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【小説】白い世界を見おろす深海魚 57章 (過去に見た疲労をおぼえる夜景)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索していている安田にクライアント先であった企業のマルチビジネスの会員となっていた塩崎から色仕掛けのような勧誘を受け、人間不信となる。

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 いつものように、会社の休憩室でコーヒーを飲みながら無数の光が散りばめられた街の風景を眺めていた。つい最近まで、塩崎さんとここで仕事のグチを言い合えたのに。

 二人でネガティブな言葉を吐き出すと、少し気分が落ち着いた。

 大変なのは自分一人ではないことを再確認することで、前向きな気分にさえなれた。当時は気づかなかったが、あれは大事な時間だったのだ。

 彼女の吸っていたタバコの香りを思い出す。鼻の奥がツンと痛み、涙が溢れてきた。いつかみたいに夜景が滲んで見える。今度は雨のせいではない。

 なんでこうなるのだろう。

 目の前にあるデカイ灰皿を蹴りたくなったが、堪える。大きな音を出すと、不審に思った他の社員がやってくる。蹴り上げる代わりに頬の内側の肉を痛みが麻痺するまで噛んだ。この感情は、どうやって抑えればいいのだろう。


 オフィスへ戻り、書類の詰まったクリアケースとファイルが積まれているデスクの前に立った。パソコンのデスクトップには他の社員が貼付けた書き置きと、足されていくタスク。

 これはなんなのだ?  これは苦しみを抑えてまで、ぼくがしがみつかなければいけないものなのか?

 全てが、くだらなく思えてくる。以前、川田部長に怒りをぶちまけた石川は、すでに帰宅していた。最近の彼は仕事を振られることも、自ら持ってくることもない。机の上は寂しいくらいに綺麗に片付いている。

 作業を再開しようとパソコンに目を向けると、上山からメールが届いていた。昼の話を思い出して、再び腹の中で怒りが沸き上がりだした。

 メールにはワードでキャスト・レオの原稿が添付されていた。宛先は青田さんだった。一応、営業担当のぼくにもCCを使って送ることになっている。原稿のチェックができるわけではない。実際に取材をしたのは上山で、次のレイアウト作業のオーケーサインを出すのは青田さんだ。企画や売上を担当するぼくは、内容が分かればいい。できるだけ感情を抑えて、いつものように流し読むことにした。

 原稿は、会員が売り上げを増やすまでの苦労と努力の経緯が語られていた。以前は化粧品の訪問販売をしていた中年女性。夫と別れた後、女手一つで子どもを育て上げるためにメンバーになった。そして、今ではなにもしなくても月に30万円が振り込まれる生活を送っているという。

 会社に多大な利益を与えた人間を崇拝させるための記事。後に、カメラマンが撮影した本人の写真と共に掲載される。

 どこの会社の社内報も同じような記事を好む傾向がある。トップセールスのビジネスマン、幹部、命令に従順な新入社員。会社に利益をもたらした優秀な人間達がページを飾る。

 昔は違ったらしい。社員達の結婚や出産の報告。社員旅行や組合活動がメインだったという。退屈だが、どこかほのぼのとした記事とレイアウト……それが社内報というものだった。それが日本の会社というものだった。良くも悪くも。

 肩をほぐしながら、上山の書いた原稿を読んだ。彼の文章は、性格とは正反対だ。淡々と語られているが、文章の奥に熱いメッセージが潜んでいるようで、読者を惹き込ませる。

 認めたくないが、かなりの才能がある。このまま会社にいれば、相当のやり手ライターとして出世していくだろう。

 ぼくは、人に認められる文章を書いたことがない。入社当初は、仕事帰りに文章のスクールに通うことも考えていたが、ボーナスをはたいても届かない授業料と、とても出席できそうにない多忙な日々で先送りにしていた。

 営業で働いているうちに記者になる夢は、薄まっている。最初は、ライターという人に伝えることを目的とした仕事が羨ましかったのに。いつのまにか、夢は疲れと、次々と迫り来る締め切りに追いやられていった。働くってこんなものだろうか。

 パソコン画面の左端にあるデジタル時計は、23時を表示していた。頭の芯から浮き上がる眠気。さらにオフィスの暑さが手伝って、思考を鈍くさせる。アパートに帰りたい欲求があくびとして表れた。

 川田部長はカバンに書類を詰め込んで、帰るところだった。出社と同様に無言でオフィスを出ていく。彼は荻窪のマンションに住んでいる。小学校に入ったばかりの子どもがいるらしいが帰宅がこの時間では、ろくに会話もできないだろう。

 終電が近づくにつれ、一人、二人と姿を消す社員。ぼんやりした頭のまま、ぼくはその日の最後の仕事に取り掛かっていた。

つづく

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。