HKA(7) 旧暦6月1日は「命の充電」をする「氷の朔日(さくじつ)」!!
旧暦の水無月朔日(6月1日)は霊力を復活させる日だった
旧暦の水無月朔日(6月1日)には、古くから大切な意味がありました。
それは、「霊力の復活」を願う日だったからです。
元旦にお餅を食べることには、「霊力をいただく」という意味があります。
例えて言うなら、神様の力をいただいて「命の充電する」ということです。
6月1日は、ちょうど一年の半分の「折り返し地点」ですから、このあたりで、もう一度「霊力の復活」を願い、「命の再充電」をする必要があるという訳です。
古くから朝廷では、この旧暦の水無月朔日(6月1日)を「氷の朔日 (こおりのついたち)」と言って「氷室(ひむろ:氷の倉)」を開き、冬の時期から地下に保存していた氷を食べる、という行事がありました。民間では、「氷餅」、つまり「かき餅(乾燥させた餅)」を食べる習わしがありました。
領民に慕われた広島藩第8代藩主 浅野斉賢(なりかた)公の「国主祭」
江戸時代(1800年代ころ)の広島藩では、旧暦の「水無月朔日(6月1日)」には「国主祭」が行われていました。
これは、広島城下の各町内に小さな祠を設けお供え物をして、藩主の長寿を祈るというお祭りだったのです。
広島藩の重役だった小鷹狩元凱(こだかりもとよし)氏が、明治になって著した「自慢白島年中行事」には、次のように記されています。
もともと、この「国主祭」は、広島藩第8代藩主浅野斉賢(なりかた)公のお誕生日である旧暦の9月21日を祝って、広島城下の竹屋町の住人、廣濱屋才次(ひろはまやさいじ)さんというひとが始めた祭祀でした。
それが次第に城下の各町内へと広まって行き、いつしか9月21日ではなく、6月1日になりました。
(ただし、竹屋町だけは、9月21日のまま国主祭を行ったそうです。このお祭りは明治4年の廃藩置県まで存続したとの事です)
古くからこの日が氷の朔日、つまり「命の再充電」を願う日であったことから、こうなるのはごく自然な成り行きだったのです。
広島藩第8代藩主 浅野斉賢(なりかた)公(1773~1830)は、多くの事績を残した名君として歴史に名を残されています。
藩主としての在位期間は、1799年~1830年までの31年間にわたり、この間、藩の財政再建や殖産振興策を進めたことにより、民生が安定しました。
また、「芸藩通史」の編纂を、頼杏坪(らいきょうへい:頼山陽の叔父)へ命ずるなど文化的な事業も行われました。
「国主祭」が広島城下で自然発生的に広まって行ったのは、多くの領民が斉賢公を慕っていたことの、なによりの証左と言えるでしょう。
浅野斉賢公の仁政を称える話として、以下のエピソードが残されています。
さらに、別のエピソードもご紹介しておきます。
かつての広島城下では、旧暦水無月(6月)が重要な時期だった
江戸時代の藩政期、広島では旧暦の水無月(6月)には、大切な行事が数多くありました。(詳細は、リンク先の筆者の記事をご参照ください)
(1)旧暦6月1日の 「国主祭」(本稿)
(2)旧暦6月17日の 宮島厳島神社の「管弦祭」と「御供船」
(リンク先)
広島郷土史:江戸時代編(2)厳島管弦祭には、広島城下から大船が繰り出していた!|BUNTALK (note.com)
(3)同日の広島城下での「厳島大明神・誓願寺」の縁日
(リンク先)
広島郷土史:戦中戦後編(2)丹下健三氏の「平和の軸線」|BUNTALK (note.com)
(4)同日の京橋川での「白島九軒町の火振り」
(リンク先)
エッセイ:比呂暇太郎(8)Calbeeの「かっぱえびせん」は、広島の川から生まれたんで!|BUNTALK (note.com)
江戸時代からある広島の祭りといえば、「住吉さん」「とうかさん」「えべっさん」が、現在でも「広島三大祭り」として有名です。
今は「広島の夏の行事」として、「広島平和記念式典」が新暦の8月6日に行われていますが、それ以外の主な夏のお祭りとしては「住吉祭」が挙げられます。
住吉神社(広島市中区住吉町)の「住吉祭」は、旧暦の6月(新暦では7月中旬ころ)に行われています。
この日、拝殿の前に設置された大きな「茅の輪」をくぐることで、厄払いができると言い伝えられています。また、罪や穢れを流すという「人形(ひとがた)流し」も行われます。
また、厳島神社の管弦祭にちなんで、漕伝馬船(こぎでんません)による神事が2011年より復活されました。
「とうかさん」と呼ばれる圓隆寺の「稲荷祭」は新暦6月にありますが、これはもともと旧暦の5月の「端午の節句」のお祭りでした。
また、「えべっさん」とも呼ばれる「胡大祭」は新暦11月の年末の胡神社のお祭りで、商売繁盛の縁起物「熊手」が売り出されることも有名です。
「祭り」の伝統を守り次の世代に継承してゆく原動力は、あくまでもそれを担っている「街の人々の心」です。
現代を生きる私たちは、原爆投下以前の「広島の夏」がどのようなものであったかを記憶に留め、夏に行われる「祭り」の意義をもう一度考えてみる必要がありそうです。
(参考文献) 中道豪一 博士著「古地図と歩く広島」(南々社)
尚 表紙のイラストは おくちはる|イラスト・デザインする人|note さんのものをお借りしました。誠に有難うございました。
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