お題

#ふるさとを語ろう

ふるさとへの思いやエピソード、ふるさとの魅力、ふるさとのためにできることなど、ふるさとにまつわる投稿を募集します。ふるさとのまちの名前のハッシュタグ「#●●●(自治体名など)」もつけてもらえるとうれしいです!

急上昇の記事一覧

おはようございます📘 何か幸運に恵まれた時、それを独占しようとすると運は逃げます。幸運を周りに広げるよう話すだけでも、その場が「陽の気」に、また運が訪れたくなります☕ 今日は青💙が開運の鍵🗝 いつも多くのスキ💕ありがとうございます。 今日一日良い日良い出会いがありますように

【ふるさとを語る】いつもの散歩スポット。小さい秋見つけた!【北海道・十勝帯広のご紹介】

🍁まえがき こんばんは🌛‼️ 茹だるような暑さだった北海道の夏も終わりを告げたようで、寂しいようなそうでないような微妙な気分の筆者です😅 昨日の夜は10℃まで冷え込み、紅葉シーズンに突入するのも時間の問題となりました🍁 …正直申し上げますと、最近わけもなく沈んだ気分でいました。なんでか分かりませんけども。 コレは気分をリフレッシュさせなきゃダメだなぁという事で、当初帯広市外の観光スポットにお出かけしようと思っていた予定を変更! いつもの散歩ルートで、小さな秋を探し

出だしちょっぴり、ヒガンバナ

兎に角、つつがなしや

へえ、子は鎹、言葉も鎹(かすがい) ブリッチのパーツ 該当商品の鎹は木造建築にでは無く、三角状に丸太にぶっ刺して上に鍋なりヤカンなりを置いて使ってくれと説明されています。 19世紀に発見されたツツガムシ病が何故か絵巻に古来の吸血妖怪のツツガの悪行として描かれるの如し。 時宜(てきぎ)に使ったら宜しい、鬼太郎とねずみおとこはスカイツリーの下でも連立ってのそのそ歩くのだから。 苦沙弥先生の先生が造った造語だとも聞きましたが、成る程。成立要件の漢字も、ひらがなも既に存在してい

【定期開催】9/29㈰「つながる市」~Vol.7~"発酵のちからで健やかな毎日"をテーマに三豊のお店を紹介!

三豊市にある【四国最大級】の「無印良品ゆめタウン三豊店」で定期開催している「つながる市」。今回、第7回を迎えるイベントに出店いただく 地域の事業者さんの魅力をご紹介していきたいと思います! より食を楽しめるワークショップも開催しますので、事前お申し込みはこちらをご覧ください📝 ▼9/1㈰ 前回のイベントの様子はこちら 前回は敬老の日が近かったことから、一緒に住むご家族や離れて住むご年配へのプレゼントにもピッタリの【和菓子】や【薬膳茶】、三豊市の名産である【高瀬茶】が並び、

Mediall「モリアオガエルの卵があるのは雪舟庭!山口市常栄寺のお庭をめぐる旅」を書かせていただきました

地元の資源を掘り起こす地方創生WEBメディア「Mediall」では、日本各地のライターが地元のオンリーワンやナンバーワンを発信しています。 私が書かせていただいのは、山口県山口市にある常栄寺です。 常栄寺を初めて訪れたのは、同じ山口市にある瑠璃光寺へ追加取材に出かけた帰り道でした。 山頂の毘沙門堂へ足を伸ばした私は、「モリアオガエル棲息池」の看板を見つけます。 昔、京都の檀林寺で見かけたモリアオガエルの卵を思い出しました。 「山口県でもお寺の庭の中で、モリアオガエルの卵

