見出し画像

雪を掃う・掻く・掘る 相澤 央

『雪と暮らす古代の人々』の著者、相澤央先生のエッセイです。雪掻きという言葉は今も日常的に使いますが、時代をさかのぼると人力による除雪作業のことは史料にどう記されているのでしょうか。『万葉集』から江戸時代後期の『北越雪譜』までさまざまな史料にあたり、いにしえの人々が雪と格闘する姿を浮かびあがらせます。

 すっかり季節はずれになってしまって恐縮だが雪の話題を一つしたい。

 現在、人力による除雪作業を意味する語句としては「雪掻ゆきかき」が一般的かと思われる。国語辞典で「雪掻き」を調べてみると、「雪を掻きのけること。除雪すること。また、それをする人」(『日本国語大辞典』)とある。私も子どものころ、家の前の雪掻きをしていた。畑仕事などで使う金属製の角型スコップで雪掻きをしていたが(のちにプラスチック製のスコップを使うようになった)、除雪車(道路の積雪を路肩に寄せる車)によってできた雪の壁を掘り崩して、その雪をスコップですくって放り投げる作業を、どうして「掻く」というのか、何となく違和感があった。

 古代の史料では、人力による除雪作業のことをどのように記しているだろうか。まずは雪を「はらう」「く」という表現が確認できる。

①天平十八年正月、白雪多くり、地に積むこと数寸なりき。時に左大臣橘卿、大納言藤原豊成とよなり朝臣及び諸王諸臣等を率て太上天皇の御在所〈中宮の西院〉に参入まいり、供奉ぐぶして雪を掃いき。(『万葉集』巻一七―三九二二~三九二六の題詞)
②大雪。諸司雪を掃う。(『類聚国史るいじゅうこくし』巻一六五、延暦十二〈七九三〉年十一月十二日条)
③昨日の雪の庭に積むを掃かしむ。(『御堂関白記』寛仁元〈一〇一七〉年正月一日条)

①では数寸(一寸は約三㌢)の積雪での雪掃い、③は前日の記事に「雪る。五寸ばかり」とある。②はどれくらい雪が積もっていたかわからないが、古記録(貴族らの日記)では二寸程度の積雪でも「大雪」と記されたり、あるいは周囲が白くなる程度でも「大雪」とされたりすることがあるので、さほどの積雪ではないだろう。

 それでは、雪を掃ったり、掃いたりする時にはどのような道具が使われたのであろうか。それが直接分かる古代の史料は管見の限り確認できないが、「掃う」「掃く」という表現からすると、ほうきが使われたのではなかろうか。『延喜式』によると、宮中の殿舎の維持・管理や清掃を担当する主殿寮しゅでんりょうの供奉の年料(天皇に奉仕する際に使用する料物)として「箒二百四十把」とあり(主殿寮20供奉年料条)、また、毎朝、長官が下僚を率いて内裏の庭を清掃すると規定されている(主殿寮23毎日早朝条)。なお、除雪作業は「きよめ(=清掃)」と認識されていた(『枕草子』第八十三段、『古本説話集こほんせつわしゅう』上四十)。

 次に史料では、雪を「掻く」という表現がみられる。

天陰てんいん、雪の深さ一尺□寸。(中略)雪をあつめて山を作らむと欲す。(中略)おのおの、御殿の上に上りて、宿雪しゅくせつを掻き集め、御庭の上に積み置く。(『春記しゅんき』長久元〈一〇四〇〉年十一月十二日条)
⑤かそふれは年のくれとはしらるれと ゆきかくほかのいとなみはなし(『夫木和歌抄ふぼくわかしょう』七五八四)
⑥同じ雪の朝、静賢法印じょうけんほういんの房に、院より雪山の雪を召されて、上の雪などをかき落としつつ参らせつるを見て、誰ともなき文を投げ入たりけるを、開けて見れば(『拾玉集しゅうぎょくしゅう』五一四五の詞書)

