青江

非常勤講師で糊口をしのいでいる泡沫研究者。専門は現代文学で小説の映画化について。趣味は…

青江

非常勤講師で糊口をしのいでいる泡沫研究者。専門は現代文学で小説の映画化について。趣味は実益も兼ねて映画鑑賞。A~Z級、ジャンル、国籍問わず色々観てます。 執筆、講演などお仕事依頼は以下のアドレスへ。 t-turuta@auecc.aichi-edu.ac.jp

最近の記事

「光る君へ」第35回 「中宮の涙」 過去を昇華していくこと

はじめに  「覆水盆に返らず」…「封神演義」で知られる周の太公望の逸話が元になったこの諺は、一度起きてしまったことは二度と元には戻らないという意味で使われます。言い換えれば、過去とは動かしようのないものということです。したがって、美しい思い出であれば、人はそれに囚われ、取り返しがつかない後悔であれば、人はそのトラウマに延々と苛まれます。その過去の善し悪しにかかわらず、人の生き方は過去に縛られ、左右されてしまうものです。そのことは、歳を重ね、経験が多く、深くなればなるほど、過去

    • 「光る君へ」第34回 「目覚め」 人を癒す「物語」の力

      はじめに  物語の面白さとは何でしょうか。「面白さ」という言葉自体、かなり曖昧で大雑把、そして主観的なものですから、この問いの答えはかなりたくさんにはなりそうです。  ただ、大きく分けると二つの観点はありそうです。  一つは、論理性です。一貫性のない支離滅裂な作品は、たまにありますが、狙ってそうした作品でもない限り、疲れます。人は、わかりやすさをまず求めます。そして、もう一方で意外性も求めています。こうしたことを的確にバランスよく描くには、論理性が不可欠です。その論理性、

      • 「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その2 まひろの「物語」執筆の原動力とは

          ※ 本記事は第33回note記事「その1」と合わせてお読みいただけると、より楽しめます。 はじめに  人間誰でも、一つは長編小説を書けるのだそうです。その題材は、自分の人生です。人生は山あり、谷ありです。ですから、その人生を筋道立てて、組み立てていけば長編小説になるというのですね。勿論、それが面白くなるかどうかは、腕次第ということになるでしょう。この話は、一人一人の人生には、それだけの価値があるのだということなのですが、一方でこの話には、物語の題材は、個人の体験である

        • 「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その1 道長の考えるこの国の未来への射程とは

          はじめに  「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」ということわざは、かの夏目漱石「草枕」の冒頭の一文「山路を登りながら、こう考えた」に続く冒頭部分から来たものです。「草枕」は明治期の作品ですが、この一節に書かれた人間関係の難しさは、2020年代を生きる私たちにとっても経験済みの「あるある」ではないでしょうか。会社、学校、地域といった他人との関係は勿論のこと、家族間でも起き得るでしょう。  当然、平安期を舞台にした「光る君

        「光る君へ」第35回 「中宮の涙」 過去を昇華していくこと

        • 「光る君へ」第34回 「目覚め」 人を癒す「物語」の力

        • 「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その2 まひろの「物語」執筆の原動力とは

        • 「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その1 道長の考えるこの国の未来への射程とは

          「光る君へ」第32回 「誰がために書く」 道長にとって必要な「光」とは何か

          はじめに  意外に思われる方もいるかもしれませんが、作品とは書きあがった瞬間から作家から独立した存在になります。言い換えるならば、作品とは完成した時点で、読者や観客といった受け手に委ねられるものなのです。  なるほど、著作権的には作品は作家に帰属していますし、その作家が書かなければ作品は存在し得ません。作品にとって、作家は神のごときものと思う人もいるでしょう。その典型が、神の言葉を記した聖典と呼ばれるものでしょうね。しかし、現実には、どんな宗教でも、同じ神の言葉でありなが

