記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

Movie10 語り合う調べ【Itzhak/イツァーク〜天才バイオリニストの歩み〜】アジアンドキュメンタリーズ

 久しぶりにアジアンドキュメンタリーズを観た。

『Itzhak/イツァーク〜天才バイオリニストの歩み〜』
《ノーカット完全版》

 2019年、NHKBSで放送されたらしい。

 イツァーク・パールマンについて、特別知っていたわけでも、詳しいわけでもなかった。ただ、とても有名なバイオリニスト、という知識だけはあった。

 私はバイオリンの音色が好きだ。ピアノとバイオリン、甲乙つけ難いが、バイオリンの方が弾き手に好悪を感じやすい。何故かは考えて見たことがなかったが、この映画を観て理由がわかった気がした。

 この映画。Twitterの映画紹介でちらりと見かけて、どうしても観たくなり、ちょっとだけ観てみようかなと思って再生したら、ちょっとだけ、どころか最後まで目が離せなくなってしまった。

 まあだいたい、アジアンドキュメンタリーズの映画はそうなのだ。気軽に見るとドツボにハマる。特別言及したいと思わないものもあるが、基本的には観てよかったと思う映画が多い。考えさせられ、しばし沈思する。

 今回の映画は、20世紀後半における最も偉大なヴァイオリニストのひとりと言われるイツァーク・パールマンの「プロフェッショナル仕事の流儀」(または「情熱大陸」)だ。日常を追い、仕事を追い、気の利いた冗談と音楽と自分の哲学を語る素顔のイツァーク・パールマンを追うドキュメンタリー。

 イスラエル、テルアビブ出身。4歳の時にポリオ(小児マヒ)に罹り、両足が不自由になる。テルアビブ音楽院で天才と賞され、10歳で初のリサイタル。13歳の時に招待されてエド・サリバンショーに出たのがきっかけで渡米。その後、母と二人でNYに移り住み、ジュリアード音楽院に学び、17歳でデビュー。18歳でレーヴェントリット国際コンクールで優勝し、アメリカの主要オーケストラからの共演依頼が殺到したという。
 21歳の時からレコーディングを始め、グラミー賞やエミー賞など各種のレコード賞はほとんど受賞している。
 48歳のときには『シンドラーのリスト』の演奏をし、64歳のときにはオバマ大統領就任式でヨーヨー・マと演奏(これについてはちょっと物議を醸しだしたこともあったようだが)、今は多彩な活動をしながら、ジュリアード音楽院で教鞭を取っている。現在、77歳。
 2020年には日本での演奏会は最後にする、と宣言した演奏会がコロナ禍で中止になっている。ファンの方々は返す返すも残念だっただろう。

 華麗なる経歴だが、野球が好きで、気さくで、電動車いすでどこへでも出かける。演奏したい場所ではジャンルにこだわらずどんな曲も演奏する。ビリー・ジョエルとも共演していて、この映画で私は久しぶりにビリー・ジョエルの元気な姿を観た。親しく交際のある米国の俳優アラン・アルダとの会話も面白かったし、マルタ・アルゲリッチとのリハーサルシーンは痺れた。マルタ・アルゲリッチの普段の姿なんて初めて見た。

 以前、YOSHIKIさんの3年に渡る取材の末の「プロフェッショナル」を観たが、YOSHIKIさんは生活が謎めいていて撮影の制限も多く、人をけむに巻くような話し方できっとスタッフは大変だったんじゃないかなと思ったことがある。今回の映像で観たイツァークさんは、そのバイオリンの音色のように声がとてもよく、冗談やダジャレを連発しながらよく話すので、スタッフは楽しかっただろうと素直に思う映像の数々だった。
 しかも奥様がステージ妻というか、なかなか個性的な奥様。
 音楽家である夫のよきアドバイザーであり批評家で、熱烈なイツァークファンだ。スタッフが気を遣うべきは奥様のほうだったんだろうなと、なんとなく想像した。でも気難しいタイプではなく、ちょっと平野レミさんっぽい雰囲気だ。もしかしたらイツァークさんより喋ってるんじゃ…という感じだった。イツァークさんと奥様の二人三脚といった印象を与えた。彼ら夫婦は若い時からメディアで活躍しているので若い時の映像もたっぷりある。

 撮影された自宅は、今年になって売却されているとネットで見た。映画はある意味貴重な映像と言えるかもしれない。

 敬虔なユダヤ教徒で、時には自虐めいたギャグを取り混ぜながら、苦労して育ててくれた両親、そして祖父母に思いを馳せていた。
 奥様もユダヤ系アメリカ人で、パークマンは奥様の姓。結婚を機に帰化しているのかもしれない。イツァークさんのファンには常識の事なのかそのあたりのことは特に語られなかった。

 ジュリアード音楽院で生徒たちに教えているときのフレンドリーでありながら刺激的な授業もよかったが、バイオリン修復家を訪ねたときのストラディバリウスの点検シーンもなかなかの見どころだ。しかしなにより、イスラエルで、イツァークさんが子供のころにお世話になったというバイオリンショップを訪ねたときのシーンが忘れられない。

 その店主の名はアムノン・ヴァインシュタイン。イスラエル在住の楽器修理人だ。


 戦時中、かなりの数のユダヤ人がアウシュビッツにバイオリンを持って行ったのだという。当然、ドイツ軍に接収された。戦後、様々なバイオリンが楽器修理人アムノンのところにもちこまれた。そのエピソードをまとめたのが、上記の本だ。

 映画の中では本に触れてはいなかったが、イツァークさんと様々な話をする中で、オーケストラの演奏者は生き残ったが、戦後もバイオリンを弾き続けたのは1人か2人だということが語られていた。「生き残るための演奏家」が数多くいたということだった。

 また、ユダヤ人がなんらかの理由でドイツ人にバイオリンを預けたら、そのドイツ人は勝手に表板を外し、その裏に「ヒトラー万歳」と書いて持ち主に返し、そのユダヤ人は生涯それを知らずにバイオリンを弾き続けた、という話も衝撃だった。それに対し、イツァークさんは「(そのバイオリンに)弦は絶対に張ってはだめだ」と憤っていた。

 アムノンは言う。

「ユダヤ人にバイオリニストが多い理由をアイザック・スターン(ウクライナ出身のユダヤ系バイオリニスト)はこう語った。”手に取って逃げやすい楽器だからだ”と。演奏を聴いているときは収容所から解放された気分になれた。その5分間が何を意味するか?たとえそれが錯覚でも彼らにとっては救いだった。それがバイオリンの力だ」

 バイオリンの魅力について、イツァークさんは若い頃の映像でこう言っている。

 ピアノは組み込まれた機構によって機械的に音を出す仕組みだが、バイオリンは違う。弓を弦に置き音を出すだけでも難しいバイオリンは、音を出すことが出来ればそれは自分の心から出た音だ。心が豊かであるほど豊かな音が出る

 聞こえてくる音に応えているだけ、というイツァーク・パールマンの「音」がたっぷり溢れている83分。

 にっこりと微笑んだり、難しい顔をしたり、実に表情豊かに、語り合うようにバイオリンを弾く演奏家の魅力にとりつかれる。何度も言うが、話す声がいい。彼の話す声とバイオリンの音色をずっと聴いていたくなる映画だった。



この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?