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【3.11】13年目のいま、思うこと。

いま思うこと。

あの日から、13年。

私の地元、信濃町(長野県)も大きく揺れた記憶があります。当時の私は小学6年生。5時間目の家庭科の授業、調理実習をしているときに地震が発生。実習は中断しましたが、途中まで作っていた料理を捨てるわけにもいかず、安全を確認した上で調理を終えました。

作った料理を先生方にも食べてもらおうと、職員室に入ったときに見たテレビに映し出されていた映像が忘れられません。

津波が仙台空港にまで押し寄せていた。

直ちにそれぞれ家に帰ることとなり、親が車で迎えに来られる人はその車で、来られない人は集団下校になったと思います。

そこからの記憶は衝撃的な出来事だったが故かあまりありません。

13年が経った今年、初めて寄付をしました。
今まで、募金箱にお釣りを入れたり、災害支援のボランティアに行ったことはありますが、気持ちを込めての寄付は初めてです。

ひとつ目は、「災害復興みらい募金」
災害と感染症から未来を守るというコンセプトの募金。

災害復興みらい募金


ふたつ目は、「令和6年能登半島地震緊急支援募金」
こちらは文字の通りの募金。

令和6年能登半島地震緊急支援募金


募金をしてみた感想。自分1人でできることって、ほんとちっちゃいなぁ、ってこと。

でも、募金総額、募金している人の総数を見たら、こんなに被災地を想って応援している人がいるんだと嬉しくなりました。私が寄付した媒体以外でも、寄付している人はたくさんいて、全部合わせたらすごいと思う。思いを持った人が同じ方向に向かうと、たとえちょっとずつでも、社会は良くなるのかもしれない。

ベタな表現ですが、一人ひとりの力は小さいけれど、たくさんの仲間が集まれば大きな力になるんだと、社会人になって1年が立とうとする今、改めて気付かされました。

これから更に何年も経って、震災当時の記憶が薄れてしまう前に、今の自分の気持ちを記録として残しておこうと思い、この記事を書きました。

ここまで読んでいただき有り難うございました。昨年、初めて東北の宮城県を訪れましたが、海が本当に綺麗なところでした。

宮城の空。どこまでも広い。
宮城の海。言葉が出てこなくて、しばらく眺めた。


そして実は、年明けに起きた令和6年能登半島地震の際、私は日本海にいました。当時のことも、記録として記事にしておりますので、良かったらご覧ください。

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