吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のP…

吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のPR誌『本郷』に掲載したエッセイから各号数本をセレクトして随時公開中です。吉川弘文館を知っていた人も知らなかった人もnoteを読んで”歴史”は思っていたより面白い!  と感じてくれたら嬉しいです。

マガジン

  • 新たな近世史像へ誘う

    刊行中の『日本近世史を見通す』(全7巻)に因んだ、各巻の編者の方々によるエッセイを掲載。多様で豊かな研究成果を結集し、その到達点を分かりやすく描き出した本シリーズの魅力をご紹介いただきました。ぜひご一読下さい。

  • 学生編集者の挑戦

    本企画は昭和女子大学の学生有志と吉川弘文館との連携プロジェクトです。学生視点での歴史の面白さを、『本郷』誌上で発信しています。ここでは、誌面に収まり切らず泣く泣く掲載を断念した記事をアップします。本誌と合わせてお楽しみください!

  • アイヌ研究の新潮流

    昨年(2022年)6月に刊行した『アイヌ文化史辞典』。これから4回にわたって、編者4名によるエッセイを掲載します。 考古学・歴史学・人類学の最新成果からは、いままでにない〝新しいアイヌ像〟が浮かび上がってきます。

  • 変貌する東国史を読み解く

    2021年12月から刊行が始まり、おかげさまで売れ行きも好調な シリーズ『対決の東国史(全7巻)』。刊行前に収録された鼎談を、6回に分けて特別公開いたします。  著者である高橋秀樹・田中大喜・木下 聡の3名をお迎えし、企画のなれそめから、最新歴史研究トークまで、様々な話題が飛び交う盛沢山な内容になりました。

  • 戦争孤児の実像を求めて

    『戦争孤児たちの戦後史』(全3巻)の刊行を記念して、編者5名によるエッセイを掲載します。  今まで語られることのなかった戦争孤児について、その実態や記述のエピソードをまとめていただきました。  ひとりでも多くの方に、ご一読いただけると幸いです。

最近の記事

日本近世史を見通したい! 小野 将

 二〇二三年、シリーズ『日本近世史を見通す』が刊行の運びとなった。日本史の他の時代と比べても、近世史だけを取りあげるシリーズというのは、近年にかぎってみれば、さほど多く出版されていないように思う。今回まことにすぐれた編者の方々のご参加を得たことで、刊行の実現にこぎつけることができた。  ところでいったい何ゆえ、本シリーズの題名には「見通す」なることばが選ばれているのであろうかと、いぶかしく思われる向きもあるのに相違なかろう(実際、筆者も職場で同僚から書名について質されたこと

    • 『源氏物語』を身近に――Museum Collection #7 宇治市源氏物語ミュージアム

      『源氏物語』を身近に                    1989年以降、宇治市はふるさと創生事業を契機として、「源氏物語をテーマとしたまちづくり」を積極的に推進してきた。宇治市源氏物語ミュージアムは、その集大成をなすものとして、またその中核施設として、1998年11月に開館した。開館20周年の2018年には、「観光」と「生涯学習」の拠点としての再整備を行うなど、本市の文化・観光振興に大きな役割を果たす博物館施設となっている。そんな当館の基本的性格の一つに、源氏物語や平安

      • 中世の結節点に立つ武田一族 西川広平

         二〇二三年夏、吉川弘文館から拙著『武田一族の中世』(以下、本書)が歴史文化ライブラリーの一書として刊行された。すでに手にとられた読者各位はお気付きかもしれないが、他の歴史文化ライブラリー既刊と比べて一〇〇ページほど多く、随分と厚みのある本に仕上がった。  結果的に、販売価格のご負担を読者各位におかけすることになり、大変恐縮しているところだが、中世を通した武田氏の歴史をまとめるには、相応のボリュームが必要であったことも否めない。その分、読み応えのある本となるよう執筆に励んだ

        • 「賃銀」から「賃金」へ 高島正憲

           拙著『賃金の日本史』がそろそろ刊行される八月半ば、友人と酒を飲みながら話していたとき、書名の話題になり、「賃金と日本史ってまったく違う次元のワードだから、それを組み合わせるって、インパクトがあってカッコいい」と言われた。実をいうと、前著が『経済成長の日本史』だったので、二冊連続で「〜の日本史」は避けたかったというのが本音であったが、いまは、相容れない言葉が同居しながらも格闘しているような雰囲気をかもしだすその書名を、すごく気にいっている。  そもそも、我われがあたりまえの

