#エッセイ
関係につける名前なんて問題にならないぐらいの、あなたなのだ。――「ことぱの観察 #15〔友だち(訂正)〕」向坂くじら
詩人として、国語専門塾の代表として、数々の活動で注目をあびる向坂くじらさん。この連載では、自身の考える言葉の定義を「ことぱ」と名付け、さまざまな「ことぱ」を観察していきます。
友だち(訂正) 三十になろうかという秋の夜、「お友達になりたいです」と言われた。この、もっぱら人づきあいが苦手で、友だちの少ない、そして「友だち」という語のうまく使えない、わたしが。そうメッセージをくれたのは同年代の女性で
幸せを取りこぼさない方法
初めて来た外国で、気が付けばまったくタクシーの来ない場所に取り残されていた。困っていると、知らない青年が「お金を払ってくれるなら俺が街まで送ってあげるよ」と提案してきた。あなたならその車に乗る? 乗らない?
今日は幸せを取りこぼさない話がしたい。
私の周囲には幸せな人が多い。私も概ね幸せな人生を送っている。生きていく上で、辛い思いもしたし哀しい出来事も経験した。苦い経験も頭を抱えるような気持ちで
自分の料理力が試されているような気持ちになる。「冷蔵庫の食材テトリス」――料理に心が動いたあの瞬間の記録《自炊の風景》山口祐加
自炊料理家として多方面で活躍中の山口祐加さんが、日々疑問に思っていることや、料理や他者との関わりの中でふと気づいたことや発見したことなどを、飾らず、そのままに綴った風景の記録。山口さんが自炊の片鱗に触れ、「料理に心が動いた時」はどんな瞬間か。皆さんは、冷蔵庫の中に中途半端に残った食材を前に頭を悩ませた経験、ありませんか?
※第1回から読む方はこちらです。
#4 冷蔵庫の食材テトリス 一週間ほど
“価値ってどういう意味?”
何処で覚えてきたのか、息子が不意に私に訊ねました。
価値。
さて、4歳児に「価値」を説明するには、どのような対話を展開するのが良いでしょうか。私は「大人になれば分かる」という文言は使いたくないのです。答えを与えずとも考察のヒントになるような対話が、親子間にも持たれるべきだと思います。
人によって「価値」の考え方は違うと思うけど、と前置きしてから、
「どれくらい大切なものと感じるか」
心理的境界線とは何か 【実践心理学】
心理学領域に「境界線」という言葉があります。
それは他者と自分との心理的な境界線であり、自己防衛に働いたり、他者を守ることに有効だったり、好ましい人間関係構築には必須となる境界線です。この線引きがうまくいかないと多岐にわたるトラブルに見舞われたり、逆に人間関係のトラブルに遭うことの多い人は境界線に問題を抱えていることが多いと云われています。
心理学領域における境界線という概念については、
「二つの脳、二つの心」を生きる
金曜日にドイツ語のインテンシブコースが終わって一抹の寂しさを感じている。
たった3週間だったけど深く学べた時間だった。
今までもオンラインでドイツ語学習をやってはいた。でもそれは会話中心で、文法を深く学んだのは9年ぶりだった。
ゲーテはドイツ語学校として本当に優れた学校だけど、受講料がとても高いことでも有名だ。
ゲーテの先生が優秀というのは以前も受講して知っていたけれど、今回更に分かった事があっ
「やってみた」の最後に
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この半年、いろんなことを「やってみた」。
最後に「やってみた」ものをご紹介してこのマガジンを終わりたい。
(そしてこの最終回だけ、なぜかですます調ではなく「である調」。統一感なく申し訳ない)。
電子書籍とペーパーバックを作るまでの間に、いろいろなサイトやブログを参考にした。
「〇分でわかる」とか「こうすればOK」み
Movie10 語り合う調べ【Itzhak/イツァーク〜天才バイオリニストの歩み〜】アジアンドキュメンタリーズ
久しぶりにアジアンドキュメンタリーズを観た。
『Itzhak/イツァーク〜天才バイオリニストの歩み〜』
《ノーカット完全版》
2019年、NHKBSで放送されたらしい。
イツァーク・パールマンについて、特別知っていたわけでも、詳しいわけでもなかった。ただ、とても有名なバイオリニスト、という知識だけはあった。
私はバイオリンの音色が好きだ。ピアノとバイオリン、甲乙つけ難いが、バイオリ
ソーヴィニヨン・ブランな女
いかなる形容詞も言葉が足りない。
ただ「ソーヴィニヨン・ブランは風だ」とは言っていい気がする。
ソーヴィニヨン・ブラン。白ワインの品種。銘醸地フランスのボルドーの赤ワイン品種、カベルネ・ソーヴィニヨンが鉄の女としたら、ソーヴィニヨン・ブランは爽やかな貴公子だ。
おっと。ソーヴィニヨン・ブランの話をする時、形容詞の扱いには慎重にならなければいけない。「爽やか」というと、なんだかそれはひどく薄っぺら
たとえそれが神の言葉でも、真偽は自分で考える。
厨二病真盛りの中学2年生の頃、「人生」や「死」について底知れぬ恐怖を感じながら哲学書を読み漁った時期がありました。
絶望を死に至る病と称したキルケゴールは、当時大きな衝撃を受けた哲学者のひとりです。
彼は絶望、即ち死に至る病から脱却するための鍵は「神への絶対服従」にあると説きました。
これはどういうことかと考えても彼の書籍だけでは何か足りない感覚に陥り、厨二病な私が次に手を伸ばしたの