあげていた。ピンク色のパジャマを着た小さな女の子と、ぼくと同い年ぐらいの母親。菓子パンが入っているビニール袋をぶら下げた看護士が歩きながら、その光景を眺めていた。

「わたしね……」
 青田さんは、ようやくしっかりと耳に届く声を出した。乾燥した空気のせいだろうか。少し声がかすれていた。白い喉を上下させて、つばを飲み込むと再び「わたしね……」と言い直す。

「実は、すごく嬉しいの」

 全く予想できなかった言葉に「へっ?」とマヌケな声を出してしまった。
 どういうことだ?
「出会ったばかりの頃、安田君は仔犬みたいだった」
「仔犬ですか?」
「そう」と、照れくさそうに笑う。

「怯えた仔犬。目の前のもの全てに怯えていて、チャンスがあったら噛みついてやろうっていう感じ」

 仔犬、というよりも小型犬なのかもしれない。成長したって、たかがしれている大きさにしかなれない。震えて、高い声で吠えるしか能のないチワワのような。

「決して忠犬とはいえないけど、そこがなんか放っておけなくて。環境に慣れることのない……まぁ、その、無器用なところが」

「そして、非力ながらも、噛みついてしまいましたけどね」
 彼女の上から目線にウンザリした。飼い犬のちょっとした反抗的な態度。ぼくが批判的な記事を書いたことなんて、そのぐらいにしか思っていないのだろう。散歩の時間を待たずに、つながれている庭先に小便をした程度の損害にしか。

「非力でも……」
 彼女は顔を上げて、飛び立った鳩に目を向けた。
「安田君はキャスト・レオという会社に噛みつくことで自分を表現することができたんだよ。それって、わたしが目指していることでもあるの」
 彼女の言葉を頭のなかで繰り返す。でも、分からなかった。青田さんが目指していること?

「どういうことですか?」

「わたしは今の仕事を通して、多くの人達が不満を感じながらも強者に従って生きていかなければならない状況から解放したいの。自分に正直に生きていく力を一人ひとりに与えたかった。それって、すごく素敵なことだと思わない?」
 どんな形であれ……と、つぶやく。
 強者から抑圧された人を解放するには、まず経済的自由が必要だ。そのためにネットワークビジネスを斡旋する。それが青田さんの考える社会への貢献なのだろうか。風当たりの強い業界だからこそ、こういった意義を見出していかなければやっていけないのかもしれない。

 でも、実際には大儲けをしている斎藤さんのような人の下には、泣き寝入りをする被害者が大勢いる。キャスト・レオの考えるビジネスモデルを綺麗ごとに言い直しても、蔓延する社会の汚い部分となんら変わりはない。一部の人間の膨大な利権を、多数の弱者が辛い思いをしながら支えるシステムだと思う。

 青田さんは髪をかきあげて、笑った。それは彼女の口から漏れた言葉と同じくらいに無防備な笑みだった。

つづく


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リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。