佐渡人の短歌

今住んでいる佐渡の家は元々遠縁の不動産でして。かなり家にあった物を処分しては下さっていますが、それでも昔の書籍などが客間の本棚に残っていたりしています。 読むも処分も自由、という事でほとんどそのままにしてありますが、町の歴史の本などもあり、興味深くパラパラ捲ってはいますが中々じっくり読む時間もなく。 現在家人が首都圏へ行って留守ですし、外は雨で畑にも出られないので昨夜から見ていたら、その中に自費出版の短歌集がありました。 「操園」高橋ミサヲ  お名前を見ても全く存じ上げ

#442 帰燕(きえん)

 午前中知人と、外での仕事をした。事前に、知人のサポートをする約束だった。仕事は、早く終わるとのことだった。私たちは、さっさと終わらせようと頑張った。結局2時間半ぐらいしてようやく終わった。  今日も、蒸し暑い日だった。  お昼からは、クーラーの効いた部屋ですごした。  3時過ぎ、晴れているのに、急に大粒の雨が降ってきた。妻は、あわてて洗濯物を取り入れに外に出て行った。20分ほどして雨が止んだ。私は外に出て行った。蒸し暑さは変わらなかった。まだ、アスファルトからの蒸し暑さ

第28回KANOかくれがマルシェ

#441 いつになったら・・・

 9月になり台風10号が、ゆっくりと九州から西日本を横断して、私たちのところにも大雨が降った。雨樋(あまどい)が経年劣化したので、天井から雨漏りがした。  翌日、早速知り合いの大工さんが足場を組んで応急補修をしてくれた。  その日には、稲刈りも終わり、その後、新米の発送・新米パーティーまであわただしい日々が続いた。  台風が通過後、私たちのところに猛暑が戻ってきた。  今日もむし暑い日だった。午後から雨樋の修理のため、職人さんが来てくれた。炎天下の午後屋根に上って作業をしてく

大沼の素敵なセレクトショップfoufou(フフ)

今日は大沼ナビゲートします。 JR大沼駅の前にガレージを改装した可愛らしい木造のお店、foufou(フフ) とってもセンスのいい素敵なカップやお皿などの食器やビーズやパールのアクセサリー、トートバッグ、ブラウスや紅茶など ちょっとしたお礼の品、プレゼントを選びに行ける場所です。 小さな店内では心地よいおしゃれなジャズが流れてて可愛らしいお店の店主セイコさんが優しくアテンドしてくれます。 私はお祝いのお返しを選びにさりげないプレゼントを探してました。 ゆっくりとじっくりと見せ

「戻りたいよぉ!!」詩―シロクマ文芸部企画「懐かしい」参加

稲は 秋風と 手を取り合って サカサカと 身を揺らす オレンジ色に 染まっていく空 朝日に そっと手を合わせるバアバ 暖かな光が 手のひらに包まれる 老犬は 小屋の前で ゆるゆると 大あくびする 懐かしい 故郷の田舎言葉 「坊や おいでんせぇ~ まあ あがりんせ~~」 バアバの手作り おはぎが 丸い ちゃぶ台の上で 甘い 匂いを ふりまいて 出迎えてくれる 裏の池で ジイジとザリガニ釣り ジイジは 節くれだった指で チョンチョン釣り上げる ボクは ちょっと固まって バケツ

楽しき故郷滞在記その1

オカンの気遣いで先日、カミさんと2年ぶりに故郷の宮崎を訪れた。 せっかくなので1日ごとに分けてnoteに残すことにします。 前回はあいりきプログラムの開催で福岡に行ったついでに逗留したり宮崎で開催したときに逗留したりと頻繁に行く機会があったけど、 去年は新たな仕事に就いてちょっと余裕がなかったから(主に金銭面…とほほ) オカンの勧め…というか仕送りだけど帰省することになって心が躍った。 わしは幼い頃から宮崎が大好きで夏休みに帰省すると横浜に帰るのが凄まじくユーウツだった。

