吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のP…

吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のPR誌『本郷』に掲載したエッセイから各号数本をセレクトして随時公開中です。吉川弘文館を知っていた人も知らなかった人もnoteを読んで”歴史”は思っていたより面白い!  と感じてくれたら嬉しいです。

マガジン

  • 豊かな江戸時代像の構築を目指す

    刊行中の『家からみる江戸大名』(全7冊)に因んだ、各巻の著者の方々によるエッセイを掲載します。太平の世、藩主となった大名は、いかに「家」を築き領地を支配したのでしょうか。代表的な大名家を取り上げ、歴代藩主の個性と地域独自の文化・産業にも着目ながら、豊かな江戸時代を描き出した各巻の魅力を語っていただきます。

  • 新たな近世史像へ誘う

    刊行中の『日本近世史を見通す』(全7巻)に因んだ、各巻の編者の方々によるエッセイを掲載。多様で豊かな研究成果を結集し、その到達点を分かりやすく描き出した本シリーズの魅力をご紹介いただきました。ぜひご一読下さい。

  • 学生編集者の挑戦

    本企画は昭和女子大学の学生有志と吉川弘文館との連携プロジェクトです。学生視点での歴史の面白さを、『本郷』誌上で発信しています。ここでは、誌面に収まり切らず泣く泣く掲載を断念した記事をアップします。本誌と合わせてお楽しみください!

  • アイヌ研究の新潮流

    昨年(2022年)6月に刊行した『アイヌ文化史辞典』。これから4回にわたって、編者4名によるエッセイを掲載します。 考古学・歴史学・人類学の最新成果からは、いままでにない〝新しいアイヌ像〟が浮かび上がってきます。

  • 変貌する東国史を読み解く

    2021年12月から刊行が始まり、おかげさまで売れ行きも好調な シリーズ『対決の東国史(全7巻)』。刊行前に収録された鼎談を、6回に分けて特別公開いたします。  著者である高橋秀樹・田中大喜・木下 聡の3名をお迎えし、企画のなれそめから、最新歴史研究トークまで、様々な話題が飛び交う盛沢山な内容になりました。

最近の記事

「人からみる」大名家 根本みなみ

 全国に大名家は数あるが、萩藩毛利家ほど多くの人がイメージを抱きやすい大名家も他にないのではないだろうか。しかし、「中国一〇ヵ国の覇者」ではなく、「明治維新の立役者」でもなく、「江戸時代の毛利家がどんな大名家だったか」となると、話は違ってくるかもしれない。実際、萩藩毛利家という「家」は仙台藩伊達家のように大規模な御家騒動を経験することもなく、鹿児島藩島津家のように将軍家に御台所を送り込むことに成功し、武家社会の中心になるようなこともなく、少々言い過ぎかもしれないが、ごくごく一

    • 代数問題にみる井伊家 野田浩子

       江戸時代の大名は一般に「藩主」と表現される。「藩」の一文字で江戸時代の大名家による地域行政組織を示すことができ、一般向けに簡潔な文章を書く際には便利な言葉である。  しかし、彦根藩主井伊家の代数をあらわす場合、「藩主」ではなく「当主」を用いるようにしている。前職の彦根城博物館学芸員時代もそのようにしており、このたび上梓した『井伊家―彦根藩―』でも同様にした。井伊家の場合、藩主と当主で異なる二つのかぞえ方が並存しているためである。  国替えした大名家では、当主と藩主の代数に

      • 南部家のあり方と藩主の個性 兼平賢治

         盛岡藩南部家といえば、鹿児島藩島津家や中村藩相馬家とならんで、中世以来、転封などすることなく、同じ地域を支配した大名として取り上げられる。そうしたことから、南部家は旧家であり、旧族外様大名として分類され、古くからの歴史や文化を伝える大名家、というイメージが強い。実際に、南部家の家中の者たちのなかには、自分たちを旧家の譜代として、武を重んじ、そこにアイデンティティを持っていた者たちも多かった。  しかし、実態としてみると、盛岡藩主家となる三戸南部家は、中世においては、現在の

        • 新視点からよみとく江戸時代 野口朋隆

          〔刊行の意図と目的〕 現在、大河ドラマでは、駿河の大名今川家の人質となったものの、やがて三河国を統一して天下人にまで昇りつめた徳川家康を主人公とする「どうする家康」が放映されている。徳川家康は、慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いで勝利し、同八年、征夷大将軍となり江戸幕府を開いた武将として、学校教育でも必ず習うことから、日本人にとって最もなじみの深い歴史上の人物の一人といえるだろう。もっとも注意したいのは、家康が自ら「江戸幕府を開いた」と言ったことはないということである。征夷大

