大吠楽飢

あたおか

大吠楽飢

あたおか

マガジン

  • コラム、随筆、エッセイ、創作

    コラム、随筆、エッセイ、創作など

  • 書庫

    おきに

  • つぶやき

    つぶやき

  • あんたがたどこさ考

    手鞠歌「あんたがたどこさ」に関する考察、私見の纏めをnote用に短く編集した「やりすぎ都市伝説」ばりのトンデモ話

  • 漱石と

    夏目漱石とその周辺について隙間時間にさっと読める軽めの分量で投稿したもののまとめ

最近の記事

正邪の亢進

予てより臍は確かに曲がっていたが、心と同じく一旦折れてさえも鼻は真っ直ぐだった。 最近周囲が焦 (きな) 臭い。臭 (にお) っている。 「臭(くさ)い」のが沢山集って来たようで、臭 (にお) って臭って臭くて臭くて、ここに来て流石の私の鼻も曲がってきた。 さて、ここにスタンダード且つポピュラーな究極の質問がある。 糞味のカレーかカレー味の糞か ご存じの通り、どうしても食べなければならないとしたらどちらを選択するか? という問いだ。 因みに、私はカレーが大好物であり、―

    • ハナノハナシナノ

      なんか、最近「鼻」づいていてました。申し訳ありません。 流石にもう「鼻」いいだろて事で、この辺で「鼻」の話しは無しにして、纏わる作品リコメンドして終わりにしようと思います。 てことで、お暇な方はお付き合いください。はい~。 てことで「鼻」ね。 「ああ、あれね」て思い浮かんでる方多いと思うんですけど、多分それじゃないんで。残念した。 だって、あれでしょ、どうせ、芥川龍之介の「鼻」でしょ? 違うんで。見当違いね、それ。こないだ「侏儒の言葉」取り上げて、それに芥川龍之介で読み返す

      • noteと私とわたくしと

        それは日記ではなく、手記でもない。況んやドキュメンタリーをや。 ここnoteに於ける「私」とは、現実の「わたくし」とは異にする存在である。 これははじめに断っておくべき事だったかも知れない。そう思い、おくらばせながら今こうして認めている。 こう書けば、矢張り「私」は「わたくし」なのだ、と深読みしたり、「逆もまた然り」などと言い、持論を展開して見せる人が現れる。 斯様に人間の心理とは厄介なものだ。 是と言えば非、非と言えば是、否定すればするほど、疑いは益々深く濃く、逆に事実

        • 蒸熱の小鼻

          「答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方 涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方 情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう 花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方」(甲本ヒロト「情熱の薔薇」) 「衂 (はなぢ) はそこからやって来る 鼻孔のちょっと奥の方 蒸熱 (じょうねつ) で真っ赤な小鼻 (しょうび) を皆に栄 (さか) せよう 過敏にミューズをあげましょう此処よりずっと奥の方」(不肖わたくし) 前者は涙についての賢者の見解であり、後者は衂(はなぢ)についての愚者の見

        正邪の亢進

        マガジン

        • コラム、随筆、エッセイ、創作
          30本
        • 書庫
          65本
        • つぶやき
          13本
        • あんたがたどこさ考
          4本
        • 漱石と
          9本

        記事

          いぼぢ、きれぢ、はなぢ

          どうもです。今日も冴えない私ですけどチャッチャと下らない話始めちゃいます。 表題ね、これ何言いたいのかって言うと、あれですよ、違うものなんだけど並べると同一に感じちゃうっていう奴。 何それって言う物分かりの悪い輩の為に丁寧に説明して差し上げましょう。 例えば、 「しんしき(新式)、きゅうしき(旧式)、くらしき(倉敷)」 クラシック的ななんかですかねコレなんかわ あと 「くまばち(熊蜂)、すずめばち(雀蜂)、きんぎょばち(金魚鉢)」 こっちは動物繋がりね。 こういう思わずコ

          いぼぢ、きれぢ、はなぢ

          町火消し「大組」考

          嘗て東京が江戸と呼ばれた頃、町には「いろは四十八組」と言うものがあった。 これは諸君もよくご存じのことと思う。 これについては何時か機会があれば取り上げてみたい。 今回ここでは、あまり聞き馴染みのない、「大組」について取り上げるようと思う。 其の壱 「いろは四十八組」小組から大組へ 「いろは四十八組」が組織されて程なく、いろは各組を五組程度をひと組とする十組の「大組」が組織された。 この十組の「大組」は後の改革で、「四番」は「五番」に、「七番」は「六番」に吸収統合され欠番扱

          町火消し「大組」考

          物書きっていいなと思った。最近。瑣末な日常がネタになり膨らみ拡張し拡散する。素晴らしいなって思ったよ。口コミュニケーションて言うの? 伝聞馬鹿に出来ないよね、現代に於いても

