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【小説】白い世界を見おろす深海魚 36章 (高度経済の残骸と悪夢)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

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36

 ミユが指定した駅は、そばに古い団地が広がる場所にあった。

 一昔前、ここに住むことは金に余裕のあるサラリーマンのステータスだったらしい。妻と子ども。それと勤め先の企業に生涯を捧げる。物も娯楽も、新しい価値観も溢れている社会で一所懸命に働き、たまにハメを外した。右肩上がりのグラフを眺めながら、ひとつの希望に向かって労働者が踊るように走る。それが“幸せ”になる手段だと信じられていた……らしい。

 今となっては、おとぎ話でしかない。

 幼少の頃から「不景気」という言葉を頻繁に耳に入れていたぼくは、本当にそんな時代があったことが信じられないでいる。

 駅を出ると、巨大な建物の群れが夕焼け色に染まる冬雲に向けて高く聳えていた。

それらに個性はない。

 どれも同じ色で、同じ長方形をしていた。壁の高い位置に表示されたハイフンでつながれた数字。この表記で、住人達は自分の帰る建物を見分けるのだろう。自分が生まれる前からある巨大な産物は、どこかの原住民が残していった禍々しい遺跡にも見える。

「この駅に降りるのは、初めて?」と、か細い声の不意打ちで心臓が一回鳴った。

 いつの間にかミユが、すぐ側で立っていた。ピンクのトレーナーとジーンズ。あまりにもラフで安っぽい服装に、ぼくはその土地の特性みたいなものを感じた。周囲を見渡すと、ミユと同じような格好をしている女性が多い。郊外にある巨大なカジュアル店のチラシに載っているような服装だった。

 人一倍“見た目“を気にする塩崎さんなら、近所のコンビニに行くときでさえも、こんな格好はしないだろう。

「2つ隣の駅に俺のアパートがあるんだけど、この駅ははじめてだね」

 その言葉に、ミユは口の端を上げて笑った。安っぽい服装でも、その表情を浮かべると特有のミステリアスな雰囲気が浮き出る。髪をかきあげる、カバンを右手から左手に持ち替える。一つひとつの行動が厳正な祭事のように、奥深い意味があるように思えるから不思議だ。

「じゃあ、行こうか」

「どこへ?」という、ぼくの言葉が聞こえなかったようだ。ミユは黙って背を向けて歩き出した。

 周囲を見渡すと、この辺りの自転車の交通量の多さに驚かされる。歩道・車道に関わらず、結構スピードを出して走っていて、所々でベルが鳴り響く。駐輪場には、錆びてとても乗れそうにない自転車までも越冬を控えた薪のように所狭しに詰め込まれていた。

 ミユは大型スーパーマーケットの敷地内に入っていく。そこは人と屋台で賑わっていた。

 子ども達が駆け回り、親は大きな声で叱りつける。花壇に腰掛けてタバコを吸っている老人。ベンチには缶チューハイを片手に持った土方らしき男達が大きな声で喋っていた。焼き鳥と綿あめの混ざったニオイが漂う。地面には、タレとソースで汚れた紙皿や串が散乱していた。

「お祭りでもやっているの?」
 ぼくは、地面に落ちている綿菓子の袋を蹴り上げた。

「なんで?」と振り向く。
「いや、賑やか過ぎるから……」
 彼女は首を傾げる。
「べつに、いつものことよ」
「ここに用事があるの?」
「ううん、ただ……ここを通り抜けた方が近いの」

 店に入ると外の雑音の代わりに、資生堂のテレビCMで使われている音楽が耳に入ってきた。化粧品の陳列棚に置かれた液晶テレビの側で、店員はハンドモップを適当に動かしながら、あくびをしている。

 そのまま真っ直ぐ歩き、反対側の出口を抜ける。さらに10分ほど歩いたところで、団地の敷地内に入った。左右、どちらを向いても同じマンションが立ち並ぶ光景は、少し不安にさせる。

惰眠のときにみる悪夢のように、いつまでも続きそうな気がして。

つづく

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#創作大賞2023



リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。