        日本近世史を見通したい! 小野 将

        マガジン

        • 新たな近世史像へ誘う
          1本
        • 学生編集者の挑戦
          3本
        • アイヌ研究の新潮流
          4本
        • 変貌する東国史を読み解く
          6本
        • 戦争孤児の実像を求めて
          5本
        • 非体験者の沖縄戦研究者が、いま伝えたいこと
          6本

        記事

          侍烏帽子と肩衣 佐多芳彦

           ここ十年、十五年、武士の衣服と服制に強く魅かれ取り組んできた。やっとその成果をささやかながら上梓できた。衣服を中心にしたので冠帽具については触れることができず、現在、論文などのかたちで発表をはじめた(「烏帽子の起源と展開」(『立正大学文学部論叢』、一四六、二〇二三))。小稿もそうした一連の流れでテーマを選ばせていただいた。  武士の姿を目にするとき、一番初めに目が行くのが頭部だ。冠帽具の有無や髷の結い方(髪型)に時代性があらわれやすい。とりわけ、中世末期の武士の姿における

          侍烏帽子と肩衣 佐多芳彦

          メディアの歴史を見るということ 有山輝雄

           30年ほど前に友人達と「メディア史」を名乗る研究会を立ちあげたときには、メディアという言葉は研究者の一部や広告業界で用いられていたが、一般的な用語ではなかった。むしろ、マスコミとかジャーナリズムといった言葉のほうがなじみのあるものだったろう。あえて「メディア史」という言葉を使ったのは、新しい研究への志向を示したかったからである。その後、若い研究者たちの個別的研究が積み重ねられ、また思いがけないことだが、この提案に共鳴したのか、メディア史を名乗るさまざまな研究が生まれてきた。

          メディアの歴史を見るということ 有山輝雄

          江戸城外堀から見る江戸の町  後編

          『江戸城外堀から見る江戸の町 前編』にて四ツ谷駅から飯田橋駅周辺の江戸城外堀について紹介しました。今回は、小石川後楽園から両国駅までにある江戸城外堀を見ていきたいと思います。  小石川後楽園   文京区に入ると、低地と高地の境目に神田川を外堀の代わりとして作ったため、外堀が急に細くなっています。水戸徳川家の屋敷は、神田川の北岸、小石川御門外にあり、小石川台の南に広がる低地を占め、江戸城北方の要地を守備していました。加えて、江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道である神田

          江戸城外堀から見る江戸の町  後編

          疫病と救済 本庄総子

           疫病という現象に強い関心をもつようになったのはいつ頃だったか、記憶は定かではない。あるいは小学校に入学したばかりの頃、学校の保健室に、エボラ出血熱(エボラウイルス病)のポスターが貼られているのをみた時だっただろうか。センシティブな画像への配慮などほとんどない時代のこと、凄惨な臨床写真が並んでいた。病名がまた怖い。さらに、それが伝染する病であり、治療法はまだ存在しないという極めつけの事実まで書き添えられていたのである。  いま思えば、当時は新興感染症への認知がようやく広がり

          前田慶次郎と巴淵 長村祥知

           このたび『対決の東国史1源頼朝と木曾義仲』(吉川弘文館)を刊行することとなった。原稿の提出が遅れたために、刊行をお待たせしたことをまずはお詫び申し上げたい。  筆者も時代考証を担当した2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映される前から、書名に「源頼朝」(初代の鎌倉殿)を含む書籍は多数刊行されていたが、「木曾義仲」を含む書籍はずいぶん少ない。書籍だけではなく、実在の義仲を政治史的に論じた研究論文も少数である。義仲が従来あまり研究されてこなかった理由の一つは、彼に

          前田慶次郎と巴淵 長村祥知

          歴史を作る、歴史を書く 伊沢拓司

           長らくクイズ王という肩書きで仕事をしていても、求められるのはもっぱら「クイズを解く」もしくは「クイズを作る」ことだ。王統の正当性を示したりとか、クイズ業界を束ねたりとか、そういったニーズはほとんどないようである。  クイズという国は随分に小さいが、ここ5年ほどは注目を集めている。ゆえに、どうにか世間におけるクイズのプレゼンスを確保したいと常々思っていた。奇しくもブームの中心にいられたので、私はここ5年ほど、「王」らしく「クイズ史」の研究をしている。  研究というより「情

