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日記やエッセイ、散歩の記録。 間違っていると後から気づいても、なるべくは記事を消さない…

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日記やエッセイ、散歩の記録。 間違っていると後から気づいても、なるべくは記事を消さない。恥をさらすだろうという抵抗感も込みで書いていきます。

最近の記事

恥の多い人生 2024/09/15週

 誰もいなくなった実家の鍵を中の整理という名目で世話になっている弁護士から受け取って、明確な期限を設定されていないものの、時間が余りないことが意識されている。 「家にあったピアノはできれば売りたいと思ってます。ピアノというのは家電とは違って木でできているんで、修理をすればやっぱりピアノということになります。他のものとは少し扱いが違ういうことになります」 「そうですか。そのあたりの判断はもう以前に送っていただいた書類でも伝えたんですが、私たちはこだわりませんので、今回鍵をお借

    • 今日は星がよく見える。あっ、比喩じゃなく。

      • 使う言葉 2024/09/08週

         彼が長い間離れていて元々は実家のあった海沿いの街に住むようになってから、自分が少なくとも退屈して過ごさないでいることに、思った通りとまではいかないまでも、まあそうなるだろうと感じていた。40を過ぎてから、病院にいる父親のことをないがしろにしている感覚を前より頻繁に感じるようになっていたし、そういうネガティブな感覚よりも、その街にいる自分のほうがイメージしやすいと思うようになっていた。  最近はこういう昔だったらアパートと言っていた建物もマンションっていうようになったんです

        • 第一回 哲学の勉強会ふりかえり 勉強会と向き合う 2024/09/01週

          諸々準備をしてきて開催した第一回 哲学の勉強会のふりかえり。 前回の記事では課題本(ルソー『社会契約論』第四篇)の内容と個人的な記憶を結びつけてみて、本で扱っている内容を個人的な文脈の上で再考するということをしてみた。それで一緒に勉強会をしている同僚に「何か途中から日記みたいになってましたね」と言われた。まあ日記っちゃ日記だと思う。とはいえ、やってみて本を読んでいたときには気づかなかったルソーの主張に対して気づいたことを自分の記憶から引っ張り出せたのはよかった。 それをざっ

        恥の多い人生 2024/09/15週

          「また明日」と人に言ったのはいつぶりだろう。次はいつ言えるかね。今度帰郷するときに父にそう言うかもしれない。どんな気持ちになるか、想像つかない。

          「また明日」と人に言ったのはいつぶりだろう。次はいつ言えるかね。今度帰郷するときに父にそう言うかもしれない。どんな気持ちになるか、想像つかない。

          第一回 哲学の勉強会ふりかえり ルソー『社会契約論』 2024/08/25週

          こういう内容を普段の週次投稿にしてしまうのは自分でもなんだかなぁ、と思うものの、諸々準備をしてきて開催した勉強会のふりかえり記事。本の内容と勉強会のやり方について、それぞれざっくり整理しておく。 概要今回の課題本はルソー『社会契約論』第四篇。 おおまかな内容としては、集団の人数が増えたときの意思決定の枠組みだったり、その前提となるような考え方をどう実装しようか、みたいな話。 ルソーが例として出してくるのが古代ローマの政治体制とかの話になりがちでピンとくるまでに少し時間がかか

          第一回 哲学の勉強会ふりかえり ルソー『社会契約論』 2024/08/25週

          そう書いたから 2024/08/18週

          実家のそばの海沿いの旧国道のことで、これを書いている今それほど思い出せる記憶がないことにもどかしい感じがする。すぐに取り出せるような思い出せる記憶がないことは、人に話したり文章にしたりしたことがないということだったり、誰にも話せなかったり、話すことの意味を見つけられなかった、ということでもある。 前にnoteに書いた旅館が実家の彼と中学の終わりくらいから高校のはじめくらいまでだったと思うけど、夜に一緒に海沿いをランニングをしていた。彼が海沿いの旧国道から坂をのぼってうちに迎

          そう書いたから 2024/08/18週

          学習と情動 2024/08/11週

          『人はいかに学ぶのか』Chapter2の情動と学習の関わりについて述べた箇所に、こんな記述がある。 学習といわれるような変化が個体に起こるときには、何かしら気持ちの動きが伴う。だから気持ちの動きが感じ取られないようなときは、学習は発生していないと考えられるだろう、と。 個人的には(情動を理性の内的な基準として用いるという)スピノザを思い出させるこの箇所を読んで、いろいろと発想を展開させることができそうに思えた。 例えば難しかったり、読みづらい本を頑張って勉強しているとき