          物書きっていいなと思った。最近。瑣末な日常がネタになり膨らみ拡張し拡散する。素晴らしいなって思ったよ。口コミュニケーションて言うの? 伝聞馬鹿に出来ないよね、現代に於いても

          二起床

          私は、心から死ねばいいのにと思ってます。それも、全滅を願っている口です。 繁殖期のカラス、怖いし騒々しいです。 本邦の糞な鳥獣保護法の前に、この迷惑至極な極悪党は保護されているという現実、とても直視できません、私は。 「三千世界のカラスを殺し ぬしと朝寝がしてみたい」 御高名な方の詠んだとされる有名な都都逸ですが、心に染み渡ります。 日本中の喜瀬川を巡り、起請文を頂戴して回りたいです。そして全部破りたいです。 勿論、カラス殲滅の為に。 嗚呼、今こそ私はぬしと二度寝が

          糞ほど愛人いて “One love” じゃ満足できなかった男の話にそのタイトル付けるのか? ファンタジーとしてなら有りかもね お涙頂戴とかマジ勘弁

          糞ほど愛人いて “One love” じゃ満足できなかった男の話にそのタイトル付けるのか? ファンタジーとしてなら有りかもね お涙頂戴とかマジ勘弁

          肋間神経鷲掴み、ギュッと

          涙なんか要らないんだよ ああ、コレ何か切ないなって そういうのあるじゃないですか あれ好き ここ最近の私の場合だと、例えばこんな奴ね わかります? クローズアップして、見易くHDR強めで編集したのが下の写真 写真撮ってる時は全く気が付かなかった 部屋で、撮った写真見ていて気が付いた 屋根裏見て! 上棟飾り写ってたんですよ こういうのね いつからここにあったの? とか この下で家族が何人何年生活してたんだろ? とか ああ、て声が漏れて、肋間神経ギュッてなる 皆さん肋間

          肋間神経鷲掴み、ギュッと

          世田谷ビッグブロッコリー

          世田谷ビッグブロッコリー

          あんたがたどこさ 考 ④

          その4 番外 “DHA” “Love” と言えば「45」、 “Love portion” と言えばナンバー「9」、と言ったように「何々」と言えば「数字のX」と言うものがこの世にはいくつかある。 聊か番外も番外過ぎるとは思うが、「どこさ」繋がりで “DHA” 、詰まりドコサヘキサエン酸ついて、ここに取り上げたいと思う。 その前に、多くの方が “DHA”を「ドコサヘキサ塩酸」であると勘違いしているが「ドコサヘキサエン酸」が正しい。詰まり「ドコサ・ヘキサ・エン・アシッド」である。

          あんたがたどこさ 考 ④

          Pixel 6aのかこって検索に翻訳ボタン来た! うれしい

          Pixel 6aのかこって検索に翻訳ボタン来た! うれしい

          あんたがたどこさ考 ③

          その3 ちょっと長いよ さて、前章でVatican's fig leaf campaignに触れ、それとこの手毬歌の共通点を匂わせた訳だが、あの一行のみを以てそんなことを言い出した訳ではない。それではただの妄言に過ぎないと言うものだ。 私は、この歌詞を具に見て驚きを禁じ得なかった。パズルのピースが次から次へと嵌まって行くのを感じた。それも面白い様に嵌まるのである。 それは、最早最後の1ピースが嵌まるのを待つまでもなく、眼前に広がるものが“Vatican's fig leaf

          あんたがたどこさ考 ③

          あんたがたどこさ考 ②

          その2 芸術か猥褻か? Vatican's “fig leaf campaign”。日本語に訳せばバチカンの「無花果の葉運動」となる。 ご存じない向きに大雑把に説明すれば、これは嘗てヨーロッパを席巻した大規模かつ長期に亘る「芸術検閲行為」の事である。 詰まり、16世紀、Vaticanに端を発したこの「芸術検閲行為」は瞬く間にヨーロッパ中を席巻した。裸体をモチーフとした作品は、例えば絵画であれば木の葉や腰布を描き足され、また像であれば作り物の木の葉でその股間を隠された。 有名

          あんたがたどこさ考 ②

          あんたがたどこさ考 ①

          その1 定説、通説 「あんたがたどこさ」という手毬唄を、皆様はご存じの事と思う。 この歌は熊本の手毬歌というのが定説だ。 また、埼玉の川越が舞台とする説もあるようだ。 そこでここではこの川越説について少し触れたい。 簡単に話して終えば、戊辰戦争時の川越が舞台だとする説である。 つまり、戊辰戦争に際し川越に進駐した薩摩の志士と川越の子供たちとの交流――遣り取りを歌ったもの、だというのだ。 何はともあれ、その説を要約すると下記の通りである。 曰く 川越の子供(以下川):あんた

          あんたがたどこさ考 ①