行政、老人、猛LOCK ON

本日、9月15日は『老人の日』そんで、平成の中頃の法改正で明日16日が『 #敬老の日 』で15〜21日は『 #老人週間 』だそう。 …そのうち都合で『老人月間』に成りそうだがそれだと防災月間と被るナア。 たまに、随分と暇で街で図書館に寄ったり、プロ市民気取りで議会の傍聴に挑んだりすると居ますなご老人方も。「俺と同じで金払い無しが主目的か…」と思いつつ、少なくとも足腰立って動ける老人が「智益、権利の探求」に挑めるのは良い事だと思います。 切ないのは弱って、老人ホームや病院

【短歌】0912 郷愁

セイタカアワダチソウの向こうに とかげが一匹駆けて行くから 追いかけるわたしは田舎のアリス 通学路に横たわる 疲れ果てた古代生物は ずいぶん経ってセメント工場と知った 裏山を通って隣町に行くのは いけないことのような気がして ふと振り返る 整えられた見知らぬ住宅街の下には かつて放したメダカが眠っている からすうり あけび ぐみのみ やまぶどう 教わった時の色のままで秋がまた来る

商店街のお茶屋さん、河村玉煎堂で味わう茶葉の風味が閉じ込められたかき氷

周南市のJR徳山駅前には、昔ながらの商店街が広がっています。 今回ご紹介する河村玉煎堂さんは、中央街にあるお茶屋さんです。 夏の間、店頭でいただけるのがお茶の葉と抹茶を閉じ込めた千利氷を使ったかき氷! 茶葉の風味がギュッと閉じ込められた大人のかき氷をいただきながら、周南のお茶文化をお聞きしました。 河村玉煎堂とは?昔からの面影を残す徳山駅北口の中央街の入り口近くに、河村玉煎堂さんがあります。 「昭和21年からこの地で店を構えています」 そうお話を聞かせてくださったのは

「9月のしあわせ」詩―クロサキナオさんの企画参加

クロサキナオさんの企画「9月!」に参加させて いただきます。クロサキさん どうぞよろしく お願いいたします 「9月のしあわせ」-詩― 追憶九月の 夜空では 王女の星 アンドロメダが 天頂 高くから  地上を 眺めてる 秋の女神は 平安の都から わざわざ 摘んできた 薄紫のシオンの 花を抱え 去って行く人の 影追って 月の原を さまよう つましい楽しみ街の 小さな家の ふるいドアと 花をかざった出窓は ぼんやり 入日色にそまり おかあさんの 栗を 剥く手に ご飯の湯気が 

立ち読みとお腹

初めて、文庫本を、夏目漱石を買った書店へ久々に行きました。平日の昼間のみ営業で、二階まであった店舗は地域の区画整理を経て一階だけの小さめのコンビニ程の大きさに。本は雑誌と少年漫画だけ残っていて他は取り寄せが基本だそう、店舗の外に並んで雑に立ち読み若しくは購買欲を誘っていたものだけが、文房具と一緒に残っているのはちょっと不思議。 貧乏の盗み読み、確かにお腹緩くなる程だと没頭していた、集中力が働いていた気がします。場合によってはに座位の長文読みよりも、当然同じ都合好くの冷やかし

願いをのせて 清流通り灯ろう流し

新型コロナウイルス感染症が蔓延し、さまざまなことができなくなっていた頃、山口県周南市鹿野で始まった「清流通り灯ろう流し」。 コロナ禍が早く過ぎ去るようにと、さまざまな願いを灯ろうに描き、鹿野の町なかを流れる清流通りで行われるようになったこのイベントが、今年も開催されます。 ※冒頭の写真は、令和5年に開催されたときの写真です。 コアプラザかのに並ぶ灯ろう8月12日にキックオフイベントを行った灯ろう流し。 木と紙で作られた灯ろうが、鹿野の市民活動や地域福祉の拠点として設置さ

