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with グリーフ⑰「親友は父の財産」(父親の生きた時代)

ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻

コロナ、咳残ってますが😷
だいぶ良くなってきました
ちょっと嗅覚なくなりました🤯

色んなやる気がなくなるね
コロナは…
だ〜るだるだ〜る🦥🐾


さて本編🦥🐾
どうぞどうぞ



父親の親友のOさんが
父親の死後、訪ねてきてくれて
父親の話を聞かせてくれました

その話をもとに
北海道の芦別という町で育った
父親の子供時代を
お届けしています

自分が知らない時代のこと
父親とOさんのてーてー(尊い)
友情関係
書いていて(実は)すごい楽しいです笑




中学2年生になって、父親はある日急に
「もう学校終わったら放課後は遊ばずに
これから毎日勉強することにした」
とOさんに宣言したらしい


今まで野球ざんまい、
遊びざんまいだったのに

最初は何言ってるんだろう
と思っていたOさんでしたが

本当にその日から
放課後遊びに誘っても
まったく応じてくれなくなり

父親の部屋だった
自分の家の屋根裏部屋に
こもって
勉強をしはじめたんだそうです


やがて、父親がいないと
遊びも野球もつまらないから
なんとか父親と一緒に放課後
過ごしたいなぁと思うようになり

Oさんも
一緒に勉強することにしたそうです
学校が終わったら父親の家に行き
毎日遅くまで勉強する日々が始まりました

放課後勉強会

まだ中学生だというのに
父親の集中力はすさまじかったそうで

Oさんいわく
「ほんとに全然遊ばないんだ
最初は楽しそうだな~なんて思ったけど
なんもだ、

2人で黙って勉強して
お母さんが晩飯だって
下から呼びにくるまで
ずっと勉強してな~」


(私は逆で全然勉強できないし
暗記努力が実を結ばないタイプ
テスト勉強なんて
部屋掃除する時間だと思ってたから笑

ここは全然似てない所です
勉強できる人がうらやましかったなぁ)


父親に
どこの高校を受験するつもりかと
Oさんが聞くと
「芦別工業高校の機械科」
だという返事


ちなみに
芦別工業高校は
現在は統合されて廃校になっていて

跡地はなんか
まったく別のジャンルの高校になってます笑


芦別工業高校の機械科は
周辺の高校の中で
当時
入学試験が一番難しく

Oさんいわく
「一番頭のいい人が行くところ」

入るのが難しかったそうだ

放課後の
屋根裏勉強会の結果

父親は機械科に合格したが
残念ながらOさんは不合格だったので
同じ学校に入れればいいやと
普通科に入学したそうです

(芦別工業高校の普通科って
調べても出てこないので
なんか私の記憶違いがあるかもしれない…)

Oさんは父親と同じ高校に入り
父親と中学の時からしていた
野球をやろうと考えていたらしいのですが


なぜか父親は
「ラグビー部に入る」
と言い出したらしい

Oさんは「えぇっ!」と驚いたそうですが
それもおもしろそうだと思い
父親と一緒にラグビー部に入ることに
(Oさんノリ良すぎ)


ラグビー部はこの年とても強くなり
周辺の学校との試合でも
勝ちまくり

これなら来年は
全国行ける!

と手ごたえを感じており
部員の士気はとても高かったそうです


しかし翌年
機械科と普通科で
校舎が分かれることになり

それに伴い
ラグビー部も機械科と普通科で
それぞれ作られることに
なってしまったそうです

強い選手は
ほとんどが機械科の生徒

でもそれぞれに分かれてしまうと
どっちも人数が揃わなくて
そもそも
大会に出られない

そしたら全国大会も
行けなくなる…!



先生に猛抗議をしたそうなんですが
それも受け入れられずで…


全国への夢は叶わなかったのだそう

ちなみに
現在の芦別高校には
ちゃんとまだ
ラグビー部があって

芦別のラグビーマインドは
今でも受け継がれてるんだなと
嬉しく思いました

知らぬ間にオレにもラグビーマインドが…🏉🤣


高校を卒業後
Oさんは内地で
父は札幌でと
別々の場所で就職し

ずっと一緒だった
2人は離れることになりました


しかし
毎年札幌で同窓会を開いていて
年に一度は会っていたようです

まだ元気だったころは父も
毎年参加してました


私はこの話を聞いて
本当にすごいのは父親の方ではなく
Oさんの方だったんじゃないかと思いました

父親の無茶ぶりも
「おもしろそうだから」
とすんなり受け入れられる

自分が尊敬し
自分よりもすごいと思える人が
自分の親友だと言える

私の母親に何度断られても
父親に会いにうちに通ってくれて

亡くなってからも
すぐにこうして駆けつけてくれた

一周忌にも参加してくれて
父親が亡くなって寂しいと
おいおい泣いてくれた


ぶつかりおじさんとか
スーパーでパートのおばさんに
怒鳴り散らすおじさんとか

横柄で嫌な態度のおじさんも
世の中にたくさんいる中


若輩者の私に対しても
物腰柔らかで
ニコニコと全くイヤミがない

声も明るくて
話しているとなんだか
楽しい気分になれる

父親は就職と共にやめてしまったけど
Oさんは社会人ラグビーを
その後も内地で
長く続けていたそうで

「上手な人はみんな機械科だった」
と言っていたけど

社会人ラグビーでしっかり成果を
残され
後進も育てているらしい
と母親から聞いたことがあります


私はOさんの人間の大きさを感じ
彼のような友人に恵まれた
父親は幸せだと思いました

母は会わせないようにしていたけれど
父はもしかしたら
Oさんに会いたかったかもしれないなぁ

だってOさんと話していたら
元気が出てくる
なんだか明るい気持ちになってくる

父親に一番性格が似てるという
私がそう感じるんだから

病で気がふさいでいたであろう
父親には
きっといい薬になったんじゃないかな


無口な父親と
明るいOさん
2人はいいコンビだったんだなと
よく分かりました


なぜか脳内BGMは冬ソナ笑




*********巻末CM**********
父親の思い出話をアニメで見たいと思った
アカチェリーナ4世ですが

真面目な面もあってですね
普段はシンガーソングライターとして
『辛い気持ちを口にだして伝えていくことで
皆で自分の辛い気持ちを言えるようになろう』と
いうメッセージを発信しています

公式HPにたくさん自分の気持ちを載せているので
見に行ってみよう

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