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#0162 試される大地!もっと攻めよう!北海道!~開拓の歴史から紐解く~

こんにちは。釧路出身の小田原です。

北海道は好きですか?

私は大好きです。

北海道に旅行に行った人の思い出話を聞くと称賛の嵐ですし、私自身もこんなに自然が豊かで食べるものも美味しい土地は北海道しかないと思っています。

北海道はポテンシャルある!って言われてる一方で、あまり外への発信、PRって少ないように思うんですよね。

少ないというか、やり方が上手くないのか。

開拓者精神があるイメージがあるけどない。

ここも野心と繋がってくるのだろうか。

そんなことを何となく考えてたことを書きたいと思います。

⇩きっかけはこちらのvoicy


○開拓使→北海道開発庁の歴史

バリバリの開拓時代から現在に至るまで北海道の行政の歴史は、他県に比べると特殊なのではないかと思います。

明治期は何もない大地を切り開く時代、徐々に都市部を中心に発展していき、戦後は特別扱いしなくても独り立ちできるように思えますが、開拓使からの流れをくむ北海道開発庁など国の関与が残り、国と地方の二重行政のような状況が現在も続いています。

以前、記事にもしましたが、この特殊な構造が、北海道の開拓者精神を長い時間をかけて奪ってしまったのではと思うことがあります。

イメージとしては、力強い明治期の開拓時代は国の支援を受けながらも、あくまで自分の手足で歩こうとしていた時代、昭和以降は公共事業でしか食べていけなくなった他責思考の時代。

北海道や市町村が、かつての力強さを失って、国の下部組織的にしか機能しなくなったことが、現在の北海道の衰退に繋がっているように思います。衰退と言ってしまいましたが、まだまだ特に札幌は元気で、ポテンシャルは物凄いあります。

明治期の商工会議所の会報や官報なんかを見ると、当時の勢いというか、先人たちの独立心・野心を感じます。

改めて、人の成長、マチの発展には、野心というものが必要なのではと感じます。北海道もお行儀よくするのも良いですが、時にはやんちゃになって、自ら治めるってのをやって良いんじゃないかと思います。

・国策で始まった北海道開拓

北海道はかつては蝦夷地と呼ばれて松前藩が支配していましたが、明治政府になってからは、帝政ロシアの脅威から守るという防衛、失業した士族たちの受け皿として、国の直轄組織として開拓使が置かれ、北海道の開拓の歴史がスタートしました。

明治の行政改革といえば、廃藩置県が有名で、道外は廃藩置県により府県が設置されて地方自治が進行していきましたが、当時の北海道は国直轄の開拓使が置かれ、あくまで国策として開発が進められていきました。

・三県一局

1882年に開拓使十年計画の満期を迎え、開拓使が廃止された際、開拓使の本庁(札幌)および函館・根室の2支庁のそれぞれの管轄区域に応じて道外と同様に県という行政区分を設けました。

開拓事業については、これらの3県と北海道事業管理局(農商務省管轄)で地方レベル・国レベルを各々分担する形で引き継がれることになりました。函館県、札幌県、根室県の三県一局時代です。

三県一局時代

明治期の北海道は函館・小樽が経済の中心でした。
札幌は行政の中心ではあるものの、経済は函館・小樽でしたので、人口は両者よりも少なかったのです。
初めて車が走ったのも路面電車が走ったのも函館だ!と、札幌勤務時代に函館のお客さんにマウントを取られていたことを思い出しますw

根室は今でこそ人口が2万人台で中標津町に抜かされると言われていますが、当時は中標津どころか釧路よりも人口の多い町でした。
漁業と交易で栄えていましたから、県都となったのでしょう。

しかし、局と県の足並みがそろわないこと、三県の人口差が大きく開拓の進捗にも大きな開きがあったことなどから、この体制は廃止され、北海道庁(内務省管轄)が設置されました。

・国の機関:北海道庁による開拓

北海道庁(内務省管轄)はあくまで国の機関で、国策で開発を進めるという体制には変わりありません。

私の祖父は戦前に旧制中学(現高等学校)に通っていましたが、北海道庁立釧路中学校という呼称でした。道立ではなく庁立というのが、じわっときます。

また、市町村区分も道外でいう市は道内では区に相当する時代がありました。札幌区、釧路区といった具合です。

明治期の開拓時代は、明らかに内地と違うという雰囲気ですが、大正から戦前にかけては、ある程度発展してきた都市部に関しては、内地と同等に扱っても良いのではと思うところも出てきます。しかし一方で内陸部や自然環境の厳しい地域では開拓が進んでいないところもありました。

現に釧路が区に昇格する際、人口密度を基準値まで引き上げるため、人口が少なく、開拓が進んでいない東部を一方的に切り離し、釧路村とし、自分たちだけ釧路区に昇格するということを100年ほど前にやってしまいます。
これが現在まで続く釧路市と釧路町の遺恨となっていくのですが・・・

・北海道開発庁

戦後、北海道庁からインフラ部門のうち政府の直轄事業に相当する部分を分離して北海道開発庁(現在の北海道開発局)が発足しました。

国と地方の二重行政と言う指摘もありましたが、1951年の北海道知事に社会党系の知事が当選し、政府の北海道への影響力低下を阻止しようという動きがありました。一方で、当時の吉田茂内閣は、八十年来の慣行では国の出先機関が北海道のインフラ開発を行ってきた強行したため、国:北海道開発庁、地方:北海道の構図が戦後にも残りました。

平成の行政改革で北海道開発庁は、国土交通省の北海道開発局となり、現在に至ります。

・オールを国に委ねてないか

長くなってしまいましたが、このような長く国が関与していく歴史の中で、開拓者精神という力強いスピリットは失われ、国の言うことをきく道・市町村になってしまたのではというのが、私の見解です。

国が○○してくれない、公共事業が回ってこない、市がダメなんだ、でなくて、まずはジブン達の脳で考え抜いて行動をしてみようというところから出発しないと駄目なのではないかと思います。

道外にいて言う話ではないかもしれませんが、、、、

北海道のオールを国に委ねるのではなく、ジブン達の手で持とう!

こんな動きが必要ですし、最近はNoMapsなどのイベントでもこうした動きが活発化しているように思います。

我が郷土・釧路でも、さまざまな取り組みをしているヒーローたちが出てきました。俺たちのマチは俺たちで作り、俺たちの時代は俺たちが作る!

こんな機運をもっと醸成していけたら良いなと思います。

○北海道とプロレスしようぜ!

長々と書きましたが、北海道はマジ最強だと思っています。

なにげに天神ビッグバンの総投資額より、札幌の再開発の投資額の方が大きい開発だったり、食料自給率が半端なかったり、最近はフグやブリなど、本州で獲れる魚が大漁でしかも品質が良いです。

なので、札幌再開発vs福岡天神とか、網走フグvs下関トラフグとか、白糠極寒ブリvs氷見寒ブリとか、プロレス合戦してマウントとってどんどんPRしていけたら良いんじゃないかと思います。

長年、国の言うことをきいてきたせいか、道民みんな優しくて言うこと聞く人が多いのですが、希少の荒い漁師町や炭鉱の町が多かったことを活かして多少おらついても良いですよね。

東京にいてあまり北海道の良さ凄さが伝わってこない。
むしろ福岡が凄いみたいなのばっかり。
これは悔しい。
もっと攻めよう!北海道!

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