#0162 試される大地!もっと攻めよう!北海道!~開拓の歴史から紐解く~

こんにちは。釧路出身の小田原です。 北海道は好きですか? 私は大好きです。 北海道に旅行に行った人の思い出話を聞くと称賛の嵐ですし、私自身もこんなに自然が豊かで食べるものも美味しい土地は北海道しかないと思っています。 北海道はポテンシャルある!って言われてる一方で、あまり外への発信、PRって少ないように思うんですよね。 少ないというか、やり方が上手くないのか。 開拓者精神があるイメージがあるけどない。 ここも野心と繋がってくるのだろうか。 そんなことを何となく

相変異

稲穂育つ坂を往く 稲穂も色変り 黄金色に咽び泣く秋の虫 器用に祖母の婆 袋状にした手拭いに収めたる蝗(イナゴ)達 バタバタと暴れる袋と 佃煮の海老の様な味思い出す 十数匹の蝗を肴に お米千粒 おかわりで万粒 それを何度も 何度も続くほど 何年でも 何百年でも 随分に洗浄研磨して 蒸したものが純白 しかし御すのは ただ黒に化す 瑞々(みずみず)しくを外れて望まぬ相変異に老いる人々である もはや曖昧にも季節重厚な原生林の野山の 混ざった油絵の色などこの場所に存在しな

わあわあの友達

ちゃんと、書評をやろうと思うと憂鬱でもあります。 「原書の問題無い撮影、書出し等の引用。賑やかし程度とはいえ参考資料の提示と裏取り… ああ、ちゃぶ台1個分くらいは部屋の中掃除しないと手持ち資料は保管場所から出て来ない、借り物は汚してご迷惑をかける可能性。嗚呼あああ……」 部屋の掃除くらい頑張りたいと思います。書くとやる義務が出る、いい習慣。 冒頭の記事、「筆者の正体が知りたくなる」ほどに濃い人物像を表しています。同じく検索上位に出る「よくわかりませんでした」でお馴染みの

秋田は隠れた❝かりんとう好き❞県ではあるまいか〜五城目の巨大かりんとう、湯沢・にかほの薄くてカリカリかりんとう、角館の落ち葉・うす葉かりんとう

以下の写真は先月秋田に帰省した際買って来たお菓子たちである。 今回は普段の帰省で行かないところへも行ったため、初めてのものも含まれているが、やはりかりんとうが2種類。「やはり」と言うのは、秋田に帰るとどうも私は毎回かりんとうを買っている気がするからだ。何故だろう? 実家にいた頃かりんとうは確かによく家にあり、おやつによく食べていた。最も身近なお菓子の一種だったと思う。でもそれは実家が田舎で洒落たお菓子が買えるような土地ではなかったことに加え、同居の祖母や母が甘いもの好きだ

おしゃべりも楽しみのうち 探鳥会レポート<N緑地公園編>2/3話 2024年9月

 先日、ニコ支部T分会の探鳥会に参加してきました。  集合場所はN緑地公園です。  探鳥会ご一行は芝生広場でセグロセキレイを見ました。  芝生広場を通過する前に振り返ると、そこにいたのはハクセキレイでした。  「さっきまでいたの、セグロセキレイだったよね?」  ここで周りにいた人たちとハクセキレイとセグロセキレイの見分け方談義になりました。  「ハクセキレイのメスは背中の灰色が薄い」  「ハクセキレイは夏に背中が黒くなる」  これを、そうだったっけ?どっちだったっけ

夜の鳥と書いて鵺(ぬえ)

薪能を観てきました。 佐渡では気軽に能が鑑賞出来ます。 慶長九年(1604年)に佐渡奉行となった大久保長安が佐渡に猿楽師を同行した事から佐渡における能楽が始まったそうです。 今回の演目は 鵺(ぬえ) です。 ところで 鵺と聞いて直ぐに 鵺の鳴く夜は恐ろしい を思い出した方はきっと私と同じ、昭和な方ですね。 映画「悪霊島」のCM、子供心にすごく怖くて、でもちょっと観てみたくて…結局実際にテレビ放送で観たのは大人になってから。 単なるミステリーではなく、なかなか深い

