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note小説:「電脳畑でつかまえて」(1/3 約3500字)

*この短編小説は、庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1961年、第61回芥川賞受賞作)へのオマージュです。

* * *

そう遠くないうちに、スマホはマイクロチップのように小さくなって、耳たぶの中に埋め込まれる日がやって来るだろう。それがスマートグラスと連動して、眼の前に様々な情報が映し出されるようになる。
文字通り、スマホは僕らの前頭葉と、ひとつになるのだ……。
 
そんなことを考えながら、僕はデスクの上に置いてあるメタリックパープルのスマホを、ただぼんやりと見つめていた。

ただぼんやりと見つめていた

「ヒロトくん、聞いとる?」
万里小路紗友里(までのこうじさゆり)さんが、大人可愛いボブの髪を右手の中指でさっと耳にかけながら、僕を見た。
 
僕は、この外資系コンサル企業の東京本社に2年前に入社した。入社して3か月後、新規に立ち上げられた広島支店に、いきなり配属となる。
そして巡り合ったのが、僕のボスである万里小路さんだったというわけ。
 
「ここのグラフって、意味あるんかいね?」
彼女は、タブレットの画面を白魚のような綺麗な指先でスワイプしながら、僕の作ったプレゼン資料のチェックをしている。
 
「ここで、具体的な実証データが必要だと思って……」
「でも、理屈だけで押し通すってカンジにならない?」
「……了解です! すぐ直します」
 
あっ、しまった! 
ここに配属された直後、彼女から教わった事は、仕事のときは「了解です」と「なるほど」は禁句なんよ、ということだった。
 
「あれ、それ禁句だったじゃ? ……けど、ヒロトくん、随分上手くなったわよ、資料を作るんが。あとは、本番でのトークじゃね!」
 
随分上手くなったわよ、と言う彼女の甘い声が僕の耳をくすぐったので、僕は菜の花畑をお散歩しているような気分だった。
 
実は、ここで潔く白状してしまうと、彼女に一目会ったその日から、僕は彼女に密かな想いを寄せていたんだ。
 
彼女はその場の空気が読め、よく気がつくひとだった。しかも落ち込んでいる時にさりげなく癒してくれる、という僕の女神様なんだ。
 
東京を離れて一人暮らしを始めた僕にとって、それまでカープとお好み焼きと原爆ドームというイメージしかなかった「広島」。
だが、彼女と出逢ったお陰で、赤と茶色と黒だった広島のイメージが、パステルカラーへとアップデートされたんだ。
 
「いいこと教えてあげる……」
彼女は悪戯っぽく微笑むと、メタリックパープルのスマホを取り上げて、顔の横でキラキラと振って見せた。
「これ、最新型の『J-Phone27』なんよ!」
「えっ? もう新型が出たんスか?」
「これはねえ、先行販売で手に入れたんよ。私が本通りのショップの店長に頼んどいてあげるけん、ヒロトくんも、機種変更しんちゃい」
「えっ? マジすか?」
 
「これ、生体認識機能付きなんよ。これを握ると、AIが血流や心拍数、血中ホルモン濃度などを検知し、持ち主の感情や思考を分析してくれる優れモノなんじゃけん!」

僕は呆気に取られて、彼女のベージュピンクの魅惑的な唇を見つめた。
「……よ、よくわかりませんが」
 
「だ、か、らあ! このスマホが、ヒロトくんのココロを分析して、的確なアドバイスをしてくれるんよ! きっと、プレゼンの時に役に立つわ」
 
「なるほど……」
「あっ、また言うた!」
「す、すみません、つい……」
「人前ですぐにアガッてしまうのが、ヒロトくんの弱点なんじゃけえ、これさえあれば大丈夫!」
 
月々の費用が気になったけど、昼休みのカフェ通いを自粛すれば何とかなるかと覚悟を決めて、僕は渋々頷いた。
「じゃあ、初期設定の心理テスト、性格判断とかのパーソナライズに時間かかるけえ、早めにショップに行くんよ。プレゼンは来週なんじゃけん!」
「はい! わかりました」

持ち主の感情や思考を分析してくれる優れモノなんじゃけん!