⑤は後鳥羽天皇の御製ぎょせい(天皇が詠んだ歌)、⑥の『拾玉集』は慈円じえん私家集しかしゅう(個人の歌集)である。「掻く」とは「手や道具で、左右に振るようにして押しのけたり、回すようにしてまぜたりする」動作である(『日本国語大辞典』)。④は屋根に積もった雪を押しのけて集める。⑥は屋根の雪を押しのけて落とすということである。⑤も地面に積もった雪を押しのけるということであろう。

 それでは雪を掻く(押しのける)際にはどのような道具が使われたのであろうか。平安時代の貴族たちは雪が積もると庭に雪山を作って楽しんだが、鎌倉時代の有職故実書ゆうそくこじつしょ禁秘抄きんぴしょう』には雪山の作り方の詳細が記されている。それによると、庭で雪山を作る滝口(内裏の警備をする武士)や所衆ところしゅう蔵人所くろうどどころの下級職員)は「柄振えぶり」を持つこととされている。柄振は、長い柄の先に横板を付けた農具の一種で、土の塊を砕いたり、地面を平らにならしたり、穀物などを掻き寄せたりするのに使われた。滝口や所衆は、屋根から庭に落とされた雪を柄振で掻き集めて雪山を作ったのである。なお、藤原定家の日記『明月記』には、定家が仕えていた九条兼実かねざねの言葉として、雪の日の朝には「エフリ」を持って参内すべきだと記されている(正治二〈一二〇〇〉年正月十九日条)。雪が降り積もった朝には、きっと雪山を作るように命じられるのだから、気を利かせて柄振を持参すべきだというのが、兼実が考える雪の日の朝の心得だったようだ。

著書『雪と暮らす古代の人々』の書影

 さて、雪を掻く(押しのける)という動作からすると、積雪の深さはそれほどのものとは思われない。また、建物を埋めるほどの大雪の除雪作業では、柄振はほとんど役に立たないだろう。そのような大雪の際の除雪作業のことをどのように表現したのか。また、どのような道具が使われたのか。古代の史料では確認できない。時代が大きく異なるが、参考として、江戸時代後期の『北越雪譜ほくえつせっぷ』(鈴木牧之ぼくし著。天保八〈一八三七〉年初編刊行)を見てみよう。

⑦初雪の積りたるをそのままにおけば、再びる雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一度ふれば一度掃ふ。(中略)是を里言さとことば雪掘ゆきほりといふ。土をほるがごとくするゆゑにかくいふ也。(中略)掘るには木にて作りたるすきもちふ。里言にこすきといふ。すなわち木鋤こすきなり。(『北越雪譜』「雪を掃ふ」)

積雪が一丈(約三㍍)以上にもなった時の除雪作業のことを「雪掘」と言い、「こすき」という木製の鋤を使って、土を掘るようにして除雪するのだという。『北越雪譜』には「こすき」の詳細な絵や、「こすき」を使った除雪作業の様子を描いた絵が掲載されている。「こすき」は新潟県長岡市大武だいぶ遺跡や同県上越市春日山かすがやま城跡、同県南魚沼市坂戸さかど城跡などの発掘調査で出土している。また、「こすき」よりも柄が長く、刀(雪をのせる部分)が小さい「バンバ」と呼ばれる除雪道具が、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡で出土している。いずれも中世のものなので、「こすき」や「バンバ」を使用した除雪作業が中世までさかのぼることが確認できる。しかし、古代までさかのぼるかは定かではない。古代の「こすき」や「バンバ」の出土が期待される。

 さて、前掲の『北越雪譜』の記述からすれば、私が子どものころにやっていた「雪掻き」は「雪掘り」と言ったほうがふさわしいということになる。逆に言うと、現在、人力による除雪作業を意味する語句として一般的な「雪掻き」は、本来的には、積雪がそれほどない時の除雪作業を表す語句ということになろうか。

(あいざわ おう・帝京大学文学部教授) 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?