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【小説】白い世界を見おろす深海魚 62章 (憎しみの対象)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入する。

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 目を、そらすことができなかった。
 心臓が鈍く、大きく揺れて警戒音を発していた。
「ここは紹介者と一緒じゃないと入れないはずなんですよ。でも、さっきから田中さんを見ていると紹介者がいないみたいなんです。一人で来られたんですか?」

 どうこたえればいいか分からなかった。なにを言っても、疑いの視線から抜け出せそうにない。

「場所は、知人に教えてもらいました。ただ、紹介者が必要だとは知りませんでした。すみません」

 女性は相変わらずの無邪気な笑みで、見つめてくる。

田中さんが、なにを考えているか分かりませんが……ウソをついているのは分かります」と首を傾げる。

「なるべく早くこの場所から出た方がいいですよ」

 笑みを浮かべたまま、どうぞ、と手の平を出口に向ける。なにか返す言葉を捜してみたが見つからなかった。大人しく出て行くことにした。もう、どう転んでも状況を改善できそうにないから。
 立ち上がり、出口に向かって歩く。部屋を出る前に、もう一度会場を振り返った。多くのペアが楽しそうに喋っていた。説明が終わったら、夕食でも一緒にしながら本格的な勧誘が行われるのだろうか。

 潜入取材は失敗か……。まぁ、そんな上手くいくわけがないよな。

 駅に向かって歩きながら、会場の様子と高岡社長の説明を思い出す。怪しさをぬぐい去ることはできないが、引っ掛かる部分があった。ネットワークビジネスとは本当に悪いことなのか、という考えが浮かんでくる。

 このビジネススタイルは、なにか別の大きな力で“社会悪”とされているだけで、彼等の言う通り幸せになる一つの手段なのかもしれない。

 自分の働く職場の人たちの顔を思い浮かべた。上の人間から膨大な量の“責任”と“義務”を押し付けられて、心身や家族との時間を犠牲にしている世界の方が異常じゃないか? そう考えると、ぼくが抱いている憎しみの対象は、単なる塩崎さんへの不信感から生まれたものであるような気がしてきた。

「田中さん」
 低い男の声が聞こえてきた。自分が田中と名乗っていたことを思い出しながら振り向く。セミナー会場で隣の席にいた太った男が立っていた。
「ハイ、なんでしょうか?」
「あの、田中さんは何が目的で来たのか教えてほしくて……ぼくに手伝えることがあるかもしれないし」

 男は早口で、何度も言葉につまっていた。

「多分、あなたにとって都合の悪いことだと思いますよ」
 そう言うと、男は興奮した目つきになる。

「もしかして……君は探偵かな? それともマスコミ関係の人? それなら協力させてよ。ぼくの知っていることでよければ、教えるから」

 男はハンカチを取り出して、額についている大粒の汗を拭いた。息を整えると、笑みを浮かべる。
「ぼくは、ネットワークビジネスをやる人間が大嫌いなんだ……」

つづく

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#創作大賞2023

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。