          学習と情動 2024/08/11週

          彼らの帰り道 2024/08/04週

          海沿いの町の国道沿いに住んでいた彼は家の中の暗いところが怖くて、夜になるとリビングのガラス戸の傍のソファに横になって目が夜の暗さを取り込まないように背もたれを目隠しにしていた。そこから食事をしていたテーブル越しにテレビを眺めたり、うつ伏せで母親の漫画を読んでいた。 漫画を読んでいるうちに感覚はそちら側の世界に寄り添うようになって、体が起こされ、漫画の中のイメージをリビングにあるものだけでなく外の暗さにもトーンされていくようになっていたから、彼は漫画をそう使っていた、とも言え

          彼らの帰り道 2024/08/04週

          [おはなし]の練習 2024/07/28週

          午前中に必要な作業だけ片付けて、昼から休むことを同じプロジェクトのメンバーに連絡をした。マネージャーが当日のお休みは申請のステータスを事後にしてください、と伝えてきたので、それを修正した。当日の午後休を午前に伝えるのは事後ですかね、と思いついてしまったから、「今日っていつから今日なんですかね」といつもそうするように笑いながら軽口をたたいて、昼食は何にしようかとぼんやり考えていた。 マネージャーはそういう彼のことを厄介に感じたり、測りかねるところもあった。「どうなんですかね」

          [おはなし]の練習 2024/07/28週

          伸びた髪を部分的に自分で切るようになった。高校のときに同級生のKちゃんが教室のゴミ箱の上でじょきじょき自分の髪を切っていた。それを女子が訝しげに見ているのを、これがおれらのKちゃんだ、と誇らしく思っていた。「おれ髪の量多いけ」「Kちゃん前髪すごいことなっとるよ」「すぐ伸びるわね」

          伸びた髪を部分的に自分で切るようになった。高校のときに同級生のKちゃんが教室のゴミ箱の上でじょきじょき自分の髪を切っていた。それを女子が訝しげに見ているのを、これがおれらのKちゃんだ、と誇らしく思っていた。「おれ髪の量多いけ」「Kちゃん前髪すごいことなっとるよ」「すぐ伸びるわね」

          (わたし―あなた)の中 2024/07/21週

          勉強会を一緒にしている仲間と鳥貴族の柱の仕切りのついたテーブル席で飲んでいるときに中のひとりが、キャラクターがデフォルメされているのを見ると何故か悲しくなる、ということを言って、例えばどういうキャラクターなの、と聞いてみると、Vチューバーの人気のストリーマーをあげてくれた。 キャラクターが本人の意図を離れて解釈されて、それが誇張されて新たなイメージがつくられるのはネット文化ではありがちなことに思えるものの、それを目の当たりにしたときに悲しみの感覚が伴うのはどういうことなんだろ

          (わたし―あなた)の中 2024/07/21週

          beingが書けない 2024/07/14週

          久々にジョイスの『ダブリンの市民』をパラパラしていて、登場人物の多さに考えさせられる。 というのも自分の書くものは登場人物が少ないというより、自分ひとりぼっちのこともあるし、出てきて1人か2人くらい、それも自分の頭の中のその人という感じで登場人物という感じがあまりしない。 せっかく週に1回書くと決めたんだから少しでも書くのが上手になりたいという気持ちはあって、その中のひとつに書くものの中の登場人物を増やしたいという目論見があったりする。賑やかなのが好きなので自分の書くものがそ

          beingが書けない 2024/07/14週

          空っぽの冷蔵庫 2024/07/07週

          ここ何週間かで2回くらいクリスマスという言葉を使うことがあって、それでふと思い出したことを書いてみる。 私の実家は国道沿いに面したいわゆる田舎の街のケーキ屋で、喫茶店を併設した建物の1階の全体がお店と工場(コウバ)になっていて、その2階が家族の住まいだった。 建物の正面と向かって右側から裏口までの喫茶スペースはガラス張りで、そのスペースに工場が少し縦長のコの字に囲まれていた。ケーキの並んだショーケースの背面左手から工場にはいると、手前側から業務用の冷凍庫と冷蔵庫がいくつも

          空っぽの冷蔵庫 2024/07/07週

          勉強会を育てる勉強会をつくる 2024/06/30週

          またいつまで続けられるかわからない週次投稿をはじめてみるつもりです。 そりゃそうって話ですが、ページをひらいたら普段自分が考えていることや、これまでどうやって生きてきたかとか、これから自分が何をしたいかなんて一つも何も書いてなくて、ここからまたはじめることに怖気づいてしまいそうになります。とはいえ、まだ書かれていないということ、これからまた書きはじめられるということは私たちにとっての未到の場所であるということを、書いていない時間が知らせてくることはままあることのようです。

          勉強会を育てる勉強会をつくる 2024/06/30週

          20年以上前に自動車教習所のクランクの練習のときに言われた「はい、止まって見ないよ、ゆっくり動かしながら見て」という言葉を最近たまに思い出す。

          20年以上前に自動車教習所のクランクの練習のときに言われた「はい、止まって見ないよ、ゆっくり動かしながら見て」という言葉を最近たまに思い出す。