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漱石と

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夏目漱石とその周辺について隙間時間にさっと読める軽めの分量で投稿したもののまとめ
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記事一覧

漱石と「ホトゝギス」

1897(明治30)年、海南新聞社(現・株式会社愛媛新聞社)で記者を務める傍ら俳句を嗜む柳原正…

大吠楽飢
2か月前

漱石と「長椅子」

徳川の治世、御鷹部屋御用屋敷や御留場であった地に、維新後「神葬墓地」が造られ「雑司ヶ谷旭…

大吠楽飢
3か月前
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漱石と「小日向」番外 小石川

結論だけ書くが、小石川は「恋し」川なんだと思う。

大吠楽飢
3か月前

漱石と「小日向」その2

さて、小日向に養源寺はないが「本法寺(ほんぽうじ)」がある。真宗大谷派(しんしゅうおおた…

大吠楽飢
3か月前

漱石と「小日向」その1

小日向の呼称は元来「こびなた」であった。 住居表示実施に拠る町名変更に伴い仮名表記が「こ…

大吠楽飢
4か月前

漱石と「隣の客」その1

その客、幼名を「処之助」といい、本名を常規といった。 俳句を嗜む洒脱なその客は流行り病で…

大吠楽飢
4か月前
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漱石と「隣の客」その2

「懲り懲りする程食らう」そんな柿好きの彼は発句や短歌を研究している際にあることに気付いたという。 『柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった。』(「くだもの」○御所柿を食いし事) この発見が、余りにも著名な一句を生じたのである。 『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』 正岡はこれを南海新聞に寄稿し発表された。当時南海新聞社には子規派の俳句結社松風

漱石と「隣の客」番外

また、子規は大の落語好きとしても知られる。 寄席発祥の地、下谷神社には「寄席はねて上野の…

大吠楽飢
4か月前

漱石と「自然派」

小説「坊っちゃん」は、四国松山が舞台の勧善懲悪を主題とした物語である、というのが衆目の一…

大吠楽飢
4か月前
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