          「光る君へ」第32回 「誰がために書く」 道長にとって必要な「光」とは何か

          「光る君へ」第31回 「月の下で」 すべてがまひろのもとへ…そして、「源氏物語」が始まる

          はじめに  ここまで長かった…しみじみ思う視聴者も少なくないでしょう。紫式部と言えば、「源氏物語」であり、中宮彰子付の女官という印象が一般的です。彼女が主役の大河ドラマの製作が発表されたとき、華やかでゆるふわ、乙女な貴族社会が描かれると期待、あるいは逆に不安を募らせた方々もいらっしゃったでしょう。  しかし、蓋を開けてみれば、初回から紫式部の母親が惨殺されるわ、華やかからほど遠い貧困と身分差の苦労。貧しい下級貴族の悲哀を地でいくものでした。一方の主役、道長の側は、上流貴族ゆ

          「光る君へ」第31回 「月の下で」 すべてがまひろのもとへ…そして、「源氏物語」が始まる

          閑話休題の前に2~「光る君へ」のゴールはどこになる?~

          はじめに  大河ドラマと言えば、主人公の生涯を描くという印象が強いと思われます。必然的に、最終回は、主人公の死、つまり、人生の完遂という形で締めくくるものが増えます。実際、ここ10年の大河ドラマのうち、7作が主人公の死をもって、ドラマの幕が閉じられています。この中で特に印象的な幕引きだったのは、「鎌倉殿の13人」でしょう。この作品では、最愛の姉の手で死を迎える北条義時…その彼の意識が途切れた瞬間に暗転して完結します。彼の死と同時にドラマ自体が突然、切れて終わるというラストは、

          閑話休題の前に2~「光る君へ」のゴールはどこになる?~

          「光る君へ」第30回 「つながる言の葉」 「源氏物語」へ向かうそれぞれの助走と足踏み

          はじめに  劇中の時間は、前回から3年の時が経ちました。3年間というのは、中高生であれば、入学して卒業するまでの時間です。そう考えると、3年間はあっという間に見えますが、物事が芽吹いて、ある程度、熟成するには十分な期間だと言えるかもしれません。また、卒業という言葉に注目するならば、3年目は転機になるときだとも言えますね。  勿論、一方で、3年間では結果が出ない。停滞しているように見えるものもありますね。例えば、政治における政策は、即時性のないものも多く、10年後ぐらいにそ

          「光る君へ」第30回 「つながる言の葉」 「源氏物語」へ向かうそれぞれの助走と足踏み

          「光る君へ」第29回 「母として」 諦めのボーダーラインはどこにある?

          はじめに  処世術として「諦めが肝心」とはよく言われます。世の中には悩んでも自力ではどうにもならないものがたくさんあります。こうした困難や厳しい状況を受け入れるとき、あるいは失敗や不運を嘆いても仕方がない場合、時には「諦めが肝心」というのです。「諦める」とは、ある物事への執着、固執を捨てることです。  執着心が、他人の意見を退ける、あるいは視野狭窄を生み、人を苦しめることは、誰もが知るところでしょう。つまり、「諦める」とは、執着心から己を解放し、新たな道や可能性へ自分自身を

          「光る君へ」第29回 「母として」 諦めのボーダーラインはどこにある?

          「光る君へ」第28回 「一帝二后」 光る君への強すぎる思いが招く不穏な空気

          はじめに  「気持ちを強く持つ」…この言葉は、メンタルの強さ、意思の強さ、不屈の精神などポジティブな意味合いで持っています。何事かを成そうとする目標、目的を持つ人であれば、不可欠のものと考えるのが一般的です。「強く思い続ければ夢は叶う」…という表現も使い古された感がありますが、未だに人気の高い言葉と思われます。  たしかに夢を常に意識する人は、自分が何をすべきかが明白です。また、夢に向けてどう順序立てて物事を進めるかという計画性もあります。そして、それをやり遂げる揺るぎなさ

          「光る君へ」第28回 「一帝二后」 光る君への強すぎる思いが招く不穏な空気

          「光る君へ」第27回 「宿縁の命」 一方通行の愛の身勝手が招く人間模様

          はじめに  「愛し合う」…この言葉にどんなイメージを持つでしょうか。そこに理想を見る人は、美しいものを感じ取るでしょう。出来ればそういう相手と出会いたいものだと思うのも自然なことです。あるいは、今まさに愛し合っていると実感している人は、この言葉に自分たちを重ねて満足を覚えるのではないでしょうか。あるいは、この言葉が含んでいる性的なニュアンスに思い当たってしまった人は、なんだか気恥ずかしい気持ちになってしまっているかもしれませんね(笑)  しかし、そもそも人は「愛し合う」こと

