仲田和生(なかだかずき)

信濃町最高〜!

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【「地方創生×映像」の親和性の高さについて】信濃町に暮らすということー梅雨・後編ー

今回の記事は、梅雨後編の信濃町。 標高の高い信濃町でも、最近の夏は暑い。梅雨が明けて、だんだん夏に向かっていく、この季節も大好きだ。 今回は、東京からのゲストと2日間にわたって信濃町を巡った。巡った、といっても、ただの観光ではない。「実家(ペンション)のプロモーション映像の撮影」という大きなテーマがあった。 挑戦したかったこと。実は、昨年の9月から今年の4月まで映像の撮影、編集、納品までを一括して勉強できるスクールに通っていました(この映像スクールについてはまた別の記事で)

    • 【サウナとキャンプが最高な信濃町】信濃町に暮らすということー秋・前編ー

      信濃町出身、東京で暮らす26歳が月に一度、地元に帰り、感じたことをレポートする「信濃町に暮らすということ」シリーズ。7本目の今回は、秋・前編。 (6本目の「夏本番編」は現在鋭意執筆中です!) 毎月、信濃町に帰る中で感じること。それは 「自分だけがこんな素敵なところに行くのはもったいないな」 ということ。 そこで、大学時代の先輩と同級生に「とりあえず、信濃町行きましょう!」と声をかけたところ、快く!半分強引に、、?(笑)引き受けてくれました! (お2人とも、お越しいただき

      • 【アツく、信濃町を語る夜】信濃町に暮らすということー初夏編ー

        「地元のために何かしたい」「何か力になりたい」 この思いから、東京で社会人をしながら、月に一度は信濃町に帰っています。 やはり、現場で見聞きするに勝る勉強はない、と、帰るたびに、強く感じます。 毎月帰っていると、本当に有り難いことに、たくさんのお誘いをいただきます。 「こんなイベントがあるよ!」「〇〇さんを紹介するから!」「飲みにおいで!」などなど。(今後もどんどん誘ってください!どこでも行きます。笑) そんなわけで、7月は2回、信濃町に帰ることができました。 (本当は

        • The High Affinity of “Regional Development x Video”] What it Means to Live in Shinanomachi - The Rainy Season - Part 2

          This article is about Shinanomachi in the latter part of the rainy season. Even in Shinanomachi, a town at a high altitude, recent summers have been hot. I also love this season, when the rainy season is over and we gradually move toward su

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        【「地方創生×映像」の親和性の高さについて】信濃町に暮らすということー梅雨・後編ー

          VIDEOGRAPHERS TOKYO 2024に参加!

          先日開催されたVIDEOGRAPHERS TOKYO 2024に参加してきました! 予定が合わず、2日目の最後の1時間だけの参加となりましたが、それでも、大変有意義な時間となりました。普段お世話になっている方ともご挨拶させていただくことができ、有り難いことでした! イベント終了間際の会場に駆け込み、ざっくり展示を一周し、知り合いに挨拶をして、時間切れかな、、と思っていると、これから始まるセッションが。これは!と、参加することに。 こちらの「撮影監督サミット」セッションに参

          VIDEOGRAPHERS TOKYO 2024に参加!

          信濃町に暮らすということー梅雨・前編ー

          今回は、同級生が運営する農場の見学に。 ひとことで「農業」、といっても、掘り下げて考えてみると、移住や雇用など、さまざまな分野と繋がっていることを改めて実感した今回。その一部を皆様にもお伝えできたらと思います。 将来を模索する弟と、僕にとって26回目を迎える父の日についても少し書きました! はじめにー梅雨はこれからー春が終わり、夏に向かう信濃町。 梅雨の前は一年の中で最も過ごしやすい季節の一つだと思います。朝はひんやり冷たい空気が、昼間には暖かくなって、夜は涼しくなる、そし

          信濃町に暮らすということー梅雨・前編ー

          信濃町に暮らすということー春・後編ー

          今回は「信濃町の春、後編」です! 前回の記事では信濃町が冬から春へ移り変わる様子をお伝えしました。 今回は、春本番を迎えた信濃町についてお伝えできればと思います! ※前回の記事はこちら! 前々回の記事もぜひご覧ください! ここから読んでいただくと、信濃町の季節の移り変わりがよくわかります。 さて、今回の内容はこんな感じです。 少し長いですが、お付き合いいただけますと幸いです! 春・本格化まずはこちらをご覧ください。文字よりも映像の方が伝わると思います。 という感じで

