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皆さんの「広島」のイメージってどんなものですか? 還暦過ぎて「芸州広島愛」に目覚めた …

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皆さんの「広島」のイメージってどんなものですか? 還暦過ぎて「芸州広島愛」に目覚めた BUNTALK(文・トーク)が、知られざる「戦前の城下町 広島」の歴史・文化・生活を発信します。この記事が、皆さんご自身の「ルーツや故郷」を考える際の一助になってくれたら、嬉しいです!

マガジン

  • note小説集

    ・「電脳畑でつかまえて」上司に新しいスマホを勧められたヒロトは…… ・「ナイト・プール・ブギ」高校最後の体育祭に燃える3人の仲間たち…... ・「モネの日傘をさす女」パリのオルセー美術館で主人公が見たものは…… ・「YES!オノ・ヨーコ」就活で「お祈り」された主人公が…... ・「ようこそわらしべカフェへ」物々交換できるカフェでの人間模様…...

  • 広島郷土史(明治大正昭和編)

    広島の「明治大正昭和期」の文化や伝統行事などについて紹介します。あまり知られることのない広島の城下町が原爆で失われる以前の人々の生活や息づかいをお伝え出来たらと思います。

  • エッセイ(比呂暇太郎の広島今昔語り)

    比呂暇太郎(ヒロ・ヒマタロウ)が、「広島の今昔」を広島弁全開でしゃべりまくるというエッセイです。昭和レトロな芸能・文化の話題や、懐かしい広島の昔を語ります。

  • 広島郷土史(江戸・幕末編)

    浅野氏による広島藩の統治下での話題と幕末の広島藩についての話題を集めました。あまり知られることがない、原爆で城下町が失われる以前の、広島の伝統文化や政治状況についてご紹介します。

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はじめまして! 広島への郷土愛に目覚めた、BUNTALK(文・トーク)です。Noteには、主に「戦前の城下町広島」の歴史や文化、生活等をテーマにした、エッセイや小説などを投稿します。 県外への「転出超過」がワースト1位の広島 広島県が、2023年度「転出超過 全国ワースト1位」になってしまいました。若者が、どんどん県外に出てしまっているのです。 これは、広島には魅力がない、ということなのでしょうか? 少子高齢化に加え、若者世代の人口減少が加速することは地方の根幹を揺るがす

    • note小説:「電脳畑でつかまえて」(3/3 最終話 約4500字)

      *この小説は、記事3話の構成となっていますので、第2話をまだお読みでない方は、以下のリンク先からどうぞ * * * 時計が、午後5時を回ろうとしていた。 僕は、万里小路さんがオフィスを出るのをじっと待っていた。今度こそは、会社を出た後に彼女を捕まえて、真相を確かめるつもりだ。 「じゃーん! 小杉先輩っ!」 日葵さんが、僕のデスクのパーテーション越しに、いきなり顔を出した。 「うわっ、なあんだ、日葵さんか。びっくりしたなあ!」 「見積もりの直し、あれで良かったですか

      • note小説:「電脳畑でつかまえて」(2/3 約3000字)

        *この小説は、3話構成となっていますので、第1話をまだお読みでない方は、以下のリンク先からどうぞ。 * * * オフィスに戻ると、僕と万里小路さん以外、もう誰もいなかった。 ガラス越しに万里小路さんの部屋を覗くと、彼女はちょうど肩にバッグを掛けて帰ろうとしていた。 少し迷ったけど、報告は明日でもいいかと思い直して、僕は自分のデスクに座り、パソコンを起動して、今日の議事録を作り始めた。 そのとき、彼女が足早に部屋を出て、お先にー! と僕に声をかけながら、エレベーターへ向

        • note小説:「電脳畑でつかまえて」(1/3 約3500字)

          *この短編小説は、庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1961年、第61回芥川賞受賞作)へのオマージュです。 * * * そう遠くないうちに、スマホはマイクロチップのように小さくなって、耳たぶの中に埋め込まれる日がやって来るだろう。それがスマートグラスと連動して、眼の前に様々な情報が映し出されるようになる。 文字通り、スマホは僕らの前頭葉と、ひとつになるのだ……。 そんなことを考えながら、僕はデスクの上に置いてあるメタリックパープルのスマホを、ただぼんやりと見つめて

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        マガジン

        • note小説集
          14本
        • 広島郷土史(明治大正昭和編)
          8本
        • エッセイ(比呂暇太郎の広島今昔語り)
          14本
        • 広島郷土史(江戸・幕末編)
          8本

        記事

          HKB(7)チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(後編)

