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#読書
【読書コラム】アメリカ版浦島太郎ことリップ・ヴァン・ウィンクルって、結局のところ、どんな人なんだ? - 『リップ・ヴァン・ウィンクル』ワシントン・アーヴィング (著), アーサー・ラッカム (絵), 高橋康也 (訳)
君はリップ・ヴァン・ウィンクルを知っているか?
アメリカ版浦島太郎として、かつて、映画『野獣死すべし』の中で、松田優作が瞬きひとつしない長台詞で、その物語を語ったことがなによりも有名。夜汽車で刑事に向かって、弾丸が一発だけ入った拳銃を撃ちながら、淡々と説明していく。
これが恐ろしいのなんの。松田優作という役者が未だに伝説であり続ける理由がよくわかる。途中、戦場らしき残酷な写真が差し込まれ
HKB(10)日本に電話を広めた沖牙太郎の起業家精神(前編)
沖牙太郎、広島を飛び出して上京する2024年(令和6年)の日本の携帯電話加入数は、約2億2000万件だそうです。また、固定電話の加入数は約6000万件となっています。
従って、携帯電話と固定電話の合計加入数は、約2億8000万件となります。(総務省統計局資料による)
日本で「電話事業」が始まったのは、1890年(明治 23年)年のことでした。当時の加入者数は、わずか197件でした。
つまり、
HKB(11)日本に電話を広めた沖牙太郎の起業家精神(後編)
この記事は「前編・後編」の2部構成となっています。前編をまだ
お読みでないかたは、以下のリンク先から是非どうぞ
沖牙太郎、「明工社」を起業する「ヤルキ社」を設立してから、沖牙太郎はこう考えるようになりました。
「世運の趨勢を察するに,文明の進歩はしんしんとして 留まる所を知らず,就中、なかんずく電気の応用に至つては,到底測り知るべからざるものがある。如しかず、速かに官を辞して、将来に望み多き
【読書コラム】ラスト1行が衝撃過ぎて、思わず「あっ!」と声が漏れてしまった「忘れえぬ人々」 - 『武蔵野』国木田独歩(著)
今度、日本の自然主義文学について話す機会があるので、いろいろと代表的な作品を読み込んでいる。議論の運びとしては島崎藤村『破戒』と田山花袋『蒲団』を中心にまとめ、後々、私小説というガラパゴスな進化を遂げたという方針を立てている。
残り時間はあと10日ほど。まだスライドは作っていないけれど、私小説とプライバシーの問題に触れるなど、いくらでも話題はあるだろうなぁと楽観している。だから、せっかくだし
ドストエフスキー作品を「わざとSF小説だと勘違いして」読んでみる至高の読書体験について
これまでnoteの上でもさんざん、「現代ロシアという国に言いたいことは山とあるが、ロシア文学は、純粋に、大好き」と公言してきた私。
そんなロシア文学の歴史の中で、
とりわけ好きな作家となると?
これまでもさんざん、トルストイ、ゴーゴリ、ブルガーコフへの敬愛をnoteで語ってきた私ですが、
※たとえばnoteでも何度もしつこく推していてスイマセンが、大好きな、コレとかね↓
しかし、↑こうい
HKB(6) チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(前編)
高野虎市、チャップリンの秘書となる高野虎市、シアトルへ行く
今から約100年前のこと。
移民としてアメリカへ渡った高野虎市(こうのとらいち)が、喜劇王、チャーリー・チャップリンの秘書になれたのは、いったい何故だったのでしょうか?
高野虎市(戸籍上は「虎一」)は、明治18年(1885)、広島県安芸郡八木村(現広島市安佐南区八木)の裕福な家庭に生まれました。
八木尋常小学校に入学しますが、学
HKB(7)チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(後編)
*本稿は、「チャップリンの秘書、高野虎市の「警鐘」(前編)」の続きになります。前編をお読みになっていない方は、リンク先の「前編」も是非どうぞ。
高野虎市、チャップリンの秘書をクビになる!ポーレット・ゴダードの浪費癖に「警鐘」を鳴らす
昭和12年(1932)、アメリカに帰ったチャップリンは、「モダンタイムス」の製作に取り掛かります。その時、主演女優を務めたポーレット・ゴダードと知り合います。