(小説)白い世界を見おろす深海魚 14章(白い息の交わり)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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14

 そろそろ仕事に戻らなきゃ行けない時間だな……トイレで用を足しながらそんなことを考えた。

 他の3人に先に帰ることを伝えようと思いながらテーブルへ戻ると、席には青田さんしかいなかった。ウェイターに領収書を切ってもらっている。
「あっ、安田君。オシッコ済んだ?」
 どうやら相当酔っているようだ。ぼくの腕を痩せた胸に押さえつけるようにつかんで、店外へ引っぱる。

「えっと、塩崎と斎藤さんは?」
「『そろそろお開き』ってことで、先に帰っちゃった」と応える。なにも言わずに消えた二人。胸の奥に澱んだ不安が浮かび上がった。ほとんど飲んでいないのに、軽くめまいを覚える。
 腕をつかんだままの青田さんが「安田君って音楽は何を聴くの?」と聞いてきた。
「はぁ、ミスチルとか……」
 彼女は、ぼくを見上げ「ふっふーん」と満面の笑み。
「聴きたいな」
「えっ?」
「聴きたいの、安田君の歌うミスチルが。これからカラオケ……とか、行く?」
 ぼくは急いで首を横に振った。
「すみません。人前では歌うのは苦手ですし……それにまだ仕事があるので会社に戻らなきゃいけないんです」
「えっー、今から仕事なのー。もう遅いから行かなきゃいいのに」
「でも、まだやることがあるんです。どうしても明日の朝までに済ませなきゃならない案件で……」
「そんな仕事ばかりさせる会社なんて辞めちゃえ」
 彼女は、ぼくの腰の辺りに軽くパンチを浴びせる。

「まぁ、そうしたいのはヤマヤマなんですけどね……」
 ぼくの対応に彼女は諦めたのか、大きく息を吐いた。
「じゃあ、またね。今度は絶対カラオケに行こッ。わたしのミリアも聴かせてあげるから」
 小指を差し出す。
 照れ臭さに鼻を掻きながら、彼女の小指に自分の小指を絡めた。

「約束だよ」

 青田さんは顔を近づけて笑った。

 冬のはじまり。夜の街。青田さんと、ぼくの吐く息は白く濁っていた。

つづく


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リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。