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比呂暇太郎(14) 広島のたばこ屋さんとマーク・トウェイン!


皆実(みなみ)にあった「広島専売公社」のたばこ工場

最近 気がついたんじゃけどの
日本のTVドラマでもCMでも たばこの「た」の字も
まったく 見んようになっとるけどの
 
ほいじゃが
外資系の「動画配信チャネル」のドラマを 観よったら
たばこ吸うシーンが ようあるんよ……
なんでかのう?
 
おっと 挨拶するんを 忘れとったィや
わしじゃ
比呂暇太郎じゃーや!
 
わしが 若い頃 言うたら
「今日も元気だ たばこがうまい!」
いう宣伝が あったのィね

「今日も元気だ たばこがうまい!」のコピーが使われたポスター(昭和32年)       (出典:煙草と塩の博物館HPより)

今どきじゃったら
「今日も 元気だ たばこ 買うまい!」
になってしまうんかのう?
ほんま 広告コピーにも 隔世の感があるのう……
 
ほいじゃが 昭和の時代は そこら中 
たばこ吸いばっか やったでェ
 
喫茶店や 酒の席は もちろんのこと
バスや 電車の中でさえも 
あたり構わず 吸いよったィや
 
ほいで 思い出したんじゃが
広島市南区の皆実(みなみ)いうところには
えらい広くて でっかい「たばこ工場」が あったのィね
 
ざっと その工場の歴史を紹介するとの
 
最初は 明治38年(1905)広島市の段原町に
「府中煙草製造所 広島分工場」ができたんじゃ
もちろん当時は 大蔵省の「専売局」が やっとったんよ
 
たばこが 大蔵省専売局の管轄じゃったんは
「たばこ税」が 重要な「戦費調達」の手段じゃったからなんよ!
 
そのうち この工場じゃあ 製造が追いつかんくなったけえ
明治41年(1908)に 皆実町の陸軍用地を買収してから
 
大正13年(1924)になって ついに
広島専売局の「皆実工場」が完成したんじゃ
ここでは「敷島」や「朝日」なんかを製造しよったらしいで

戦前のたばこ「敷島」「大和」「朝日」「山桜」(出典:煙草と塩の博物館HPより)

上の写真のたばこの「銘柄」はの
日露戦争のころに 命名されたんじゃと
江戸時代の国学者 本居宣長(もとおりのりなが)の歌
 
敷島の 大和心を ひと問はば 朝日に匂う 山桜かな」
 
に由来しとるんじゃと
 
ほいでからの
♪どこ? どこ? どーこから 来ーるのか 黄金バァァァット!
おっと 違うたィや
「ゴールデンバット」も製造しよったらしいで!

大衆向けの紙巻たばこ「ゴールデンバット」(出典:Wikipediaより)

前にも言うたが 当時 広島は「軍都」じゃったけえ
陸軍の兵隊さんが ようけおったし
呉には 海軍も あったけえねえ……
煙草は よう売れたのィね

JTサンダースのルーツは「日本たばこ広島」

昭和20年(1945)8月6日にはの
「たばこ工場」は
鉄筋コンクリートの建物じゃったけえ 
倒壊こそ免れたが
死亡1名 負傷者約800名を出してしもうたんじゃ
 
被災直後 すぐさま たばこ工場を避難場所にして
生き残った職員全員で 被災者の方々の救護をしちゃったんよ
 
被爆から約2か月後の 10月半ばには もう操業を再開しちゃって
戦前からあった「ひかり」という銘柄のたばこの
製造を始めちゃったんじゃ

広島で そのたばこは「飛ぶように売れた」と 伝わっとるんよ……

杉浦非水さんがデザインした煙草のパッケージ(「光」は中央)出典:たばこと塩の博物館HPより

戦後 たばこの製造は 大蔵省じゃ無うなって
「日本専売公社」に変わってから の

昭和60年(1986)には こんだあ 専売公社じゃのうなって
「民営化」されて「日本たばこ産業(JT)」の広島工場に変わったんよ

 ほいじゃが残念なことに
「日本たばこ産業 広島工場」は平成14年(2002)に 
閉鎖になってしもうてからの 
今では イズミのショッピングモール
「ゆめタウン」になっとるんじゃ

ゆめタウン皆実店(出典:イズミ公式HPより)

ほいでの いまでもの
この敷地の一角には
Vリーグの「JTサンダース」の本拠地
「猫田記念体育館」があるんで!

