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恥の多い人生 2024/09/15週

 誰もいなくなった実家の鍵を中の整理という名目で世話になっている弁護士から受け取って、明確な期限を設定されていないものの、時間が余りないことが意識されている。

「家にあったピアノはできれば売りたいと思ってます。ピアノというのは家電とは違って木とハリガネでできているんで、修理をすればやっぱりピアノということになります。他のものとは少し扱いが違ういうことになります」
「そうですか。そのあたりの判断はもう以前に送っていただいた書類でも伝えたんですが、私たちはこだわりませんので、今回鍵をお借りするのも母の遺品、といっても漫画、えー、コミックとかですね、本とか細々したものを見ておきたいと思っているんです。」

 そう伝えながら、彼は先に言われた内容から自分たちが何か資産となるようなものを持ち出したりする意図はない、ということを先回りして言った。ピアノの話をされなければ、する必要のない言い訳にも思える。とはいえ繕うところがないわけでもない。

「遺品の整理っても何するわけじゃなくて、自分たちが過ごした家がそうじゃなくなるってのに向き合う、ったら大げさだけど時間が欲しいと思っちゃったんだよね。ずっとほったらかしだったのに都合がいいと自分でも思うんだけど」
「それ聞いてさ、あのヤマちゃんって覚えてる?あの汐入の方の家に住んでた」
「ああ、あの左利きのヤマちゃんだろ。サッカー一緒だったじゃんか」
「そうそう、ヤマちゃん小学校の途中で引っ越して、家はそのうちに他の人が住むようになってさ、でもこっちはあそこはヤマちゃんの家ってのがあるから、まだヤマちゃんがいる感じがちょっとするっていうか、家の前通ったときとか、ちょっと今日いるかな、ってのが頭を過るっていうか」
「おれら結構遊びいっとったもんなヤマちゃんち」
「そうそう、で、何かのタイミングでふとヤマちゃんがあそこ通ったらどう思うんかな、と思ったわ」

 どう思うだろう。
 彼は前に昔祖父が住んでいた家の最寄りに、東横線にのった何かのついでで降りて、記憶の中の道をなぞってそこまで行ってみたことがあるのを思い出した。
 祖父が住んでいた細長い家は一度バラされて他の家になっていて、その余所の家が場所に馴染んでいると感じていることが、駅からその場所までなぞってきた道の眺めが記憶を触発するのとギャップがあると感じていた。

 だから、今度は家があったね、と彼は思った。住んでいた家がそのままあるから違和感を感じようもない。

「雑草はシルバーに頼んでるって言ってた」
「飛行機のって、来ましたよ、だ。ほんと遠いわ」

 国道沿いの店の構えの正面からはいることに抵抗感があることに弁護士と電話したときの繕いと関わる意識があることに彼は気付いた。だったら裏からは入られないね、と表から鍵をあけて、ショーケースのなくなった店の中にはいっていく。

 彼はショーケースがなくなった後の店を何度も見ていたが、それまでと違った感情になっていることに動揺して、妹と来たくなかった、と思った自分を恥ずかしいと思った。ひとりで来て泣きたかったわけだ、この馬鹿は。
 気持ちに始末がつかないのに任せて包装紙だったり店の資材がしまってあった棚をあけて、このあたりにCDプレイヤーがあったな、とつぶやいている。

 彼の妹はスーツケースを置いて、元は中庭だった、そのうちに倉庫と2階が彼らの部屋になった側に出るガラス戸をあけて、家に入っていった。
 彼は倉庫の入口をあけて、壁一面になっている本棚を見渡して、その中のひとつを手に取って、店の喫茶スペースにまだ残っていた椅子のホコリをはらって座り、それを読み始めた。
 中庭はあったほうが良かったと思いますよ、とガラス壁を眺める。

 彼は近所の古本屋が書いている日記に、「毎週実家に行って片付けを始める。親の思い出を壊していくわけだけど。」と書いてあったのを思い出した。

「本のリストはご覧になりましたか」
 老主人が声をかけてきた。
「はい、見てみました。日記も書いていらっしゃって、面白く読ませていただきました」
 老主人は笑って、
「ああ、あれはお読みにならないでください」と返した。
 彼は、こういうのを言っちゃうのが俺なんだよな、と帰り道でふりかえった。3冊で1400円の勘定のはずが、1000円です、と伝えられて、今度から端数がなるべく出ないように選ばないと、と考えていた。
 恥の多い人生ってやつだ、と笑った。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。