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【小説】白い世界を見おろす深海魚 65章 (暴力と緊迫の室)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって追い出される。諦めて会場をあとにする安田の元に騙されてセミナーに出席した男が近づき、これまでの経緯を話すことを告げられる。話を聞こうとする安田だが、彼の行動を怪しんだ会員が跡をつけて、安田を拉致していく。

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65

 斎藤さんはドアの前で待っていた。ガラスに黒いフィルターが貼られているため、店内は見えない。『Bar Zeus』と書かれた青色の電飾板が立てかけてある。ずいぶんと年期の入っているもので、まだ点灯するのかどうか分からない。

 ル・プランの事務所を思い出した。扉を開ければ、ラテン・ミュージックと澱んだ空気。ミユや金田さんがいて、コロナ・ビール片手に騒がしい会話を繰り広げている。あのときの光景が目に浮かぶ。

 二人の男が両腕を強くつかんだことによって現実へと戻される。店内へ引っ張られると汚れたクリーム色のカウンターが目に付いた。棚に見慣れないボトルが並んでいる。漂っている木材のニオイのする空気は冷たく、呼吸をする度に胃に突き刺さってきた。

 奥から黒いチョッキに蝶ネクタイという、いかにもバーテンの格好をした老人が顔を出した。顔半分を隠すほど垂れ下がった白髪。小さな眼で、こちらを伺う。

「チンさん、ちょっと奥借りるよ」
 
 斎藤さんの言葉に“チンさん”と呼ばれた老人は卑屈に何度も頭を下げていた。
 
どういう関係なんだ? 斎藤という人物の訝しさが、ますます深まる。

 奥の部屋へ連れていかれた。壁に取り付けられたスイッチを押す固い音が響く。目に付き刺さってくるほどの、眩い蛍光灯が四畳ほどの空間を照らした。いや、実際にはもう少し広かったかもしれない。隅に山積みにされた段ボールのせいで部屋がやけに狭く感じた。大人の男が四人も入ると、ろくに身動きできない状態になる。

 リンチをする場所としては、相応しくないなぁ……。
 
頭の片隅で、こんな冷静な分析をしていられる自分に驚いた。仕事先で問題があった場合は、すぐにパニックに陥るのに……現実感がないせいか、客観的に状況を捉えることができた。それが良いことなのか、悪いことなのか分からない。

 斎藤さんは段ボールに腰掛ける。あごひげの男が、ぼくの腕を離して入り口近くに立った。逃亡するのを避けるためだろう。

「安田さん、あそこで彼と何の話をしていたんですか?」
 斎藤さんは、自分の肩を揉みながら気怠そうにしゃべる。

「セミナーでの感想を聞いていました」

「ふーん、なんで?」

 なんとこたえればいいのだろう。どうすれば切り抜けられるのだろう。

 彼らが疑っている明らかだった。でも、考えてみれば斎藤さんは、ぼくの立場を知っている。ぼくが所属しているのは大きな括りでいえばマスコミだが、クライアントを第一とした広告業だ。企業の不正を暴く報道関係の記者ではない。潜入した理由が、本当にわかっていないのだろう。

「単に興味があっただけです。多くの人を魅了する御社のビジネスモデルに」

自分は入会希望者で来た……という筋で話を通そう。シラを切ることもできるはずだ。

「それなら、言ってくれればいいのに」
 斎藤さんは、いつもの営業スマイルを見せた。ポケットからタバコを取り出すが、吸おうとはしない。

「でもさ、さっきのカフェでの会話は明らかに、おかしいですよね?」

 聞かれていたのか……。でも、誰が? どこから?

 ぼく達がいたテーブルの周りに仲間がいたのだろうか。サラリーマンらしき人物が数人、それと老夫婦、カップル。思い起こしてみると全員が疑わしい。

 胸の奥が圧迫される感覚がして、咳き込む。

 斎藤さんは取り出したタバコを箱に戻して、代わりにガムを噛みはじめた。

 この場を、どうやって切り抜ければいいか。様々な思考が頭のなかで飛び交う。

「オイッ、なんか言えよ」とメガネの男が叫ぶと同時に、左目の下に強烈な痛みが走った。視界が一瞬、赤く光る。なにが起こったのだ?

 自分の意思とは裏腹に視線は床に向いてしまい、確認しようがなかった。

「バカ野郎」という怒鳴り声が部屋に響き渡る。
 顔を上げると、斎藤さんはメガネをかけた男を睨みつけていた。

「手を出すんじゃねぇよ」

 その言葉で状況が把握できた。ぼくは殴られたのだ。顔の左半分が痺れている。

「あそこにいたヤツから、君が会社についてよくない噂を流そうとしていたことを聞いたんですよ」
  斎藤さんは、撫声で話しかけて来た。

 メガネの男が手を出したことによって状況が変わった。左目が上手く開かなくなった顔を男に向けた。歯を食いしばって、目を泳がせている。一瞬だけ、目が合った……が、すぐに逸らす。

 殴ったことを後悔しているのだろう。今の一発で、ぼくは暴力事件として被害届を出すこともできる。刑事事件にまで発展したら、ぼくは勤め先での立場が悪くなるが、それ以上にキャスト・レオの分が悪くなる。

 室内に満ちた激情は集約され、冷たい鉄塊のような緊張感となって床に鎮座していた。

つづく

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