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【小説】白い世界を見おろす深海魚 45章 (持てる者の認知バイアス)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を高額で受ける。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益をむさぼる企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田は理不尽と欲望に満ちた社会での自分の立ち位置を模索する。

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「下降する経済状況の中、多くの商店街は存続の危機へと迫られています。以前、NHKのテレビ番組では廃れていく新潟の商店街を取り上げていましたが、これは地方だけの問題ではありません。東京にも、こういった場が存在します」

 各部署のマネジメントクラスの社員達が企画書をめくる。普段、社員に怒声を浴びせている人ばかりだ。下手なクライント先でのプレゼンよりも緊張した。

「このような低迷した経済状況の中、仕事に就けない若者がいます。彼らが仕事に希望することは、なんでしょうか。これは広告代理店A社の消費者研究所の分析結果ですが……一昔前のビジネススタイルとは違った特徴が見られます」

 ぼくのプレゼンを聞いてくれているのだろうか。不安がよぎる。右隣の上司はボールペンで机を叩きながら天井を見つめる。企画書が配られるとすぐにページをめくりはじめ、読み終えると目を閉じてうつむいている姿も見られた。

「彼らは、都心の大企業で働くことを目的としていないのです。責任ある仕事と、それに見合った多額の報酬は求めない。その分、自分たちの裁量で無理をせずに“自分らしさ”と“他者とのつながり”を重視して、働きたいという希望があります。消費の面で贅沢はせず、質素な暮らしをしながらも地元特有のつながりの深いコミュニティを築こうとしています。すでに島根県のある町では、こういった若者達が集まり、地域に根付いたビジネスを運営している例もあります。私が提案するフリーペーパーを作成する若者達にも、これに似た事業計画が見られます」

「そいつらが求めているものは、ワークライフバランス……というヤツだな」

 社長の大きな声。

「今の我が社には関係ないことですね」と編集部のデスクが皮肉を言う。

若者の傾向って……最近の新卒でもよく働く人間はいるわ。この子達は単に甘えているだけよ

 副社長が文句をつけると、今度は大きな笑い声が聞こえた。

「甘ちゃんがやるような経営計画なんて、先が見えているわ」

「ねぇ?」と副社長は、社長に顔を向ける。彼女は社長の夫人でもある。

 社長は椅子にのけぞって、細めた目を企画書に向けていた。

どうせ勤めていた会社で挫折した人間が集まって始めた事業なんだろ? そんなヤツらが遊び半分で始められるほど、ビジネスは甘くないよ

 校正部の部長はあくびをする。川田部長は腕を組んで、目をつむっていた。

「予算はいくらだ?」

 社長はタバコに火をつけた。会議室で喫煙が許されているのは彼だけだ。

「月一回の発行で20万円です。タブロイド判で四色、二千部。我が社の粗利は、
15パーセントほどですが……」

 全員の失笑が聞こえてくる。不景気で広告費が削られている現状でも粗利40パーセントは欲しい。15パーセントは、まさに非営利な数字だった。

「しかし、彼らの事業は本格的に始まろうとしています。すでに区役所の広報誌や大手新聞にも紹介されました。地方局ですが、テレビ取材も入って注目されはじめています。もし、ル・プランの活動が世間に評価されたら……」

「支援していた我が社のブランド向上にもなるということだな」

「相乗効果が見込まれます」

 腋の下から一筋の汗が流れる。どれほど熱弁しても、カラッポの言葉しか吐けない。ル・プランの事業計画は、誰でも考えつきそうなものだ。独創性がないから、世間での注目を集めるのも難しい。それでも、もっと魅力的に事を伝えられたら……。自分のプレゼン能力の低さを痛感する。ミユが壁一面に描いた深海。ぼくは、ただ、その素晴らしさに捕われていた。あの部屋を残しておきたい。そのためにも、この企画を通す必要があった。

