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電気あんかと「寝床という社会」 近森高明

 睡眠の質や快眠を求める声が高まっている昨今、効率よく眠るためのグッズや言説が手を変え品を変え展開されています。私たちは時々の状況や自身にマッチしたものを選び取り、トライ&エラーを繰り返し日々睡眠に向き合っているわけです。本エッセイでは、そうした動きのなかで登場し現在は衰退しつつある電気あんかに着目、「寝床」から社会を眺めてみます。

 電気あんかというアイテムは、私の記憶のなかで祖母の存在と強く結びついている。小学生の頃(一九八〇年代中頃)、寒い時期に祖父母の家に泊まりにゆくと、夜、祖母の手によって客間に布団が敷かれ、足もとには電気あんかが仕込まれているのが常であった。隙間の多い木造建築のため、部屋自体は寒いのだが、布団のなかはひじょうに温かい。いや、むしろ熱すぎるくらいで、よく夜中に掛け布団をはね飛ばすことになった。孫がやってくると過保護モードが発動する祖母は、つい厳重に布団や毛布を積み重ね、電気あんかの温度設定を最強にしてしまうため、孫は蒸し焼き状態になるのであった。そのように電気あんかは、やや過剰気味となる祖母の愛情と結びついたアイテムとして、記憶のなかにある。

 電気あんかとは対照的に、電気こたつは、記憶のなかで祖父の存在と融合している。じっさい朝から晩まで、居間のこたつに入ったきり動かない祖父は、こたつとほぼ一体化していた。テレビが正面からみえる位置に陣取った祖父の座椅子の周りには、お茶セット、煙草セット、各種菓子類を常備した大きな缶、そして練炭火鉢がそなわっており、居ながらにしてすべてがまかなえるコックピット状態がつくりあげられていた。練炭火鉢は、暖房器具であると同時に簡易的な調理器具でもあり、スルメや餅を焼くことができた。火鉢には水の入ったヤカンがかけられ、室内をつねに適当な湿度に保っていた。そんなコックピットに居座る祖父は、いわば寡黙なパイロットとして、日がな一日テレビ画面を眺めていた。

 電気こたつと対をなす練炭火鉢は、熱源として、あんかと結びついていた。たまさか宿泊する人数が多く、家中の電気あんかが払底する場合には、旧式の豆炭あんかなるアイテムが動員された。これは文字通り、電気ではなく、豆炭を熱源とするあんかである。その豆炭は居間の練炭火鉢にくべられ、燃焼状態へともたらされた。それゆえ記憶のなかでは、電気こたつと練炭火鉢の組み合わせから分けられた小さな火が、豆炭あんかに移り、客間に敷かれた布団を温める、という構図になっている。逆にいえば、小さな熱源をメディアとして、居間のこたつと客間の布団は――前者は祖父と、後者は祖母と結びつくかたちで――ひとつの連続体を構成していた。

 今回、拙共編著『夜更かしの社会史』の「寝床を電化する」と題した章で電気あんかの技術社会史を扱った背景には、以上のような心象風景がある。

 叙述の都合上、電気あんかというアイテムに焦点化し、その出現・増殖・衰退のプロセスをたどるという体裁をとっているのだが、描きたかったのは、むしろ電気あんかを結節点とする、寝床を構成するさまざまなモノや条件のつながりである。遅ればせながら、科学技術社会論の文脈で少し前から話題のアクターネットワーク理論に触れ、啓発されたことも、こうした着想の背景にある。すなわち「社会」と「技術」を対立的にとらえる図式を離れ、ヒトとモノがフラットなかたちで結びつき、ひとつの社会を構成するという視座を、電気あんかというアイテムの消長に援用してみるとどうなるだろうか、と考えたのだ。いってみれば電気あんかを軸とした寝床の社会史というよりも、電気あんかを観察拠点とした「寝床という社会」の歴史記述をめざしたわけである。

 この視座からさきほどの描写をとらえ返すならば、祖父と電気こたつは、座椅子の周囲に配置された種々の事物とともに、ヒト―モノのハイブリッドを構成しており、そのハイブリッドが「練炭火鉢―豆炭あんか」連接を経由して、居間と寝床のあいだで「こたつ―あんか」複合を形成していた、と記述しなおすことができよう。

『夜更かしの社会史』の書影

 電気あんかは、旧来の炭や炭団を用いたあんかよりも「安全」だとする触れ込みのもとに大正期に登場した。そもそも就眠時にあんかが必要なのは、木造建築に特有の寒さのせいである。外気を遮断したうえで家屋全体を暖める欧米の「全体暖房レジーム」に比して、隙間の多い家屋構造に対応した日本の暖房は、小さな熱源スポットをあちこちに点在させる「局所暖房レジーム」のかたちをとる。その「局所暖房レジーム」を長年支えてきたのが、居間のこたつと寝床のあんかが組み合わさった「こたつ―あんか」複合である。さらに、電気あんかというガジェットが生み出された背景的文脈として、余剰電力を消費するために、家庭電化を推進しようとする電力業界の動きが指摘できる。それゆえ電気あんかの出現は、少なくとも「木造建築」―「局所暖房レジーム」―「こたつ―あんか複合」―「家庭電化の動き」という、複合的なモノや条件のつながりのもとで把握する必要がある。

 電気あんかは日本に特有のアイテムだといわれる。まずもって快適な睡眠を支える環境条件を考えるときに、掛け布団と敷き布団のセットをひとつのユニットととらえること自体が、「局所暖房レジーム」と深く結びついた発想にほかならない。「全体暖房レジーム」をとる欧米であれば、ベッドと掛け布団の組み合わせを睡眠の環境をなすユニットととらえる発想は生じにくい。睡眠時の環境とは、寝室の環境(ベッドはその部分をなす)にほかならず、寒暖が問われるとすれば、部屋それ自体の寒暖が問題になるからである。ゆえに布団を温めることで睡眠環境を整えるという発想にはならず、電気あんかというアイテムもまた生み出されない。

 電気あんかは、戦後、高度経済成長期の家電ブームのもとで増殖し、多機種化してゆくのだが、家屋の気密性の向上およびエアコンや床暖房など全体暖房の普及により「局所暖房レジーム」が弱体化するにつれて、やがて衰退のフェイズに入ってゆく。ポスト高度経済成長期になると、安眠を支えるモノは、「家電」製品から安眠「グッズ」へとその性質を変えてゆく(湯たんぽのリバイバルはその一例である)。多くの主要メーカーは電気あんかの取り扱いをやめ、マイナーな愛好者にのみ細々と支持されるアイテムとなる。

 ふり返ってみれば、祖父母の家は、戦後から高度経済成長期にかけて主流となった「木造建築」―「局所暖房レジーム」―「こたつ―あんか複合」というネットワークの典型をなしており、そこに「過保護モードが発動した祖母」もひとつのアクターとして加わることで、寝苦しいまでに加熱された寝床という、ひとつの「社会」が出現していた。温度が最強に設定された電気あんかと、やや過剰気味となる祖母の愛情とを結びつけて連想する記憶のあり方も、この「社会」に特有のことだろう。(「寝床を電化する」の最後にも同じことを書いたのだが)就眠時にわたしたちは、周囲のヒトやモノとのつながりから引きこもり、ひとり眠りに就くのではない。寝床そのものがつながりであり、「社会」なのである。

(ちかもり たかあき・慶応義塾大学文学部教授) 


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