【ふるさとを語る】食と音楽の祭典!とかちマルシェに行って来ました☺️【北海道・十勝帯広のご紹介】

🏮まえがき こんばんは🌛‼️ 8/30~9/1に北海道帯広市の駅周辺で開催された、食と音楽の祭典"とかちマルシェ"。 十勝や十勝管外の美味しいお店が沢山出店し、音楽まで楽しめちゃう大イベントとなっております。 今回は、そんなとかちマルシェの模様をお届けいたします! 実は筆者、とかちマルシェに行くのは今回が初めて(十勝民なのに…😅)。 どんな様子なのかワクワク気分で赴きました☺️ 今回も写真枚数が多くなってしまったため、スクロールが大変だと思いますので、お時間のあ

使う言葉 2024/09/08週

 彼が長い間離れていて元々は実家のあった海沿いの街に住むようになってから、自分が少なくとも退屈して過ごさないでいることに、思った通りとまではいかないまでも、まあそうなるだろうと感じていた。40を過ぎてから、病院にいる父親のことをないがしろにしている感覚を前より頻繁に感じるようになっていたし、そういうネガティブな感覚よりも、その街にいる自分のほうがイメージしやすいと思うようになっていた。  最近はこういう昔だったらアパートと言っていた建物もマンションっていうようになったんです

痒いまま大人 信毎敷いた?⑥

か、痒いんだよ、毎日々々々々。 清潔な場所に居れば痒くない?そうかも…だが断固断るね、ダニのせいにも発汗のせいにもできねえ。俺は馬鹿者だ、絶対に閉所で文章を読んで、漢字の難読に後頭部をガリガリ爪で剃って、英文に地の滲むほど肩口を掻き毟って学びへの脊椎の抵抗を抑える必要が有る。 馬鹿の父系に、馬鹿ほどマルチ商法等に馴れ馴れしい母系の教育が加われば、俺も変わらねえほど今でも皮膚が痒いい、唯一、日銭が少しは多いくらいさ。そして同じく血を出す程の痒みは、自分がどう扱われるかの心配さ

with グリーフ⑯「ふところから猫」(父親の生きた時代)

ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻 【ご注意】 今回の話は 犬や猫が大好きな人は読まない方がいいかもしれない… …です🐕🐈 タイトルの猫は ↑ね↓こ じゃなくて ↓ね↑こ って発音します ぬか、と同じイントネーションです笑 (亀じゃなくて、甕🏺のが近いかも) 北海道弁の訛りが強い人がこういう風によく言います 私のところはばあちゃんも父親もこう言ってた影響で 私もこう発音します笑 はじまり~ 戦後間もない 北海道の芦別という町で 農家の息子として育った父親は

比呂暇太郎(15)1994年、夏。斎藤和義さんの「歩いて帰ろう」を聴いていた……

30年前から日本は「猛暑」だったんよ!まだまだ暑い日が続いとるのう! 久しぶりじゃのう わしじゃあーや 比呂暇太郎じゃあや みんな 大丈夫かの? 夏バテ しとらん? ほいでの こがいな「猛暑」は 30年前から始まっとったって知っとった? 「1994年(平成6年)猛暑」言うてからの この年から 急に 猛暑日が増えたんと! 1994年以前の日本では 「35度以上」の猛暑日は 「年間で2日以下」しかなかったのが 1994年から「年間6日以上」に増えたんとィね! 広

好きになれなかった地元

私の地元は、いわゆる田舎だ。 高齢化が進んでいる街で、近所にはおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいた。 大きなビルや高層マンションなんて一つもなくて、あるとすれば街中のみんなが集まる小さなデパート。 学校帰りや休日に遊びにデパートに行けば、必ず知り合いに会った。 私は地元が嫌いだった。 学校の窓から見える地元の大自然を横目に、絶対に出て行ってやる、夢の東京でおしゃれ生活をしてやると毎日思い続けた。 その思い通り、高校卒業後は東京の大学に進学して、憧れだった大都会東京で