「……我が社には無理だな。今ある仕事で手一杯だ。制作が間に合わない」

 編集部デスクがつぶやく。

「人員と時間がない……つまり、物理的に不可能ってこと」

 副社長が子どもを諭すような口調になる。紙コップに入ったコーヒーを一口飲むと立ち上がる。これが会議終了の合図となる。幹部達は目の前の企画書を閉じて、席を立つ。次の仕事に追われている人達ばかりなので、一つひとつの行動が機敏だ。

面白そうだな……

 企画書を見つめながら、社長がつぶやいた。

「こういう制作物がウチにあってもいいんじゃないか?」

 幹部達の動きが止まった。

「社内報や企業広告だけだと、この先の成長も限られるだろう。そろそろ新しい事業を展開してみてもいいかもしれないな」

「しかし、社長。安田の、この提案は人件費などを差引すると確実にマイナスですよ」

 人事部長が困り顔で忠告した。この会社はワンマンだ。社長の言葉ひとつで物事がひっくり返るのを、設立当時からいる人間は何度も経験してきた。

「最近では手堅いことにばかりに手を染めていたが、こういった冒険も必要だろう。創業当時の俺らは、もっとハラハラするようなことをやってきたじゃないか」

 心のなかで社長を応援した。企画が通るかもしれない。僅かな希望が胸を踊らせた。

「不景気な今だからこそ、積極的に活動して競合他社との差を付けるべきだろう。そうじゃないのか?」

 彼は、すぐに感情が高まる。言葉の終わりは、ほとんど怒鳴り声に近かった。

「しかし……」

「『しかし、しかし』って、さっきからうるさい。お前はいつからそんなへっぴり腰になったんだッ」と、ぼくの作った企画書を丸めてテーブルを叩く。人事部長は助けを求めるように、編集部デスクに困惑した顔を向けた。

「社長……」

 彼は冷めた表情でつぶやく。

「この仕事を受けると映画作りが、また先の話になっちゃいますよ」

 その言葉に顔の筋肉が抜けていく。赤みの引いた顔をうつむかせる。

「そっか……ならば、しかたない」

 叱られているときの子どものように、急にしおらしくなる。どうやら、感情的になった社長を静めるのは彼の役割のようだ。

「そうだよね。社長は映画を作りたいんだもんね」

 副社長は笑顔で声をかけた。

「あの……映画ってなんですか?」

 ぼくが隣にいた幹部に聞くと、気まずそうに「社長は映画を撮ろうとしているんだよ。長年の夢でな……」とささやく。

「えっ? 全くそんな話を聞いていないんですけど」

「まぁ、まだマネジメントクラス以下の社員には公表していないからなぁ……」

 あごをさすりながら、苦々しい表情を浮かべた。

 なにを考えているのだ、この男は。

 以前、社長は他の出版社と共同で自伝エッセイを出したことがある。カメラマンに自分の写真を撮らせて、ライターに原稿を修正させる。日経新聞に大々的な広告を出して、ぼく達営業はクライアントに買ってもらうように頼み込んだ。中身は、自分がいかにピンチに強い人間か……を述べた内容と、目新しい発想が全く見られない経営論。案の定、まったく売れなかった。この一冊千八百円のハードカバー本の在庫のおかげで、ぼく達のボーナスは大幅に減らされた。

 また、この凝りもせずに、社員が気を狂わすほど必死で稼いだ金を使おうとしているのか……。自分の楽しみのためだけに。

 しかも、今度は映画だ。本とは比べものにならない位の多額の予算が必要になるだろう。彼のつまらない発想力では、成功も期待できない。ほとんどの株式を私有している社長だからって、そんな身勝手な行動が認められるのだろうか? 

 怒りよりも、呆気にとられていたぼくの肩を、編集部デスクが叩いた。

「じゃあ、この提案は『長期取り組み』ってことで……」と、涼しげな表情で会議室を出ていった。

つづく

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#創作大賞2023

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眠れない夜に

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。