        「人からみる」大名家 根本みなみ

        マガジン

        • 豊かな江戸時代像の構築を目指す
          4本
        • 新たな近世史像へ誘う
          7本
        • 学生編集者の挑戦
          3本
        • アイヌ研究の新潮流
          4本
        • 変貌する東国史を読み解く
          6本
        • 戦争孤児の実像を求めて
          5本

        記事

          ドナウのほとり 小野 昭

           はたと行きづまるときがある。考古資料がわずかで、解釈の可能性をいくつかに絞っても一つに収斂させることができず、いずれの場合でも反論可能な事態になるときである。仮説を立てても追証・反証の定点がきまらない場合もよくある。民族誌例に依拠して解釈する人もいるが、わたしはそれを避け、地域は離れていても同時代の遺跡で遺物がよく残っている事例を調べる方向で進んだ。  氷河時代末のドナウ川源流域は日本列島の更新世末から完新世への移行期を調べる際、広域比較の可能性をそなえた地域である。考古

          ドナウのほとり 小野 昭

          成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝― 山本 勉

           昨年上梓した『鎌倉時代仏師列伝』では、鎌倉時代(一一八五~一三三三)の事績が知られる仏師を項目としてとりあげたが、確定作品が現存することも採録の条件とした。仏像の銘記や納入品に仏師名が多くあらわれるようになった、この時代の有力作家であっても、確かな現存作品にめぐまれず、『列伝』に洩れた者もいる。成朝(生没年不詳)もその一人である。  成朝の系譜と後白河院政期の奈良仏師 成朝は奈良仏師の正系をつぐ康朝の子で、仏師の祖定朝から数えて六代目の直系である。その名は便宜的に「セイチ

          成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝― 山本 勉

          電気あんかと「寝床という社会」 近森高明

           電気あんかというアイテムは、私の記憶のなかで祖母の存在と強く結びついている。小学生の頃(一九八〇年代中頃)、寒い時期に祖父母の家に泊まりにゆくと、夜、祖母の手によって客間に布団が敷かれ、足もとには電気あんかが仕込まれているのが常であった。隙間の多い木造建築のため、部屋自体は寒いのだが、布団のなかはひじょうに温かい。いや、むしろ熱すぎるくらいで、よく夜中に掛け布団をはね飛ばすことになった。孫がやってくると過保護モードが発動する祖母は、つい厳重に布団や毛布を積み重ね、電気あんか

          電気あんかと「寝床という社会」 近森高明

          城絵図の愉しみ 竹井英文

           筆者の研究室には、常に城絵図が飾られている。地元だけに、研究室内の衝立には仙台城の絵図を、ドアの内側には白石城の絵図を「常設展示」し、ドアの外側にはおおむね月替わりで各地の城絵図(最近では赤色立体地図など現代的な図も)を貼り出している。学生はあまり気にならないようだが、意外にも廊下を通る他学科の教員がたまに見ていたりするのが面白い。筆者も、休憩時間にお茶を飲みながら何気なく見ては楽しんでいる。城絵図の世界はなんとも魅力的である。  特に近世城郭については、全国各地にさまざ

          城絵図の愉しみ 竹井英文

          文豪と温泉地―仕事と休養とのかかわり― 高柳友彦

           このたび、歴史文化ライブラリーの一冊として『温泉旅行の近現代』を刊行した。今日、身近な余暇活動の代表例となっている温泉旅行だが、ここに至るまでの大衆化の軌跡を通史的におった。  では、人々は温泉地に「何を」求めて訪れるのだろうか。日頃の疲れを癒す、おいしいものを食べる、家事から解放されるなど、普段の生活から離れた「非日常」を過ごすことを目的にする人が多いだろう。「日常」生活から離れた場である温泉地で過ごしながら、温泉に繰り返し入浴することで、「転地」効果(日常生活の場を離

          文豪と温泉地―仕事と休養とのかかわり― 高柳友彦

          雪を掃う・掻く・掘る 相澤 央

           すっかり季節はずれになってしまって恐縮だが雪の話題を一つしたい。  現在、人力による除雪作業を意味する語句としては「雪掻き」が一般的かと思われる。国語辞典で「雪掻き」を調べてみると、「雪を掻きのけること。除雪すること。また、それをする人」(『日本国語大辞典』)とある。私も子どものころ、家の前の雪掻きをしていた。畑仕事などで使う金属製の角型スコップで雪掻きをしていたが(のちにプラスチック製のスコップを使うようになった)、除雪車(道路の積雪を路肩に寄せる車)によってできた雪の

