note小説:「電脳畑でつかまえて」(3/3 最終話 約4500字)
*この小説は、記事3話の構成となっていますので、第2話をまだお読みでない方は、以下のリンク先からどうぞ
* * *
時計が、午後5時を回ろうとしていた。
僕は、万里小路さんがオフィスを出るのをじっと待っていた。今度こそは、会社を出た後に彼女を捕まえて、真相を確かめるつもりだ。
「じゃーん! 小杉先輩っ!」
日葵さんが、僕のデスクのパーテーション越しに、いきなり顔を出した。
「うわっ、なあんだ、日葵さんか。びっくりしたなあ!」
「見積もりの直し、あれで良かったですか?」
「あ、ごめん。まだ眼を通してないんだ……」
日葵さんは少し落胆した表情を見せたが、すぐに顔をあげた。
「もう5時ですから、気にしないで下さいね」
「ああ、明日の朝、ちゃんと見ておくから……」
僕は生返事をしながら、デスクの上を片付け始める。万里小路さんがオフィスを出てゆくのが視界に入ったからだ。
僕は立ち上がってちょっと右手を挙げ、日葵さんに、じゃ、と短く言った。
「お疲れ様です……」
日葵さんは、ペコリとお辞儀をする。ポニーテールに結わえた髪が、ぶるんと揺れた。
あっ、そうか。
彼女は自分で髪のことに気づいたんだ。やはり、何も言わないでいて、正解だった……。
僕はそう思いながら、足早にエレベーターホールに向かった。
万里小路さんは歩道の雑踏の中を、颯爽と歩いてゆく。
やけに足が速いなあ、と僕は感心しながら、彼女を見失わないように注意深くあとを付けて行った。
僕の行きつけのカフェの前まで差し掛かった時、思い切って声をかけた。
「万里小路さん!」
口を半開きにしたまま、彼女は振り返った。ボブの髪が頬にかかって、口元に毛先が引っ付いたのを、右手の薬指で直している。
「まあ、ヒロトくんじゃない。どうしたの?」
「ちょっとお話があって……」
彼女は小首を傾げて2秒くらい考えていたが、やがて、わかったわ、と呟いた。
「ここに、しましょうか?」
彼女は人魚を象ったロゴを指さして微笑んだ。
夕方の店内は混んでいた。
彼女は一番奥のソファの席を指さして、あそこ空いているから、座って待っとってね、と早口で言い残し、注文カウンターへ行ってしまった。
「で、話しって何?」
僕は、隣に座っている会社帰りと思しき女性たちが気になった。それで、万里小路さんの顔を覗き込むようにして小声で話し始めた。
「あの、万里小路さんのその顔、もしかして、怪我したんじゃないかと思って。……ちょっと心配だったんです」
彼女は、ぴくっと左の眉を上げた。
「あら? バレとったん?」
「……何か、あったんですか?」
彼女は小さなため息をつくと、カフェオレのカップを片手で持ち上げて、一口飲んだ。僕は辛抱強く彼女の返事を待った。
「ちょっと、転んだんよ……」
ああ、やっぱり言いたくないんだ……。
「……僕、見たんです。木曜日に、万里小路さんがビルから出たあと、迎えに来た高級車に乗り込むところを」
彼女は、カップを静かに置いた。そして、カップをそっと両手で包み込んで、それをしばらく見ていた。
「あら、そうなん? 見られとったんじゃ……」
首をすくめる様にして苦笑いをすると、彼女は、眼を上げてから呟いた。
「そうなんよ……。ヒロトくんの推測通り、彼が私に手をあげたんよ……。金曜日は、まだ顔が腫れとったけえ、休ませてもらったってわけ」
「えっ?」
まさか、彼女があっさりと打ち明けるなんて予想していなかった。僕は面食らった。
「昨日、彼と話し合ってきれいに別れたんよ。じゃけえ、もう心配せんでええよ」
「……そうだったんですね。すみません。プライベートなことに首を突っ込んだりして……」
「ええんよ。……心配してくれて、ありがとう、ヒロトくん。もう、大丈夫じゃけん」
そうか……。
僕がガタガタ騒がなくても、彼女は自分で解決していたんだ……。
ちょっと拍子抜けしたような、安心したような妙な気分だった。
「……ヒロトくん、『完璧な女』ってどう思う?」
「えっ、何ですか? 藪から棒に」
彼女はいったい何を言いたいんだろう?
僕は灰色の脳細胞をフル回転させて考えたが、彼女の意図はわからなかった。
「万里小路さんは、素晴らしい女性です。空気が読めて良く気がついて……。貴女は、僕の理想の女性です!」
あっ、しまった! やらかしてしまった!
僕は、つい言わずもがなの一言を、思わず口走ってしまった。
「まあ! ヒロトくんたら、そんな風にうちのこと、見とったんじゃ」
表情をまったく変えずに、彼女は軽くさらりと応じた。
「でも私、年下の男性は、ストライクゾーンじゃないのよ。……ごめんなさいね」
あ。
あああ……。
やっぱ、そうだよなあ……。
万里小路さんは、何もなかったかのように受け流した。やはり、彼女は大人なんだ。
今ここで僕が出来ることは、今の言葉を「ギャグ」にして、さらりと終わらせることしかなかった。
「じゃあ、今のは、外角高めのボールっすか?」
「そうねえ……。内角低めのワンバンで、しかも、ワイルドピッチかな?」
「あはははは! そ、そりゃあそうですよねえ……」
「……でもさあ、完璧な女なんて、男には耐えられんのんよ、きっと」
万里小路さんは、再び真剣な表情に戻ると、ひそやかな声で話題を変えた。
「仕事も完璧で、高収入なバリキャリ女性……。家事は完璧にこなし、どんな時でも感情の起伏を表に出さず、全てをソツなくこなして見せる……。そんなのを見せつけられたら、男性は、劣等感を感じてしまうんよ」
「劣等感、ですか?」
「手をあげた瞬間の彼の眼を見て、私にはそれがわかったんよ。私が彼を追い詰めていたんだって」
「な、なにもそんなに自分を責めなくても……」
「自分をレベルアップさせることで、人生が向上してゆくと思い込んで、これまで頑張って来たんじゃけどね、……もう、『たいぎい』かなって」
たいぎい?
