見出し画像

(小説)白い世界を見おろす深海魚 22章(会話の寂しさ)

【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。

【前回までの話】
序章 / 1章 / 2章 / 3章 / 4章 / 5章 / 6章 / 7章 / 8章 / 9章 / 10章 / 11章 / 12章 / 13章/ 14章 / 15章 / 16章 / 17章 / 18章 / 19章 / 20章 / 21章 



22

 席に着くと塩崎さんはメニューを手に取り「ビールでいい? 生魚食べられる?」と訊いてきた。メニューを注文するのは男性の役割だと思い込んでいたから、意外だった。ビールで乾杯をすると、店員がコンロと豆乳の入った鍋を持ってきた。

「すっごくおいしそう。見て見て」と塩崎さんは感嘆の声を上げた。鍋を覗き込んでから同意を求めるように顔を上げる。ぼくも鍋を覗いてみた。白く濁った液体にせりや白菜、鶏肉が浸っていた。彼女はお通しを摘んだ箸で、鍋のなかを無造作にかき混ぜた。「直箸でごめんねー」と。

「年末は実家に帰るの?」
 もう一口、ビールを飲んで、塩崎さんは訊いてきた。

「んー、多分」とぼくは曖昧な返事をした。
 塩崎さんはどうなの……と質問を返そうとしたが、喉の奥でつかえてしまった。彼女は口を閉じて、ジッとぼくの顔を見つめていたから。

 箸を動かす手が止まる。

 その場にぽっかりと浮かぶ沈黙。ぼくと塩崎さんの間に置かれた鍋だけが、グツグツと間抜けな音をたてていた。

 何秒経ったのだろう。彼女は口元には笑みを戻した。

「ねえ……」と上目遣いになる。その表情は、イタズラをたくらむ夜の猫のようだった。見過ごさなきゃならないものに目を留めてしまったようで、少し不安な気持ちになる。

「『多分……』ってなに? 年末年始は実家に帰る人が多いのに、なんで安田君は『多分』なの? そのわけを聞かせてほしいな」

 流されてもいい言葉を止めた。なんでここを掘り下げようとするのだろう。ぼくは、こうやってわざわざ夕食を共にして話すほどのモノなんか持ってやしない。人に誇れるものも、笑わせるジョークのセンスも、興味を持たせる知識もない。ただ、つまらない日常を過ごしている。塩崎さんが求めているものは、多分何も出てこない。

「あっ、いや……だからさ」

 言葉につまっていると、彼女は助け舟を出すように「実家に帰りたくない理由でもあるの?」と聞いてきた。

「まぁ、なんだかさ……」

 視線を彼女の顔から手に移した。
「いいよ。ゆっくりで」と、マニキュアを塗った小ぶりの爪が動く。

「帰りたいようで……帰りたくないんだ。故郷に帰って懐かしい人と会ったり、思い出の場所へ行ったりすることで過去の自分と、今の自分とを比べてしまうのが恐いんだよ。東京みたいに、人と人、人と場所、時間と時間が切り離された空間なんてあそこにはないからさ

 そこまで喋った時点で通じているだろうか……と不安になる。顔を上げると、目を細めている彼女がいた。ぼくを凝視しているようで、なにも見ていないようでもある。どうしていいか分からないから話を続けた。

「もう故郷に戻るのが怖いんだ。だけど東京にいることにも違和感がある。たまに自分が、本心とは切り離された借りものになったような気がするんだ。大勢の人と一緒にエスカレーターに乗っていたりすると、たまにそんな考えが浮かんで、怖くなって……叫びそうになる」

 一通り話した後で、後悔した。彼女は眉を曲げて、理解に困った顔をしていたから。

「ふーん、そっかぁ……」と、煮えた鍋にオタマを入れて、皿に取り分ける作業に入った。

つづく

【次の章】

【全章】
序章 / 1章 / 2章 / 3章 / 4章 / 5章 / 6章 / 7章 / 8章 / 9章 / 10章 / 11章 / 12章 / 13章/ 14章 / 15章 / 16章 / 17章 / 18章 / 19章 / 20章 / 21章 / 22章 /23章 / 24章 / 25章 / 26章/ 27章 / 28章 / 29章 / 30章 / 31章 / 32章 / 33章 / 34章 / 35章 / 36章 / 37章/ 38章 / 39章 / 40章 / 41章 / 42章 / 43章 / 44章 / 45章 / 46章 / 47章 / 48章 / 49章/ 50章 / 51章 /52章 / 53章 / 54章 / 55章 / 56章 / 57章 / 58章 / 59章 / 60章 / 61章/ 62章 / 63章 / 64章 / 65章 / 66章 / 67章 / 68章 / 69章 / 70章 / 71章 / 72章 / 73章/ 74章 / 75章 / 76章 / 77章 / 78章 / 79章 / 80章 / 81章 / 82章 / 83章 / 84章 / 85章/ 86章 / 87章

#創作大賞2023


リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。