漱石と「小日向」その1

小日向の呼称は元来「こびなた」であった。
住居表示実施に拠る町名変更に伴い仮名表記が「こひなた」に改められた。学校や公園、町会の名称などには未だ旧仮名表記や呼称は残されているものの、これにより正式呼称は「こひなた」となってしまったのだ。残念至極であると、漱石も草葉の蔭で憤っているのに相違ない。

ところで、小説「坊っちゃん」には「小日向の養源寺」が登場する。しかし現実には、小日向に養源寺はない。千駄木にある。
現在でいえば千駄木五丁目、或いは明治四十四年から前述の町名変更前の昭和三十九年までであれば駒込林町(こまごめばやしちょう)、「坊っちゃん」の書かれた明治三十九年当時であれば駒込千駄木林町(こまごめせんだぎはやしちょう)である。小日向の「コ」の字はあれども全く小日向じゃない。ネット等で「坊っちゃんの書かれた頃はこの辺りも小日向と呼ばれていた」と云う書き込みが散見するが、これは本当に愚にもつかない話である。
そもそも位置する台地が違うのだ。片や本郷台地、片や小日向台地である。それらが武蔵野台地東部に位置する山の手台地の部分名称であるとは云え、谷と台地を挟んだ離れた土地が同じ地名になるだろうか。

因みに千駄木とは、嘗て千駄木山と呼ばれた一帯を指す地名である。諸説あるが、その山頂で雨乞いの儀式「千駄焚き(せんだたき)」が行われていたことに由来すると聞く。
また、駒込千駄木林町とは、「元は千駄木御林(せんだぎおはやし)といわれた上野寛永寺の寺領で、徳川家霊廟で用いる薪材をとるための林」(文京区旧町名案内より編集)があったことに由来する地名である。

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