20年以上前に自動車教習所のクランクの練習のときに言われた「はい、止まって見ないよ、ゆっくり動かしながら見て」という言葉を最近たまに思い出す。
あっ、いま考えているこれは俺が面影という言葉で考えたいことに繋がりそう、と散歩中に思いついたそのリアリティだけ残して素材(いま考えているこれ)のことはわからなくなった。と書いたらそれも面影だった。
近所のイオンで家族がセール品を見ている間に、下の子と雛人形の顔の違いを眺める。 雛人形はこんなに皆んな笑顔で口が開いていたか、と記憶をたぐっていると、ふとBGMから聴こえてくるフレーズに反応して子どもが"すまし顔って何?"と問いかけてくる。指さす顔がない。
年中に会社の中ではじめた読書会の記事を書きたい。どんな風に書くかを考えるのは楽しいが書くのは(いつも)大変。
ずいぶん長い時間ものごとを一般化する考えや志向に取り憑かれてきたと思う。たぶん臆病さから、という振り返りがそういった時間の断片の意味や価値を少し変えることになった。たぶん臆病さから。
祖母の命日、伯母にウチの家の写真にも花をあげておくとLINEしたら、早いね、あれから4年経った、と返信がある。ずいぶん前のことに感じられて、早いという言葉の意味が頭の中でもつれた。
アカウントの機能がWEBインターフェースに埋め込まれた当時のことはもう余り思い出せなくなっているし、当時はそんなに印象的な出来事だとは感じていなかったけど一大事だったんだなと思う。と、オンライン上でアカウントを強固に前提とした行為の中に埋め込まれながらつぶやくことになった、、
通勤の電車から見える河川敷に瀬替えでもするのかというくらい大量の土砂が運ばれていて、内容がわからない作業が進捗するにつれて部分的に川幅が狭くなり流れが速くなっている。 昔部活で川に生息(?)する珪藻の分布を調べていたときに流れの速さによってそれに変化があるかというパラメータがあったのを思い出した。 それは結構地道な作業で、年がら年中顧問の先生のセダンに乗って川から標本の元を採集にいっていたはずなのに細部の工程を思い出せない。 川の石を歯ブラシでこすりながら水をまわしかけてそ
2000年代のいつぐらいの時期かが曖昧だけど自己紹介の欄に人間観察と書いてあるのをよく見かけた。いまそう書いてあったら、それはイキりとして捉えられるかもしれない。「何でお前が一方的に観察する側なんだ」という感じで。
親は子どもの泣きを発達のどこかのタイミングで要求のコンテクストでは受け取らなくなる。あまつさえそれを嘘泣きであるとさえして要求のコンテクストを言語的な運用にズラす事自体を求めるようになる。
ドゥルーズ『千のプラトー』のプラトー(≒章)のひとつ「道徳の地質学」の読書メモを少しずつしてみようと思う。 この章は単にパラパラ読んでいるだけだとうまく理解がすすみそうになかったし、誰かに読んでもらう構えで書いて―書いてあることを自分なりに読み替えたり展開して―何かしら取っ付きを設定してみたかった。 とは言うものの、誰かに何かを伝えようとするときの自分のフォーマットは、この文章はこれこれこういうことが書いてあって、この部分部分はこういう繋がりがあって、みたいな全体先取り的に
ここ最近、身体性という言葉をネットで見かけることが多くなったと感じる。自分としてはこの言葉をある程度ポジティブに受け取るような文脈を受容してきた意識があったから、自分がいまその言葉の用いられ方を目にするときに嫌悪感とはいかないまでも抵抗感のようなものを感じていること自体に引っかかりがある。 ITの印象的な展開について書き手が身体性を持ち出したりするのを目にすると、イメージはわからなくもないけど実際それを持ち出してきて何か嬉しいことがあるのか、という反発の気分を自覚する。身体
友だちの家にいた犬の名前はリキとキミのローテーションだった。自分が18まで実家にいたそれまでに友だちの家の犬がそんな入れ替わったとは今では信じがたい。 「今度はなんて名前なの?」 「いまはキミ」 今度は、というのは小さかったのか。母子だったか。母はリキか?いや。それに父は?
何年か前、ふと気づいたら知らない小さい子が俺の影を日陰として使っていたということがあった。先方こっちが気がついたのに気づいてもうごく様子はなかった。じっ、としていた。
外国で、日本にあるみたいな密集したいわゆる飲み屋街がある国ってあるのかな。(おそらくあるだろう) ハシゴだったり、店の人に酒を飲んでもらったりというような飲み屋街のそこここで見られる定型的な所作やその解釈を規定するような関係のパターンのことが少し気になる。