          歴史を作る、歴史を書く 伊沢拓司

          乱世の闇に忍びの行方を探る 岩田明広

           もう半世紀も前の記憶だ。プラスチックの刀の鞘を背に括り、風呂敷を首に巻いて、テレビの「忍者(昭和中期以後の言葉)」になりきろうとした時期があった。母に頼み、鞘を背に負い結んでもらうのだが(恐らくおんぶ紐だったと思う)、家事と弟の世話で忙しい母は、いつも決まって鞘の中央一点で結んでしまった。刀を差すと柄の重みでくるりと廻り、刀が抜け落ちてしまう。幼かった私は何度も差し直すのだが、同じことの繰り返しで、仕舞いには癇癪を起していた。単に鞘の二点で結べばよかっただけのことだが、今で

          乱世の闇に忍びの行方を探る 岩田明広

          日本の第一次世界大戦参戦と対独戦を考える 飯倉 章

           子どもの頃に観た映画に、『青島要塞爆撃命令』(一九六三年)がある。第一次世界大戦の青島の戦いに加わった、黎明期の日本海軍航空隊を描いた冒険活劇であった。映画のラスト近くでは敵ドイツ軍の砲弾が降り注ぐなか、陸軍が日露戦争の第一回旅順総攻撃を思わせる勇ましい突撃を敢行する。悲惨な戦いの様子が記憶に刻まれたが、史実では日本軍は慎重に壕を掘って敵堡塁に肉薄し、夜襲でいくつかを陥落させ、ドイツ軍は朝には砲弾も撃ち尽くし降伏していた。事実と、映画に基づく歴史的記憶には、随分と差があった

          日本の第一次世界大戦参戦と対独戦を考える 飯倉 章

          長崎での高野長英と鯨――Museum Collection #6 奥州市立高野長英記念館

          長崎での高野長英と鯨                    高野長英(たかのちょうえい)記念館は、江戸時代の医師・蘭学者である高野長英を顕彰するため、一九七一(昭和四十六)年に彼の出身地である水沢(みずさわ)に開館し、以来関連する資料の収集・保存・展示を行っています。今回ご紹介するのは、長英が平戸(ひらど)で鯨の調査をした際に描いたという「サカマタ鯨図」です。サカマタとはシャチのことを指し、小型の鯨に分類されます。  一八二五(文政八)年八月、長英は二十二歳でシーボルトに入

          長崎での高野長英と鯨――Museum Collection #6 奥州市立高野長英記念館

          平安京はブラックな職場か?―貴族社会を支えた下級官人― 井上幸治

           一〇~一二世紀頃の平安京には、藤原道長や紫式部のような、誰もが知る人びとをはじめとする、多くの貴族らが暮らしていた。そうした身分の高い公卿(一~三位の位階をもつ)や殿上人、女房といった人びとは、広くイメージされているような優雅な平安文化を、十分に享受していたであろう。しかし当然ではあるが、そうした生活ができたのは、ほんの一握りにすぎなかった。  平安京で仕事をしている人びとの大半を占めているのは、諸大夫身分(位階は四・五位)・侍身分(六位以下)に属する者たちであった。平安

          平安京はブラックな職場か?―貴族社会を支えた下級官人― 井上幸治

          江戸城外堀から見る江戸の町  前編

           皆さんは江戸城外堀を歩いてみたことがありますか?  実は、現在でも、その堀や石垣に出会うことができます。気づいていないだけで、皆さんも近くを通っているかもしれません。  ということで、私達は四ツ谷駅~両国駅(下の地図参照)までにある堀や石垣、さらに寺社などを探索してみました(四ツ谷駅~両国駅まで5時間、約17,000歩でした)。ここでは、四ッ谷駅から順番に出会ったものを紹介していきます。皆さんも一緒に散歩している気持ちで楽しんでみてください。  四谷見附  出発は四ツ谷駅

          江戸城外堀から見る江戸の町  前編

          美術史としてのポスター研究は成り立つのか⁉ 田島奈都子

           二〇二三年三月に刊行した拙著『戦前期日本のポスター』は、一九世紀末から一九四五年の終戦までの、約五〇年間に製作された日本製ポスターが、「美術史」という枠組みの中で語られるべき存在あることを、多くの人に知ってもらうために著したものである。  著者の現在の専門は一九四五年までの日本製ポスターであるが、調査研究の機軸は美術史に置いており、過去にもこの立場から関連する書籍や論文を執筆してきた。しかし、そうした書籍はいずれも、作品を主体とした図録的な要素の強いものだったことから、十

          美術史としてのポスター研究は成り立つのか⁉ 田島奈都子