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【小説】白い世界を見おろす深海魚 68章 (薄れ始める感情のなか)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって追い出される。諦めて会場をあとにする安田の元に騙されてセミナーに出席した男が近づき、これまでの経緯を話すことを告げられる。話を聞こうとする安田だが、彼の行動を怪しんだ会員が跡をつけて拉致。これ以上の詮索を止めるよう脅しを受けた後、解放される。

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68

 キャスト・レオの会場に潜入した翌日。早くもヤマシタが被害者を紹介してくれた。元会員で勧誘活動を続けたことによって損失を被った男性だった。年齢は、ぼくよりも10歳上のプログラマー。夜の10時に新大久保のファミレスで三人で会った。
 記事を書くことは、どう考えても自分にとって不利にしかならない。
 相手はぼくの勤め先の顧客なのだ。それは分かっていたが。金と幸福の匂いを発して、吸い寄せられる人間をエサにしているグレーゾーンの企業で見聞きしたことを誰かに伝えたかった。大勢でなくてもいい。

あの日から、好奇心と怒りが混ざり合った感情が突如ざわつくようになった

 それは仕事をしているとき、街を歩いているとき、電車に揺られているときに起こる。こめかみを通る血管が音を立てて揺れ、涙腺がゆるむ。日中は下唇を強く噛み、手の平に爪を立ててこの衝動を抑えた。
 夜に、アパートに戻って原稿を書こうとした。でも、その頃には疲れが蓄積されて気力がなくなっている。眠気で昼間の衝動は隅に追いやられてしまう。明日の仕事に差し支えがある、なんて理由をつけて布団の上に寝転がり、短い睡眠を貪る日々が続いた。
 業務では相変わらずキャスト・レオに出入りする日々が続いていた。運良く斎藤さんとは会わないでいられた。青田さんは、ぼくがセミナーに侵入したことには触れなかった。いつも通りの笑顔で話し掛けてきた。
知らないのだろうか。いや、そんなことはない。なんらかの考えがあって、触れないようにしているだけなのだろう。部屋の暖房は効いているのにも関わらず、彼女を目の前にすると背中に寒気を感じた。
 キャスト・レオのセミナーに侵入してから一週間。取材の際に記入したメモは、まだ開いていない。

 社長の年頭挨拶が掲載された社内報。社名入りのカレンダー、年賀ハガキのデザイン……と、年末は多くの仕事が舞い込んでくる。クリエイター達は会社で寝泊りをして、作業に没頭する。
 ぼくもその期間は、ほとんど自宅に帰れない。普段は業務をスマートにこなす上山も、このときばかりは辛そうだった。パソコンと睡眠不足で充血した目。青白くなった顔から笑顔は減っていた。普段、活力のあるヤツなだけに周囲から心配の声が上がっていた。買出し係が持ってきた菓子パンを無表情でモソモソと囓っている姿を見て、とりあえず食欲はあるみたいだと確認する。
 ぼくは東京中をさらに忙しなく回っていた。クライアント先と印刷会社、下請けプロダクションとの間を何度も行き来しなければならなかった。

 みんな、ジリジリと近づいてくる年の終わりに圧迫されていた。

 12月に入ってからはプールにも行っていない。しばらく運動をしていないせいか、身体全体が重く感じる。こりもひどい。去年は感じなかった肩から背中にかけての痛みが、たまに呼吸を困難にさせた。  
 日めくりカレンダーのように、自分の身体がすり減らされていく。

塩崎さんから電話があったのは、5日ぶりに帰宅する途中でのことだった。夕食の入ったコンビニ袋を右手から左手に持ち替えて、ポケットから携帯電話を取り出した。

つづく

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#創作大賞2023

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。