わたしのふるさと㉔ 〜東京都 御茶ノ水編〜

こんにちは! 地域おこし協力学生団体 YourLocalClubです。 メンバーが出身地やゆかりのある地をリレー形式で紹介していく「わたしのふるさと」。 今回は、御茶ノ水について紹介したいと思います! 筆者は御茶ノ水出身ではありませんが、何度か訪れるうちにその地形や歴史を知り、街の魅力にハマっていきました。今でも度々散歩をしており、大好きな街です! そんな御茶ノ水の魅力を紹介していきます!✨ 御茶ノ水とは?「御茶ノ水」とは、東京都千代田区の神田〜文京区の湯島南部あたり一

【アツく、信濃町を語る夜】信濃町に暮らすということー初夏編ー

「地元のために何かしたい」「何か力になりたい」 この思いから、東京で社会人をしながら、月に一度は信濃町に帰っています。 やはり、現場で見聞きするに勝る勉強はない、と、帰るたびに、強く感じます。 毎月帰っていると、本当に有り難いことに、たくさんのお誘いをいただきます。 「こんなイベントがあるよ!」「〇〇さんを紹介するから!」「飲みにおいで!」などなど。(今後もどんどん誘ってください!どこでも行きます。笑) そんなわけで、7月は2回、信濃町に帰ることができました。 (本当は

無味感想 省いて候

前売り千円ポッキリも、終始地味で終り。 「ポジ出し」 ポジ出し…安物買いと言うなかれ、物販も買わずに、どの口。 「貧乏貧相、金ねえんだわ…興味も沸かぬし」鹿も、ちょっとでも書けばナイーブな詳細が知れてしまう、草の我、書かぬだけが華。 ならば筆先の迷いでの長居も無用か。最近の不毛な日々の作文のせめての目標、ただ簡潔に記すの優先だけ。 『 資格は有るのだろうさ看板番組の評論家殿、 しかし住処(すみか)からの影響か、本当に政、政治の議論をした様には思わなんだ。 力強きは

9月の海士町 稲穂も膨らむ秋のころ

8月は盆踊り大会をはじめ、夏らしい熱いイベントが盛りだくさんでした! 最近はだんだんと暑さが和らぎ過ごしやすくなってきましたね🎐 それでは9月の海士町をお届けします! 島からのお便り✉️ーーー🍁 海士町 NEWSをお届け 🍁ーーー ・行くぜ東京!11月9日(土)のカレンダーに「海士町」と入れてください! 海士らしいノリと勢いを大切に、 イベントを作っていきます☀️ 11月は東京でお会いしましょう🍁 ・海士町ポータルサイト(β版)を公開しました。 海士町ポータルサイトと

高山市が本気で作った飛騨国初代高山藩主・金森長近のマンガを読んでみませんか!? 【クラウドファンディングのご紹介】

金森長近ってご存じですか? 戦国時代の武将で、信長・秀吉・家康の三英傑に仕え、飛騨国の初代国主となり、現在の飛騨高山の町並みを築いた人です。 長近公の生涯については、上のサイトに詳しい説明があります。 戦国物の大河ドラマにほとんど出てこない超マイナーな人物ですが、戦乱の世をたくましく生き抜き、信長に可愛がられ、秀吉に頼りにされ、老いては家康と親しくなり信頼厚かった…という老熟の武者なのです。 金森長近については、司馬遼太郎の『街道をゆく・飛騨紀行』(朝日出版社)を開く

食べて痩せるはお笑いで

大人なので、刑務所の食事メニューだと量も、運動量が制限?される点も含めてバッチリ。最近は各種サイトで学校給食のメニューなんて覗くと、押し並べて健康的。習えば、サプリメントなんぞ含まんでも毎日健康に過ごせる食品が摂取できます。備蓄米を麦飯、地産地消、万々歳です。 パン…。 調べると、 #こども食堂 はそういったバランスの良いメニューを出す制度でも、出す為の思惑でも無いのだな、ふーむ。 "ショバ"で何でも食べに行けるし痩せない仕事や余暇を選んでもいい、サプリメントが流行る理由