そうか、彼女はもう面倒臭くなってしまったんだ……。
「……じゃけん、あのスマホ、解約したんよ」
彼女はテーブルの上に、J-phone27よりも一回り小さい、別のスマホを取り出した。
「AIのアドバイスは、もういいかなあって。もっと自分に素直になって、肩の力を抜いた方がいいって、気がついたんよ」
えっ? そうだったのか……。
「あっ、ヒロトくんにあのスマホを勧めておきながら、こんなこと言って、ごめんなさいね」
「い、いや、いいんです……」
僕は、あれからずっとスマホの「生体認証アプリ」をオフにしたままだったことを思い出した。
「……とりあえず良かったです。万里小路さんが元気でいてくれて」
「ありがとう。じゃあ、私、先に帰るね。話しが出来て良かったわ」
「僕もです。ありがとうございました」
彼女はバッグを掴むとさっと立ち上がって、右手の人差し指と中指を交互に振ってバイバイをした。
僕も右手を挙げて応えようとしたが、彼女は振り返りもせずに店を出て行ってしまった。
ここでスパッと話しを切り上げるところが、いつもの万里小路さんらしかった。
五分後、僕は鯉城通りの夜景をぼんやりと見ながら、あてもなく北へ向かって歩道をブラブラと歩いていた。
ひとまず、万里小路さんが大人の対応をしてくれたおかげで、明日から気まずい雰囲気になることはないだろう。
しかし、それにしても……。
完璧な女性に劣等感を抱いて、追い詰められた男……。
30を過ぎた男でも、そんなものなのか?
彼女が、J-phone27を持っていたことにも、気づいていなかったのか?
きっと、自分のことしか考えてない男だったんだ、あいつは……。
「小杉先輩っ!」
紙屋町の交差点にさしかかった時、突然、背後から声がした。
「うわっ! ……ああ、なあんだ、日葵さんか」
日葵さんは赤いスプリングコートを着て、歩道の真ん中で仁王立ちしていた。腕組みをしたまま、上目遣いで僕をじっと見ている。
「小杉先輩って、万里小路さんと付き合っているんですか?」
ちょっと口を尖らせて、僕を睨むように見ていた。大きな眼が三白眼のように見えて、ちょっと凄味があった。
「なあんだ、見てたのか。あれはねえ、ちょっと人生相談をしていただけなんだよ」
「……本当ですか?」
「本当だよ、嘘ついてどうするんだ? 万里小路さんは、僕のボスだぜ」
それを聞くと、彼女はやっと表情を和らげた。
「なあんだあ、そうだったんですね! それならいいんですけど……。ガラス越しに見つけて、絶対これは怪しいと思って、先輩のあとを付けて来たんです」
「……んなわけ、ないだろう?」
僕は自分に言い聞かせるようにそう言って、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
「どこ行くんですか? バスセンターはあっちですよ?」
「ああ、ちょっと歩きたい気分なんだ……」
そのとき、大通りを緑色の路面電車が低い音を響かせて、僕らの横をゆっくりと通り過ぎて行った。
「小杉先輩! 『原爆ドーム前』の電停って、もともとは『櫓下(やぐらした)』って名前だったって、知ってます? 昔、広島城の外堀の角に大きな櫓があったからなんです」
日葵さんは、僕の横を歩きながら楽しそうにしゃべり続けていた。
「私のおじいちゃんって、若い頃、広電(ひろでん)の運転手だったんですよお」
ああ、なあんだ、おじいちゃんの話しだったのか……。
「私、嫌なことがあると、わけも無く広電に乗るんです。すると、悩みなんて消えちゃうんです。だって、おじいちゃんに『だっこ』してもらっているような気がして、安心するから……」
僕はそれを聞いて、ふと立ち止まってしまった。
「えっ? おじいちゃんに『だっこ』? ……日葵さんって、ホントに面白い事、言うよなあ」
日葵さんは、赤いコートの裾がヒラヒラさせながら、僕のまわりを行ったり来たりしている。それはまるで、赤頭巾ちゃんが森の中で花を摘みながら踊っているようだった。
……そうか、そうなんだ。
この子にもいろんなことがあるんだ。彼女も悩みを抱えながら、頑張っているんだ……。
だとしたら、僕が今やるべき事とは、この子が崖から転げ落ちそうになったら、さっと駆け寄って助けてあげることじゃないのか?。
そうして、僕の身の回りにいるすべての人に、こっそりと気を配りながら、それとなく守ってあげること。
木漏れ日の優しい森のような、包容力のある人間になって、みんなを安心させてあげること……。
それが、僕のやるべきことなんだ。
「日葵さん?」
「えっ、なんですか?」
「仕事中にオフィスを抜け出して、市電に乗りに行ったり、しないよな?」
「えっ? まさかあ!」
日葵さんは、小ぶりで綺麗に並んだ白い歯を見せながら笑っている。
僕は、何とも言えない柔らかな気持ちに包まれながら、彼女の無邪気な表情を見つめていた。
(FIN)
尚、表紙のイラストは 優谷美和(ゆうたにみわ)|note さんのものをお借りしました。誠に有難うございました。
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