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(小説)白い世界を見おろす深海魚 15章(深夜、社会の片隅で)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

【前回までの話】
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15

 会社に戻ると、いつものように、ほとんどの社員が帰らずに充血した目をパソコンに向けていた。顔を洗って、酔いを払ってからパソコンを起動させる。

 覚醒作用を促すようにコーヒーを一気に飲み干し、キーボードに手を置いた。 
 計算ソフトが立ち上げるまでのわずかな時間も惜しい。

 12時が過ぎた辺りでパソコンを閉じて、急いで会社を出た。駅には時間ギリギリに到着した。終電車到着の放送をする顔なじみの駅員の前を通り過ぎる。

 多くの乗客から発する熱と暖房で、車内は蒸し暑くなっていた。

 天井から吹き出る風が、疲れたビジネスマンの体臭をかき回す。 
 着ていたコートを脇に抱え、つり革にぶら下がると、今まで抑えていた疲れが一気に吹き出てきた。長い一日だった。

 重たい頭をつり革に捕まった腕にもたれさせていると、目の前の座席で大口で眠っている中年男性に目がいった。禿げ上がった頭は脂で、顎はよだれで光っている。低いいびき声。五十代半ばぐらいだろうか。この歳で夜遅くまで仕事をしていたのだろうか。それとも一杯飲んでいたのか。

 会社では、いたって静かに淡々と仕事をこなすタイプに見える。

 この男から、微かに親父の面影をみていた。決して外見が似ているわけではないのに、同じ中年男性としてどこか重なる部分がある。

 親父は高校を卒業して、すぐに働きだした。運送会社、建築会社を経て、今はオフィス機器の販売会社で働いている。仕事のことを滅多に話さないので、そこでどんな仕事をしているか分からない。ただ、出張で全国に飛び回っているのだけは知っている。ホテル代といった経費削減のためだろう。最近は外泊をすることがない。地方から用を済ましてそのままトンボがえり。そのため、帰宅時間はどうしても夜遅くなる。毎晩テレビのニュースを見ながらお湯で割った安い焼酎を飲み、タバコを吸っている。最近、頭のてっぺんが薄くなってきている。ぼくの家系でハゲは親父だけだ。遺伝ではなく、ストレスのせいだろう。

 そんな親父の休日の楽しみは、家庭菜園だ。

 狭い庭にトマト、ナス、ミョウガなんかを植えている。おふくろから「近所の人からやぶ蚊が発生すると苦情が出ているから止めてほしい」と叱られても、親父は聞こえないフリをして黙々と土をいじっている。

 貯金はほとんどない。車と家のローンがあるため、定年後も働かなくてはいけない。地味でなんの期待も持てない生活。

 高校生の頃、ぼくは親父に「人生の楽しみはなにか?」という図々しい質問をしたことがある。親父は、お気に入りの麦焼酎を飲みながら「大人になったお前と一緒に酒を呑むことが楽しみだな」とつぶやいた。

 ぼくは大人になった。でも、二人で酒を酌み交わしたことはない。
 なんの話をすればいいか分からないし、お互い妙に照れ臭い感覚になるのが怖い。

 でも、そんな親父のことを思い出していると無性に会いたくなった。なにも話せなくても、親父の姿を見て「あぁ、俺はこの人の息子なんだ」と実感したい衝動に駆られる。揺れる電車。結露の張り付いた窓を眺めながら、胸が締め付けられた。

つづく

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リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。