          *本稿は、「チャップリンの秘書、高野虎市の「警鐘」(前編)」の続きになります。前編をお読みになっていない方は、リンク先の「前編」も是非どうぞ。 高野虎市、チャップリンの秘書をクビになる!ポーレット・ゴダードの浪費癖に「警鐘」を鳴らす 昭和12年(1932)、アメリカに帰ったチャップリンは、「モダンタイムス」の製作に取り掛かります。その時、主演女優を務めたポーレット・ゴダードと知り合います。 チャップリンとポーレット・ゴダードは、その後急接近し、やがて一緒に暮らすようにな

          HKB(7)チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(後編)

          Noteを初めて4か月。多くのビューとスキに感謝致します!(8/6に捧げる投稿)

          ご挨拶Noteで「ひろしまさんぽ」を初めて約4か月が経ちました。これまでたくさんの方々に小生の記事を読んでいただき、また、数多くの「スキ」をいただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。 この場を借りて、改めて御礼申し上げます。 これまで、戦争で失われてしまった「知られざる戦前の城下町広島」を、少しでも多くの方にお伝えしたい、という思いで続けてきました。小生の記事が、皆様にとって何かの「気づき」になってくれていたら幸いです。 *サイトマップはこちらです  → ひろしまさ

          Noteを初めて4か月。多くのビューとスキに感謝致します!(8/6に捧げる投稿)

          HKB(6) チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(前編)

          高野虎市、チャップリンの秘書となる高野虎市、シアトルへ行く 今から約100年前のこと。 移民としてアメリカへ渡った高野虎市(こうのとらいち)が、喜劇王、チャーリー・チャップリンの秘書になれたのは、いったい何故だったのでしょうか? 高野虎市(戸籍上は「虎一」)は、明治18年(1885)、広島県安芸郡八木村(現広島市安佐南区八木)の裕福な家庭に生まれました。 八木尋常小学校に入学しますが、学校嫌いの「ガキ大将」であったそうです。上の写真は小学校時代の高野ですが、腰に手を

          HKB(6) チャップリンの秘書だった高野虎市の「警鐘」(前編)

          HKB(5)100年前のトリビューン(護民官)だった荒川五郎議員の「大予言」

          荒川五郎氏、苦学の末、衆議院議員に当選!荒川五郎氏、船越衛(ふなこしまもる)を頼り、上京する 戦前の、国会が「帝国議会」と呼ばれていた頃のことです。 明治37年(1904)、荒川五郎氏は、第9回衆議院議員選挙に広島選挙区から立候補し、初当選を果たしました。39歳の時でした。 荒川氏は、慶応元年(1865)に広島県山県郡八重村(現北広島町)で、刀鍛冶、荒川柳助の五男として生まれました。 広島県師範学校高等師範科に進み、小学校の教員となりました。若くして校長にもなりま

          HKB(5)100年前のトリビューン(護民官)だった荒川五郎議員の「大予言」

          HKB(4) 正岡子規の「広島は柳の多きところかな」から考える

          広島を訪れていた正岡子規正岡子規が広島で詠んだ句 明治28年(1894)3月、正岡子規は広島を訪れました。 陸羯南(くがかつなん)の主催する雑誌「日本」の従軍記者として中国大陸に赴き、日清戦争の記事を書くためでした。 しかし、従軍する予定だった東京第二近衛師団の宇品港出発が、4月28日までずれ込んだため、子規は約一か月以上も広島に滞在することになります。 その間、子規は広島で多くの句を詠みました。現在、広島市内に句碑として残されているものがありますので、そのいくつか

          HKB(4) 正岡子規の「広島は柳の多きところかな」から考える

          比呂暇太郎(14) 広島のたばこ屋さんとマーク・トウェイン!

          皆実(みなみ)にあった「広島専売公社」のたばこ工場最近 気がついたんじゃけどの 日本のTVドラマでもCMでも たばこの「た」の字も まったく 見んようになっとるけどの ほいじゃが 外資系の「動画配信チャネル」のドラマを 観よったら たばこ吸うシーンが ようあるんよ…… なんでかのう? おっと 挨拶するんを 忘れとったィや わしじゃ 比呂暇太郎じゃーや! わしが 若い頃 言うたら 「今日も元気だ たばこがうまい!」 いう宣伝が あったのィね 今どきじゃったら 「

          比呂暇太郎(14) 広島のたばこ屋さんとマーク・トウェイン!

          比呂暇太郎(13) 世界初!「広島缶詰王国」で誕生した、むき身のみかんの缶詰!