変わらないかつ丼の甘いタレ とんかつ江戸に鹿野の米

山口県周南市の中心部、徳山駅前の商店街の中に「テアトル18番街」という地下街があります。 かつてはさまざまな飲食店が軒を連ねていた場所なのですが、今ではわずか3店舗が残るのみとなってしまっています。 その3店舗のひとつ、「とんかつ江戸」。 高校時代、友人に連れられて訪れたのが最初の出会いだったこのお店に、20年以上たった今も、時おり顔を出しています。 カツカレーや定食もあるのですが、自分のイチオシはなんといってもカツ丼です。 甘い味の汁をたっぷり含んだご飯と、厚いカツを

前例のない、飛騨市で始めた「探究スクール」その一年を振り返る

2023年7月に第1期が開講したEdo New Schoolの通塾コース「地域クエストコース」と「マイクエストコース」は開講1周年を迎えました。 今回は、株式会社Edoの代表・関口祐太さん、副代表・盤所杏子さん、社員・新名美帆子さんの3人に、Edo New Schoolの通塾コースで生徒たちの成長を見守ってきた一年を振り返っていただきました。 家でも学校でもない“居場所づくり”に喜びを感じた一年 ーEdo New Schoolの通塾コースの開講から一年経ちましたが率直な感

06_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

↓ 前話はこちらから なんとかできると思ったのが間違いだった。 僕が隠していたばあちゃんのポーチは、次の日の朝、あっさりとばあちゃんに見つかった。 「ユースケ、ばあちゃんのポーチ、どこにやったとね?」 ばあちゃんがノックもせずに僕の部屋に入ってきた時、僕は勉強机の上に置いたばあちゃんのポーチと格闘している最中だった。 机の上には、裁縫道具と粉々に割れた巻き貝。僕の右手には水色のポーチと白い糸が通った細い針。5年生になって習ったなみ縫いを思い出しながら、ポーチに針を刺し

#434 コンバイン

 今日のお昼前、ようやく稲刈りが始まった。  大規模に農業を営んでいる知り合いの人が、白と朱の2色の大型コンバインに乗って、遠くから『ドドドドドド・・・・』と低い音を響かせて、私の田んぼにやってきた。  コンバインが刈り取った稲は、自動的に籾と藁にわけ、籾を取り込み、藁を田んぼに戻しながら、人間の駆け足くらいの速さで進んでいった。  コンバインの上空には、たくさんのツバメが集まってきた。急降下と急上昇を繰り返して稲の中にいた小さな虫を食べているのだろう。コンバインの上には

07_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

↓ 前話はこちらから 「ただいま」 玄関のドアが開く音がした。僕はその音でお父さんが帰って来たことに気づいた。ちょうどその時、僕はばあちゃんが作った焼きそばをずるずると啜りながら食べているところだった。 お父さんはリビングに入ってくるなり、 「ユースケ、ごはん食べたら、どっか遊びにでも行くか。ゲーセンか? それともバッティングセンターか?」 と聞いた。 「どっちも!」 僕が焼きそばを口から飛ばしながら勢いよく返事をすると、お父さんは嬉しそうに笑った。僕は皿に残っていた

法被と神輿

昨日から肩が痛い。五十肩ではなく、鎖骨の外側の端辺りが少し赤くなっていて、シャツが触れるとチリチリと痛む。そして誰に対するでもなく、こっそりと誇らしげでもあるのだが(笑)、そんな密やかな高揚も痛みとともに少しずつ落ち着いてきた。 実は一昨日の日曜日、神輿を担がせていただく機会があったのだ。結婚してこの街に引っ越してきて以来色々とお世話になり、娘が生まれてからはこの街のじぃじとして可愛がってくださる方が「良かったら担ぎに来いよ」と声をかけてくれたのだ。 実に40年振りのこの