現在の「猫田記念体育館」(出典:Wikipediaより)

えっ? 猫田さんって 誰か 知らんのん?
猫田 勝敏(ねこた かつとし)さんはの
広島の崇徳高校のバレー部出身で
「専売公社広島」の実業団の選手になっちゃってから
 
昭和39年(1964)の「東京オリンピック」から
4大会も連続して 出場しちゃって 
金・銀・銅の3個のメダルを獲得された「名セッター」じゃったんよ!
 
まさに 広島のレジェンド! と呼ばれるかたなんで!

モントリオール大会で旗手を務める 猫田勝敏さん (出典:JTサンダース公式HPより)

広島が本拠地のVリーグの男子チーム
「JTサンダース」は
この猫田さんの おっちゃった
広島専売公社チームのDNAを 継いどってんで!
それに 女子チームの「JTマーベラス」もあるんで!

「煙草屋のおばちゃん」は戦争未亡人が多かった?

若い衆は はー 知らんじゃろうけど
昔のたばこ屋さん 言うたら
「おばちゃん」がやっとる
街角の小さな店が 多かったィのう
 
なんでか 言うたらの
戦後には 夫を戦争で亡くした「戦争未亡人」のかたが
ようけ おりんさったのィね
 
ほいじゃけえ
その方々を 援助するために
昭和27(1952)年に 厚生省(当時)が
「母子福祉資金の貸付に関する法律」いうのんを 作ってから
 
「戦争未亡人」
「配偶者のない女子であって現に児童を扶養している者」として 
たばこの「小売り免許」を優先的に許可するようにしたんよ
 
現在 この法律は「母子及び父子並びに寡婦福祉法」に
名前が変わっとるがの
 
たばこの小売り店 いうのんは
銭湯みたいに 店の設置には 距離制限があるけえ 
近所に競合する店は 出せんしの
 
価格も決まっとるけえ 安売り競争もないし
電話で注文すれば 専売公社に配達してもらえるしの
 
ほいじゃけえ
自宅の一角を改造して たばこ屋にしてから
生計をたてよった方々が
全国にようけ おっちゃったんよ

懐かしい昭和のたばこ屋さん(出典:煙草と塩の博物館HPより)

「外国たばこ」とマーク・トウェイン

そういやあ 1980年代の後半は
「バブル全盛期」じゃったィのう

わしらみたあな「シティーボーイ」は
「Marlboro」やら「LARK」やら「KENT」やら 吸いよったし
「Salem」やら「KOOL」やら「Lucky Strike」もあったいのう

シャレオツな「外国たばこ」を吸いながら
大瀧詠一 やら 高中正義 なんぞの
「CITY POP」を よう聞きよったィや!
 
そういやあ このバブルの頃から 
煙草を買うんは
街角の「煙草屋のおばちゃん」じゃ 
のうなってしもうてから
自販機 やら コンビニに 変わってしもうた

あんだけあった 煙草の「自販機」も
はあ 見んようになってしもうたのう……
 
えっ、なに? 
いまは 何の煙草を 吸うとるんかって?
わしゃあのう はあ 歳じゃけえねえ
とっくに「禁煙」しとるィや!
 
かの マーク・トウェインも こう言うとったで!
“Quitting smoking is easy.  I’ve done it a thousand times.”
( 禁煙なんぞ みやすいことィや 
  わしゃあ さでこと したことあるけえの )

マーク・トウェインの肖像(ジェームス・キャロル・ベックウイズ画)

尚、表紙のイラストは、優谷美和(ゆうたにみわ)|note さんのものをお借りしました。誠に有難うございました。

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