          最近「缶切り」使うたことある?もうすぐ 梅雨じゃのう わしゃあ エアコンの「除湿」を  よう使うけえ そろそろ フィルターの掃除を せにゃあ いけんのう…… 元気しとる? わしじゃーや 比呂暇太郎じゃあや! こないだの ナポリタン 作ろうと思うてからの 近所のスーパーに トマトの缶詰 買いに行ったんじゃけどの ホールやら ペーストやら  国産やら イタリア産やら ようけあって 迷うてしもうたィや ほいじゃけど  最近の 缶詰は 引っ張ったら パッカーンって 

          比呂暇太郎(13) 世界初!「広島缶詰王国」で誕生した、むき身のみかんの缶詰!

          HKA(8) 毛利輝元と福島正則が夢見た「広~い島」!

          「広島」と命名したのは毛利輝元?天正17年(1589年)、毛利輝元は、新しい城を築くため現在の「広島」の地を訪れました。本拠地であった山城の吉田城(現在の安芸高田市吉田)を出て平城(ひらじろ;平地の城)に移るように、と豊臣秀吉に命じられたためです。 秀吉は、守りの固い吉田城に毛利氏がいたのでは、今後の政権運営の邪魔になると考え、攻めやすい平地に移るよう仕向けたと思われます。このあたりの事情は、「小田原攻め」の後、徳川家康が関東へ移るようにと秀吉に命ぜられたことに似ていま

          HKA(8) 毛利輝元と福島正則が夢見た「広~い島」!

          HKB(3) 原爆ドームと俘虜収容所と「バームクーヘン」!

          広島の産業育成のために建設された「物産陳列館」「原爆ドーム」は、かつて「広島県物産陳列館」として1915年(大正4年)に開館した建物でした。この場所は、元安川に面した旧浅野藩の米倉があったところで、物流の拠点にもなっていた市内繁華街の一等地でした。 その後、1933年(昭和8年)に「広島産業奨励館」に改称され、原爆により倒壊した後、現在は世界遺産に登録され保存されています。 この施設の前身は、1878年(明治11年)民間主導で造られた「物産陳列館」だったと言われています

          HKB(3) 原爆ドームと俘虜収容所と「バームクーヘン」!

          比呂暇太郎(12) 日本初のヨーグルトは「チチヤス」!チー坊もおるよ!

          6月1日は「チチヤス」が誕生した日なんで!大型連休が 終わってしもうたら こんだあ 梅雨入りかのう だんだん 蒸し暑うなって来たよのう 元気しとった? わしじゃ 比呂 暇太郎じゃあや! 6月1日は 何の日か 知っとる? 日本で初めて「ヨーグルト」を製造・販売した 広島の「チチヤス」いう会社のマスコット 「チー坊」の誕生日なんでェ! なんでか 言うたらの 野村 保さん 言う方が 裁判所の 判事さんを 辞めちゃってからの 「広島合資ミルク会社」を創業しちゃったんが

          比呂暇太郎(12) 日本初のヨーグルトは「チチヤス」!チー坊もおるよ!

          HKA(7) 旧暦6月1日は「命の充電」をする「氷の朔日(さくじつ)」!!

          旧暦の水無月朔日(6月1日)は霊力を復活させる日だった旧暦の水無月朔日(6月1日)には、古くから大切な意味がありました。 それは、「霊力の復活」を願う日だったからです。 元旦にお餅を食べることには、「霊力をいただく」という意味があります。 例えて言うなら、神様の力をいただいて「命の充電する」ということです。 6月1日は、ちょうど一年の半分の「折り返し地点」ですから、このあたりで、もう一度「霊力の復活」を願い、「命の再充電」をする必要があるという訳です。 古くから朝廷

          HKA(7) 旧暦6月1日は「命の充電」をする「氷の朔日(さくじつ)」!!

          比呂暇太郎(11) 広島の「旅行の友」に「ゆかり」ちゃん!!

          広島には美味しい「ふりかけ」があるんじゃ世の中 大型連休じゃけえ 何処もかしこも 賑やかじゃのう みんな 楽しゅうしとる? わしじゃあや 比呂暇太郎じゃあや! 旅行や行楽 言うたら お弁当じゃの! お弁当の おにぎりは  海苔を巻くのも ええが 「混ぜごはんの素」やら「ふりかけ」を混ぜた おにぎりも ぶち 美味いよのう! ほいで わしゃあ  「旅行の友」を思い出したんじゃ 広島で有名な「ふりかけ」のことィや 1901年(明治34年)に 広島の呉市で創業し

          比呂暇太郎(11) 広島の「旅行の友」に「ゆかり」ちゃん!!