「月光に溺れる」第二十二話

    二十二

「俺は唯、自分は無知だと思ったから、聞いた方が早いかと思って」
「分かんない事は自分で調べるんだよ。それ、何の為に持ってんだい」と里が紀ノのポケットから覗いているスマートフォンを指差した。
「ググるってんだろう。私だって出来るよ。それを紀ノ・・・あんた馬鹿だねえ」
 里は一人入り口付近に停滞して、彼の言葉を反芻しては紀ノを何度でも馬鹿呼ばわりで呆れ返っている。紀ノはもう居た堪れな

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「月光に溺れる」第二十一話

          二十一

 紀ノは危うい立場に立たされながらも、案外冷静に相手を量る事が出来た。心理的に余裕が無いのはどうやら男の方であって、紀ノは過日見せつけられた眩いフロアのソファでの光景も、劇の一幕に過ぎなかったのだと思った。この男にしてみても、あの人を真実振り向かせられているわけじゃないらしい。そう気が付くと最早何がどう転んでも平気であった。殴られるのは好きじゃないが見縊られるのは嫌で

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「月光に溺れる」第二十話

    二十

 十二月も半ばを過ぎて、そろそろ寒さが街に定着して来た。いつもの如く一同は、と云って実丸は不在であったけれど、四人はバーへ集った。冬の寒風に曝されては上着の前掻き合わせて入って来て、マスターがフロアへ用意した石油ストーブ目に留めては、いいねと一様に声上げて先ずはそちらへ手を翳し、少し温まってから席に着くのが、示し合わせたかのように来店客の通り道になっていた。今夜はカウンターに並んで

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「月光に溺れる」第十九話

      十九

 夜更けにバーを出て、里は今晩も尋常に歩いて帰宅の途に就いた。玄関の鍵穴に使い慣れた鈍い銀の鍵を差し込んで、扉を引く。古い家で、扉の右側を少し持ち上げなければ滑らかに開ける事が出来ない。それでもがたがたと音がする。洗面を済ませた里は先ず仏壇の前へ膝下ろす。仏壇の正面に置く座布団をひょいと横へ移して、畳の上へ直に正座すると、鈴(りん)を一回だけ鳴らして手を合わせた。
「お前さん、

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「月光に溺れる」第十八話

    十八

 或る日例の常連客が一番上等のいつもの席で泉を座らせて飲んでいる処へ、予定に無かった里がひょいと現れた。クラブは大慌てで席の配置を算段し始めて、ところが里は泉を見つけるなり仲間に入れてくれと云い出した。泉は常連の男を見た。男は泉の店を乱さない為と、自分の価値を下げない為に愛想良く里を受け容れた。里は遠慮なく泉の隣へ腰を下ろした。男と里は泉を挟んで座る格好になった。里の態度からして、

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「月光に溺れる」第十七話

     十七

 初雪のちらつく寒い日であった。紀ノは上着の前を首元迄締め切って、雪の中、足元の悪い歩道を歩いていた。昼間の内に食料を買い込んでおくべき処、午後になってやっとの外出で、昨日陽射しのある内に出掛けなかった自分を恨みながら、前傾姿勢である。上空からしきりと舞い降りる白いのは、風が無ければそれなり華憐な振る舞いをするが、更に寒気が流れ込むと一気に上から斜めから吹き荒れて厄介者になる。予

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