東村山を褒める芸人

#推しの芸人 芸人、 所ジョージ。 所ジョージ は 東村山 の 良い所 として 準急が停まる を 上げた。

故郷への思い

18歳で佐賀から東京(神奈川含め)に出てはや40年。 あっという間だった。 残念ながら父は2016年に旅立ったが、2024年の今日、母も健在だし兄もいるので、今でも故郷に帰省することはある。 しかしいつからだろうか。何か居心地が悪いと思うようになり、コロナ以降は実家に泊まらなくなってしまった。 滞在も長くても一泊二日だ。 理由はいくつかあるように思う。 一つ目は私のイメージの中での故郷と現実の故郷が乖離していること。 私の故郷に対するイメージの中には私がそこにいた18歳ま

只見線のあるまちにて2024/08/30

はい、今日の天気予報はどうだったでしょうか。 台風で大変だったよって言われる方がほとんどだと思われるのですが、こちら会津では日中日が差すと言う状態。 今日、晴れなくていいから明日から雨が降らなければいいのになと思ったのです。 今日はイレギュラーながら月一度の診察が8月に2回あるという珍しい月。 面倒くさいなと思いつつ、晴れてくれたのを感謝して行ってきたのです。 ただ、今日は診察前に採血と検尿があったので、受付を済ませて会津高田駅まで出かけると言うことはできずに、会津

【エッセイ】リメンバー房州鮨🍣、絶滅寸前の千葉県館山名物を忘れない、白浜屋本店で房州鮨を食べてみた!

忘れていた房州鮨もう何十年も忘れていた房州鮨。 なぜか急に思い出した。 このでっかい にぎり鮨は、千葉県館山の名物だったはず。 忘れていた間に、房州鮨をだす店は、3軒にまで減っていた。 もう絶滅寸前まで追いつめられている?! でもかろうじて、食べられる店が残っていた。 ギリギリセーフで思い出したのかもしれない。 子どもの頃から成人するまで、お盆、正月、祭りの日には、よく房州鮨の出前をとって食べていた。特別な日のごちそうだった。 子どもの口では、でっかすぎて一口では食べら

No.18 面河・橋コレクション ~中組篇~

 皆さまこんにちは。台風10号が通り過ぎ、実家の栗が飛ばされず安堵している、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。  前回は、とある看板にあった「電話九番」の謎を追うべく、面河地区へ電話が普及していった歴史を見ていきました。 (前回記事はこちらから↓)  さて、2か月半前に公開したこちらの記事。  これまで公開した記事の中でも、特に大反響の記事となりました。反応をくださった皆さま、本当にありがとうございます。  そこで今回は、第2弾として「面河・橋コレクション ~

きみの色

まず記事の最初にちょっとネタバレがありますので… TOHOシネマズに「きみの色」を観に行ってきました。長崎をモチーフにした舞台設定とこともあり長崎市内や新上五島町の教会の景色などが描かれています(佐賀駅らしき景色もありました)。 私は映画を観るときは学割を使うので1500円で。ポップコーンとドリンクは必須。 私は長崎市出身ですが、長崎はカトリック・プロテスタント系の幼稚園や学校がありますが不思議と私には縁がありませんでした。幼稚園は神社の境内にあったし(卒園生には福山雅

荻窪随想録33・ダストシュートと、消毒車

団地の燃えるゴミは焼却炉で燃やすことになっていたけれど、生ゴミはどうしていたのかというと、それは各階段の踊り場ごとについていた生ゴミ専用の投入口から、垂直型の空洞に放り込むようになっていた。 それのことは、みんな、ダストシュートと呼んでいた。どこでもそういったものは、そう呼ばれていたのらしい。 これの発案者はいったい誰なのか。上のほうの階と地上とを最も速く結ぶには、垂直に動く昇降機(すなわち、エレベーター)があればいい、という発想と同じく――荻窪団地には、特にエレベーター