月曜日の朝。
僕が出社すると、柏木日葵(かしわぎひまり)さんが、左手にスプレー洗剤、右手に雑巾を持って僕の机の上を拭いていた。
「ああ、日葵さん、そんなことしなくていいのに」
「あっ、小杉先輩、おはようございます。私、新人ですから、これくらいしないと……」
 
先輩って呼ばれることに、僕はまだ慣れていない。なんだか背中がムズムズした。彼女はまだ入社したばかりで、地元広島の大学を卒業した新卒の子だった。
 
万里小路さんから、日葵さんのトレーナーを頼むわね、と指示されて以来、日葵さんは僕の後ろを金魚のなんとかのようについて来る。それが、ほんの少しだけど、面倒臭いような気もしていた。
 
日葵さんは給湯室から戻ると、つかつかと僕に歩み寄った。
「それはそうと、木曜日のプレゼンって、もしかして私も行くんですか?」
彼女は上目遣いで僕の眼を覗き込んでいる。
「ああ、日葵さんも、先方にご挨拶しなきゃだろ?」
「ええーっ? 私、緊張しちゃいます」
「ニコニコ笑っていれば、大丈夫だって!」
 
固い表情をしたまま、彼女は黙っている。
「それよりプレゼンのパワポの直しがあるから、手伝ってくれないか?」
「はい!」
彼女は言われたことはちゃんと出来る子だ。戦力になるまで育つかどうかは、僕のトレーニングにかかっているという訳か……。
 
僕は、買ったばかりの「J-phone27」を握りしめた。即座に液晶画面にアドバイスが表示される。
 
(部下を指導するには、まず良いところ褒めることが大事です。ただし、事実に基づくこと)
 
僕はそのメッセージを見て、新人をヨイショするのか? と疑問に思ったものの、とりあえず彼女にこう声をかけてみた。
 
「日葵さんが選んでくれたフォントが、柔らかい感じでとてもいいよ。全体のテーマにふさわしくて、ぐっと良くなった」
「えっ、そうなんですか?」
日葵さんの顔が、ほんのり上気した。
「嬉しいですう! そう言ってもらえると、私、頑張った甲斐があります」
 
彼女はあっという間に自分のデスクに戻り、力強くマウスを握りしめている。
「じゃあ、どこを直しましょうか?」
彼女は、まるで運動会で徒競走のスタートラインに立っているような気迫で、僕を振り返るのだった。

まるで運動会で徒競走のスタートラインに立っているような気迫で

木曜日のプレゼンは、成功裏に終わった。
始まる直前に、「J-phone27」からこうアドバイスを貰ったからだ。
 
(人前であがるのは、自分を良く見せたいと思うからです。始めに自分の過去の失敗談などを話して、自己開示をしましょう。楽になりますよ)
 
そこで僕は、初めて広島に来た時、万里小路さんから「ヒロトくんって、なんかエラそうね?」と聞かれたので、「いえ、入社してまだ3か月の新人です」と答えて笑われた、という話をしたら、これが何と意外にウケたんだ。
説明しとくと、広島弁で「エライ」というのは、「疲れた」という意味なんだ。
 
「小杉先輩、上手く行きそうですね!」
並木通りにあるカフェで、日葵さんが、アイスティーをストローでかき混ぜながら明るい声で言った。
 
「ああ、なんとかね」
「私も早く、小杉先輩みたいになりたいんです。でも私、自己肯定感が低くって……」
「ジココウテイカン?」
静寂なコーヒーショップに響き渡るような声で、僕はオウム返しに叫んでしまった。
 
「誰だってそうさ。世の中、自己満足しているやつらは掃いて捨てるほどいるけど、自己肯定感の高いやつなんか、そうはいないと思うよ」
「そ、そうなんですか? でも、この会社の先輩方って、皆さん立派なので、私なんかとても……」
 
僕も「自己肯定感」とは、まるで無縁の人間だ。彼女の気持ちはよくわかる。僕はテーブルの下でこっそりとスマホを握りしめ、チラと視線を落としてみた。
 
(自己肯定感を高めるには、過去ではなく、現在の自分に眼を向けることが大切です)
 
「日葵さん、それはねえ、過去の自分はこうだった、ああだった、と考え過ぎるせいだよ」
「えっ?」
「過去の自分は、許してあげなきゃ……。まずは、今の事だけ考えるんだ」
日葵さんは、大きな眼をパッチリ開けて僕を見つめている。
 
彼女は小首を傾げながら、ソプラノヴォイスで言った。
「……小杉先輩って、優しいんですね!」
「だって、日葵さんのトレーナーだからね」
 
僕はそう答えて、窓ガラスの外の行き交う人々に眼を移した。
「じゃあ、僕はオフィスに帰るよ。もう5時を過ぎてるから、日葵さんは直帰していいよ」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、今日はご苦労様でした。また明日な!」
僕は、珈琲をひと口を飲んで、ゆっくりと立ち上がった。

今日はご苦労様でした

                        (To be continued)
尚、表紙のイラストは 優谷美和(ゆうたにみわ)|note さんのものをお借りしました。誠に有難うございました。


 

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