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【小説】白い世界を見おろす深海魚 64章 (追跡者の匂い)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎はライター職として活躍していた。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーン(マルチ)ビジネスを展開する企業『キャスト・レオ』から広報誌を作成する依頼を高額で受けるが、塩崎は日々の激務が祟り心体の不調で退職を余儀なくされる。
そんな中、安田は後輩の恋人であるミユという女性から衰退した街の再活性化を目的としたNPO法人を紹介され、安価で業務を請け負うことを懇願される。
人を騙すことで収益を得る企業と社会貢献を目指すNPO法人。2つの組織を行き来していく過程で、安田はどちらも理不尽と欲望に満ちた社会に棲む自分勝手な人間で構成されていることに気づき始めていた。本当に純粋な心を社会に向かって表現できるアーティストのミユは、彼らの利己主義によって黙殺されてようとしている。
傍若無人の人々に囲まれ、自分の立ち位置を模索している安田。キャスト・レオの会員となっていた塩崎に失望感を抱いきつつ、彼らの悪事を探るため田中という偽名を使い、勧誘を目的としたセミナー会場へ侵入するが、不審に思ったメンバーによって追い出される。諦めて会場をあとにする安田の元に騙されてセミナーに出席した男が近づき、これまでの経緯を話すことを告げられる。

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「勧誘されたときの話を詳しく聞かせてくれませんか? インターネットで知りあった過程から」
 ぼくは手元に置いておいた手帳を開いた。取材だというのに話を聞くことだけに集中してしまって、メモをとっていないことに気づく。
 ヤマシタは深く息を吸って、吐いた。太った体に似合わず血色が良くない。疲れているのだろうか。

「社会人の飲み会サークルのメンバーをコミュニティサイト上で募集していてね。それに参加したときに彼女に知り合ったんだ」

  話しているヤマシタの後方から、男二人が近づいてきているのが見えた。銀縁メガネに細身のスーツ。もう一人はあごひげを生やしている。

 セミナーが開かれているビルの入り口で、最初に見た男二人だった。会場から離れた場所なのに、どうして……。となりには、あの白いカーディガンを着たラベンダーの香りのする女の子もいた。跡をつけられていたのか。

 六つの目はこちらを向いている。

 ぼくは手帳をちぎり、携帯電話の番号を走り書きした。
「これが、ぼくの番号です。よかったら電話してください」

 突然、立ち上がったぼくをヤマシタは理解できていないようだった。
「どうしたの?」と怯えた目つきで見上げる。

 女性が指差す。男二人は、こちらへ近づいてきた。

「じゃあ、また」
 そうヤマシタに向けた言葉は、上手く発せられなかった。全身が震えている。

 上手く逃げ切れるだろうか。

 テーブル。コーヒーやケーキを乗せたトレイを持ったウェイトレス。レジスターの前で財布を開いている客。出口まで障害となるものを把握してから、一気に走りだそうとした。脚に力を入れる。瞬間、ぼくは後ろから腕をつかまれた。全身の毛穴から汗が吹き出る。

「ちょっと話を聞きたいんだけど、いいですか?」

 三人に意識がいってしまって、気がつかなかった。もう一人、彼らの仲間がいた。
 黒いスーツを着た斎藤さんだった。笑顔だが、眼の奥が怒りで鈍く光っているのが分かった。危機的状況なのに、彼の首に巻かれた薔薇の刺繍がされている真っ赤なネクタイを見て、生肉に似ている……と、ぼんやりと思った。

 いつの間にか入り口にいた男二人が、ぼくの両側に立っていた。手を振り払おうとした瞬間、つかまれた腕に痛みが走った。女性は、ヤマシタに向かって何か話している。

 店を出ると、斎藤さんは手を離した。代わりに二人の男がぼくを挟むように立つ。コロンのニオイがキツく、吐きそうになる。

 斎藤さんは西武新宿駅に向かって先を歩いていた。質屋のウィンドウに飾られた商品や、すれ違う胸元の開いた服の女性に視線を移しながら。通いなれた路を散歩するように。鼻歌まじりで。

 しばらく歩くと、大通りから外れて狭い路地に入った。汚れたビルの前で立ち止まる。店名の下に『Snack』や『Karaoke bar』と書かれた看板が連なっていた。
 このビルで、どんなことをされるか分からない。でも、自分に都合の悪いことであるのは明確だった。脅し……もしくはリンチとか。
「ほらっ、早く行け」
 銀縁メガネの男が尻に軽く膝蹴りを入れてくる。

 逃げるなら今だ。

 頭の中で、自身の声が聞こえる。これ以上進むと、後戻りはできない。
 分かっている。分かってはいたが、脚が思うように動かない。命じられるがままにビルの中へと入ってしまう。そのまま、地下へと通じる湿った階段を降りた。

つづく

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#創作大賞2023

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ほろ酔い文学

リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。