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(小説)白い世界を見おろす深海魚 24章

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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24

「わたしね。上を目指すことが幸せだと信じ込んで、自己啓発本を読みまくった時期があったわ。充実した報酬と豊かな生活。そして、幸せな恋愛。それを得るために必死になっていた……他人と差をつけたかったのよ。バカみたいでしょう?」

 塩崎さんは笑ってみせた。
「わたしが目指しているのは、こうじゃない。なーんてことをたまに思っても、本を書いたどこかのコンサルタントが提供してきた価値観で生きていくのが自然になっちゃったのよ。その方がラクだしね」

 この笑顔も偽物の塩崎さんなのだろうか、という疑問と同時に不安がよぎる。ぼくは今、誰と食事をしているのか分からない。

「なんだか、暗い話になっちゃったね。本当はもっと楽しい話をするつもりだったんだけど。でも、ちょっと安田君のことが分かったから、よかったよ」

 その言葉に額がこそばゆくなる。

「でもね……」と、彼女はイタズラっぽく右の眉だけを上げてみせた。

「自己啓発本では『食事での暗い話はタブー』って書いてあったわ」
 ぼくは苦笑した。
「まぁ、話したって……何も変わらないしね」

 塩崎さんは「お代わり飲む?」と店員を呼んだ。これがこの話を終える合図になった。


 店員が注文を受けに来たと同時に「アッレー、先輩達、何してんすか?」という声が耳に響いた。
 左隣のテーブルを見ると、ライダースジャケットを着た上山がいた。同じ会社の後輩。ぼくの代わりにキャスト・レオから初めての電話を受け取ったアイツだ。塩崎さんと同じくライター職。人に気に入られる性格のためか取材相手から普段は話さないようなことを引き出すことができ、会社からも一目置かれている。軽いノリ、何でも難なく器用にこなす。
 嫉妬なのだろうか。彼を見ていると、ぼくは胸の奥を少しかき回される。でも、嫌い……というほどじゃない。それほど無理をせずに付き合っていくこともできる。ただ、できれば避けていたい人物だった。自分とは別の世界で、別のルールで生きていてほしいような。

 彼の隣には、だぶついたブルーのパーカーを着ている背の低い女性がいた。大きな目と小さな唇。一昔前の少女漫画の登場人物を思い出させる顔つきをしていた。

 目が合っても、あいさつもなくさっさとソファー席に座る彼女を指して、上山は「あっ、ミユっていうんですよ」と紹介した。

「へぇ、上山君のカノジョさんなの?」

 塩崎さんが質問を投げかけた。彼らの登場で数分前とは、全く違う空気になっていた。

「まぁ、そうです。学生時代から付き合っているんですけど……ところで、塩崎さん達はなんですか? 週末に二人で」

 ある答えを期待する意味深な笑みを浮かべた。

「うん、さっきまで出勤していてね。せっかくだから『帰りに一緒にご飯でも食べよう』ってことになったの」

 塩崎さんは上山のイヤらしい考えを払拭するように、軽く返した。多分、ぼくが代わりに応えていたら、変にどぎまぎして余計な疑いをかけられてしまっただろう。

「せっかくだから、一緒に食いません? なんか、隣同士で別々の話をするのも気まずいじゃないですか」
 上山の提案に、ぼくは塩崎さんを見た。彼女もぼくの様子をうかがっている様子だった。そして「うん、いいわよ」と椅子に置いてあったバッグを持って、ぼくの隣に移動した。

つづく

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#創作大賞2023



リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。