          雪を掃う・掻く・掘る 相澤 央

          小田原城、「正体」解明の鍵 佐々木健策

           二〇二三年の暮れ、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの一冊として『戦国期小田原城の正体―「難攻不落」と呼ばれる理由―』(以下、『小田原城の正体』)を上梓することができた。戦国期の小田原城は言わずと知れた戦国大名小田原北条氏(以下、北条氏)の本城である。「難攻不落」と形容されることが多く、その真の姿を明らかにしようと試みたのが『小田原城の正体』であった。  北条氏に関する研究は、五、〇〇〇通を超えるとも言われる関連文書の存在もあって、文献史学主導で進められてきた。戦前より多く

          小田原城、「正体」解明の鍵 佐々木健策

          おみくじに著作権はあるのか? 平野多恵

           誰がおみくじをつくっているのですか? おみくじを研究していると言うと、よく尋ねられる。おみくじによって異なるが、神職や僧侶など各社寺の関係者、社寺から依頼された研究者などの専門家、おみくじを製造する業者が携わっていることが多い。  おみくじの製造で有名なのは、山口県の女子道社である。その母体は二所山田神社にあり、同神社の宮司によって明治時代末期におみくじが考案された。明治三九年(一九〇六)、宮司宮本重胤が女性の自立を促す教化活動の一環で機関誌『女子道』を創刊し、その資金源

          おみくじに著作権はあるのか? 平野多恵

          志賀直哉の油彩画――Museum Collection #8 我孫子市白樺文学館

          志賀直哉の油彩画  千葉県我孫子は、常磐線我孫子駅開業以後、都心からのアクセスの良さ、手賀沼(てがぬま)を望む風光明媚な環境により村川堅固(むらかわけんご)・杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)・嘉納治五郎(かのうじごろう)など多くの文化人が別荘を築いた場所である。 嘉納の甥が白樺(しらかば)派の柳宗悦(やなぎむねよし)であり、そこから志賀直哉(しがなおや)・武者小路実篤(むしょのこうじさねあつ)が相次いで移住した。当時の志賀は、父直温(なおはる)との確執や夏目漱石に依頼された

          志賀直哉の油彩画――Museum Collection #8 我孫子市白樺文学館

          一九世紀の近世日本を取り巻く外圧と軍事技術革新 荒木裕行

           現在発刊中のシリーズ『日本近世史を見通す』(全7巻)の第3巻『体制危機の到来―近世後期―』(二〇二四年)に編者として関わった。シリーズ全体については、小野将氏が説明してくれているので(「日本近世史を見通したい!」『本郷』一六八号)、ここでは私が直接担当した第3巻に限定して述べていきたい。  第3巻は通史編の最終刊であり、タイトルに端的に示されているように幕藩体制が危機に直面するようになった一九世紀を取り扱っている。ごく簡単に内容を紹介しておくと、第1章(清水光明氏)は寛政

          一九世紀の近世日本を取り巻く外圧と軍事技術革新 荒木裕行

          変わらないようで変わる近世中期 吉村雅美

           シリーズ『日本近世史を見通す』(全7巻)の編者として、村和明氏とともに第2巻『伝統と改革の時代―近世中期―』(二〇二三年)の編集を担当した。対象とする時期は、概ね徳川綱吉政権期から寛政改革が始まる頃までに該当する(ただし、本巻収録の論文が扱う時期は、この範囲のみに収まるものではない)。この時期は、シリーズの通史編の前後の巻(第1巻・第3巻)に比べると、変化に乏しい地味な時代にみえるかもしれない。そのためか、テレビドラマなどで取り上げられる機会も多いとはいえない。しかし、二〇

          変わらないようで変わる近世中期 吉村雅美

          現代人が近世史を学ぶということ 多和田雅保

           このほど『日本近世史を見通す5身分社会の生き方』(以下、本巻)の刊行に関わることができた。本巻のねらいについては冒頭「プロローグ」に書いたが、この小文では内容をやや重複させつつ、私が通常の仕事の中で経験したことや考えたことを少しだけ絡ませて述べてみたい。「プロローグ」よりも私見としての性格が強くなるが、わずかでも本巻の普及に役立てばと思う。  私は主に日本近世史を研究しているが、普段は大学の教育学部に勤務して教員養成に従事しており、今年(二〇二三年)で一六年目を迎える。よ

          現代人が近世史を学ぶということ 多和田雅保