徳川家

『徳川軍団に学ぶ組織論 』小和田 哲男【1行引用から140文字で紹介する実用書】

神ともタヌキともいわれたリーダー・家康と、優秀な部下たちによる共同作業の実態と、「なぜ最後に勝てたのか」を読み解いていきましょう

徳川家康の天下統一は"徳川軍団"による共同作業だった!

まずは、徳川四天王と呼ばれた本多忠勝、榊原康政、酒井忠次、井伊直政

そして本多正信、服部半蔵などの有能な部下たちを、どのように使いこなし危機をいかに乗り越えたのか

彼らの活躍とやりとりを紹介しながら、最強の

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ありがとうございます!次回もいい記事が書けるようにがんばります!
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話せば長くなるから金くれ

タイトルを決めるためだけに幽遊白書を無作為に読んで1時間が経過する、なんてことにも慣れてきました。その結果選んだのコレかよ。

まあいいや。
本日もお料理のお話。

食べ物がなくなる頃にちょうどまた何かいただけるという有り難い運命がまたも作用しまして、刺し身で食える鮮度の魚をいただきました。
こんなんなんぼあってもいいですからね~。
で、新鮮な魚があるなら、食いたいじゃないですか、寿司。
魚はある

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ありがとうございます!僕は南蛮漬けがスキです!
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ごはんはなぜ一日三回食べるのか?

例によって第2回です。

日本では平安時代まで朝と夜の一日二食が普通でした。

ただし、一日二食で生活していたのはいわゆる貴族の人たち(働く必要がないのでカロリー消費が少ない)で農民や大工の人たちはお昼に間食をとっていたそうです。

しかし、貴族たちの間では一日二食以上食べることは卑しいとされ三食制度はあまり浸透しませんでした。

三食制度が一般化したのは江戸時代に入ってからのことです。

幕府が

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レアなコメントを見たあなたも私もハッピーヒューマン!!!
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1000茶 Day208 本山茶 水出し煎茶(おくしず)両国橋茶房

こんな気持ちでまた両国に来ると思わなかった。

江戸ねこ茶屋でよく来ていた両国橋茶房。徳川家御用茶の、静岡本山茶。

安倍川で御用茶があったのか…静岡市生まれなのに全く知らなかった…

お茶パフェとかほうじ茶ソフトとかお茶スイーツメニュー盛りだくさんでおいしいですので、両国に行ったら駅からすぐだから、オススメです。

(コロナ前はいつも大人気でずっと満席だったけど今は狙い目かも)

10/3

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え…ほんとに?ありがとうございます!
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好きな偉人の話

だいぶ前の話になるが自民党総裁選挙まえの菅氏、岸田氏、石破氏での
共同記者会見で尊敬する偉人についての質問があった。

この質問を僕はライブで見ていて、非常に面白い質問だと思った。
それはエンターテイメントとしての面白さではなく
総理大臣として、あるいは人としてこのような人でありたいという考えを
知ることができるからだ。

で今回は僕の好きな偉人である徳川慶喜のことを書きたい。

どのような人物だ

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他の子にもスキって言うんでしょ( ̄^ ̄)(笑)
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肩肘張らずに名刹改革 異色の尼僧が心掛けたこと

 ※京都の名刹、清凉院の取り組みを、写真の橘髙貞量住職の半生と共に紹介した記事です。

 「徳川家の許しがなければ入れない」。京都市伏見区の浄土宗清凉院は、かつてそう言われた名刹だったが故に、かえって人々から敬遠されていた。それが今では、檀信徒や地域住民が運営に積極的に関わる寺へと変化。波乱万丈の半生を歩んできた橘髙貞量住職(55)が、風穴を開けたという。何がそうさせたのか。(大橋学修)

 清凉

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お読みいただいて、とてもうれしいです!
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81冊目:バジリスク~甲賀忍法帖/山田風太郎・せがわまさき

こんばんは、Umenogummiです。

今日は甲賀・伊賀の忍者たちの厳しい死闘を描いた作品です。

バジリスク~甲賀忍法帖/山田風太郎 原作・せがわまさき 漫画

山田風太郎氏の甲賀忍法帖が、せがわまさき氏によって大胆にコミカライズされています。

服部半蔵に仕える甲賀卍谷の一族と・伊賀鍔隠れの一族の長きにわたる敵対から和解がなされようとしていたころ、徳川家康の命により徳川家3代目の後継者を、甲

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1人徳川家ゆかりの神社を散策

おはようございます。💕

やっと晴れましたね?😵💧

本当に長い雨季でカビはえそう‼️と 
モチベーションが下がる❗

そんな方も多いのでは?

最近は、神社にお参りだけでなく
神業といわれる神社浄化?

サポートいただきながら実行してます。

全てのことは宇宙と繋がっている。

神業してから不思議な体験を実感して

自分のご先祖様供養と自分の前世に
関わるものに、フォーカスして
まず、エネ

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天野氏は「何譜代」か?【研究ノート:天野氏】

徳川家の譜代家臣は多くいるが、それらを「いつから徳川(松平)家に奉仕したか」で区分する考えが古くからあり、「◯◯譜代」という表現をする。

『柳営秘鑑』では安祥(安城)城に在城した信光・親忠・長忠(従来長親とされてきたが、最近では長忠とするのが一般的という)・信忠の4代の間に奉仕した家臣を「安祥譜代」、清康が山中・岡崎を攻略した以降の家臣を「山中譜代」、駿河を領してから奉仕した家臣を「駿河譜代」と

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ありがとにゃん!
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