          信濃町に暮らすということー春・後編ー

          信濃町に暮らすということー春・前編ー

          はじめに。「春が来た!」僕にとっては飛び跳ねるくらい嬉しい季節です。雪に閉ざされた長い冬が終わって、まず、地面の土が見えること。植物が芽吹き出すこと。これがたまらなく嬉しいです。 4月上旬。金曜の夜、仕事終わりに新幹線に飛び乗って東京から地元信濃町へ。そのときのことを簡単にまとめました。どちらかというと暗い雰囲気の内容になってしまった前回の冬編の記事に比べると、明るい内容になっていますので、ゆるっと眺めていただけますとこの上なく嬉しいです! ※前回の記事はこちから↓ 雪に

          信濃町に暮らすということー春・前編ー

          【3.11】13年目のいま、思うこと。

          いま思うこと。 あの日から、13年。 私の地元、信濃町(長野県)も大きく揺れた記憶があります。当時の私は小学6年生。5時間目の家庭科の授業、調理実習をしているときに地震が発生。実習は中断しましたが、途中まで作っていた料理を捨てるわけにもいかず、安全を確認した上で調理を終えました。 作った料理を先生方にも食べてもらおうと、職員室に入ったときに見たテレビに映し出されていた映像が忘れられません。 津波が仙台空港にまで押し寄せていた。 直ちにそれぞれ家に帰ることとなり、親が

          【3.11】13年目のいま、思うこと。

          信濃町に暮らすということー冬編ー

          はじめに。先日、信濃町に一瞬だけ帰ることがあったので、その際に感じたことを。 一言で言えば、「雪の降る地域に暮らすことのリアル」を実感。 ざっくり分けると三つかなと思います。ポジティブ、ネガティブありますが、ネガティブな方から書いていきます。笑 冬の生活は雪に合わせる(せざるを得ない笑)。秋の終わりには、冬に向けて家や庭の木に雪囲いを取り付ける、信濃町には一家に一台あるといっても過言ではない除雪機(かなり高額、、、)のメンテナンスをする、など。 雪が降り始めると、生活リズム

          信濃町に暮らすということー冬編ー

          なぜ、僕は「しなのまち」が大好きなのか。

          さて、僕は信濃町出身なわけで、信濃町が大好きなのですが、、「大好きな理由」がよくわかっていません(笑)。 一度、互いに信濃町のことを愛してやまない友人と話したことがあります。 「なんでこんなに地元が好きなんだろうな」 「なんだろうな、大好きなんだけど、よくわからん」 以上。です。(笑) そこで今回は「信濃町が大好きな理由を言語化する」ことをテーマに記事を書きたいと思います。 まず、信濃町というのはざっくり言って、Wikipedia先生によると、、、 「信濃町(しな

          なぜ、僕は「しなのまち」が大好きなのか。

          同窓会、みんな最高。

          2024年、明けましておめでとうございます。 去年の年末、信濃町の同級生(中学校)と同窓会をしたのでその記録を。 卒業して10年ぶりに。成人式から5年ぶりに。仲間の元気な顔を見ることができて本当に良かったなあ。 数ヶ月前から2人の仲間と企画してコツコツ準備して、一人一人に連絡とって。あれあいつの連絡先わからねー!あ、繋がった!なんてことを繰り返し。笑 なんだかんだで30人くらい集まって、当時に戻ったような嬉しさもあり、みんな大人になったなあと感慨深くもなり。 盛り上が

          【記録として】 令和6年 能登半島地震

          2024年1月6日(土) 地元の長野県信濃町から東京に戻り、少し落ち着いたのでこの記事を書いています。 ※今回は、記事にするか非常に迷いましたが、自身の気持ちの整理と、情報の共有という観点から、発信することを決めました。 まず、この度の地震で命を落とされた方々に心からお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。 1月1日(月)日本海の海岸線で地震を経験この日は信濃町から私の妹、弟の3人で上越に出かけていました。 あいにく海は少し荒れていましたが、

          【記録として】 令和6年 能登半島地震

          2024年の抱負

          こんにちは! 2024年になりました。 今年の目標は、自分から発信していくこと。 私は、昨年の4月から社会人をしていますが、「自分から全く発信できなかった」ということが2023年の反省の一つです。。。 昨年3月までは大学院で研究をしていたので、必然的に自分の論文を内外に発信する(発表)機会がありました。どうしたらよりわかりやすく相手に伝えることができるか、もっと工夫できないか、ということを常に考えていました。 が、 社会人になると、何かを外に発信するという機会が圧倒