          「光る君へ」第27回 「宿縁の命」 一方通行の愛の身勝手が招く人間模様

          閑話休題の前に~note執筆から見た「光る君へ」の特性~

          はじめに  7/7は「光る君へ」放送休止です。全48回(予定)の半分を越え、話は後半戦、個人的には、さすがに疲れてきたところもあり、丁度良いリフレッシュの週です。また、大河ドラマの撮影は過密スケジュールであることはよく知られるところ。こうした休止は、キャストやスタッフにとっても、作品のクオリティにも重要でしょう。しかし、SNSなど巷にあふれるのは、ロスの声、声、声…まあ、第26回が、あのオチで2週間待たせるのは酷かもしれませんね(苦笑)  ですから、今回は閑話休題として暇

          閑話休題の前に~note執筆から見た「光る君へ」の特性~

          「光る君へ」第26回 「いけにえの姫」 夫婦の危機で露わになる価値観の相違

          はじめに  パートナーを選ぶ一番の条件はなんでしょうか。ティーンエイジャーから20代前半くらいですと、ルックスであったり、学歴であったり、収入であったり、それらすべて兼ね備えたハイスペックを望むことを求めがちです。そして、年を経るごとにそれがどれだけ身の程知らずだったか、を知り、徐々にそうした外形的な条件は削げ、「優しい」「楽しい」など内面的なものへ移っていき、その結果、行きつくのが「価値観が合う」…というのがよくあるパターンですね(笑)  しかし、「価値観」とはなんでしょ

          「光る君へ」第26回 「いけにえの姫」 夫婦の危機で露わになる価値観の相違

          「光る君へ」第25回 「決意」 清濁を併せ呑む宣孝の強さに翻弄されるまひろと道長

          はじめに  自分の半生を振り返ることはあるでしょうか。大抵、自分のこれまでの失敗を思い返す、この手の振り返りでありがちな発想は、人生、どこで間違えたのだろうという問いかけです。数え始めるとキリがなく、原点を探ろうとすると細胞分裂からやり直すしかなくなるので止めたほうがよいのですが(苦笑)  それにしても、人は何故、こうも自分の過去の選択を後悔するのでしょうか。いくつか理由があるでしょうが、その一つに選択そのものをしたくないときにしたというのがあるでしょう。言い換えるならば

          「光る君へ」第25回 「決意」 清濁を併せ呑む宣孝の強さに翻弄されるまひろと道長

          「光る君へ」第24回 「忘れえぬ人」 初心を捨てざるを得なくなるきっかけとは

          はじめに  初心、初志、初恋…初が着く心に関わる言葉は、どれも純粋さ、瑞々しさに溢れています。それは、その初めて抱いた混じり気のない強い思いに美しさと貴重さを感じるからでしょう。  一方で、この初めての強く純粋な思いを、そのまま、あるいはより純化した形で守り続けることは至難の業です。人の心は移ろうのが常です。その変化の原因は、精神的な成長や進化という内的な要因もあれば、環境や肉体など外的な要因もあり、それらが複雑に絡み合い、人生における心の変化を彩ります。人の心が移ろいはマ

          「光る君へ」第24回 「忘れえぬ人」 初心を捨てざるを得なくなるきっかけとは

          「光る君へ」第23回 「雪の舞うころ」 身を焦がす情熱の行き先は?

          はじめに  情熱を持っていますか?今、まさに持っている方もいれば、過去持っていたという人、縁がない人もいるでしょう。また、持っていたとしても、静かな情熱、狂おしいほどに燃え上がる情熱、など、そのレベルはさまざまです。さらには、恋愛、志、夢、趣味、推し活…情熱を傾ける対象もさまざま。その対象が、いわゆる人間の生き甲斐となってきますね。つまり、情熱の在り方は個々に違うものであり、自身の人格を反映したもの、あるいはそのものとも言えるでしょう。  ただ、感情に直結する情熱は、その

          「光る君へ」第23回 「雪の舞うころ」 身を焦がす情熱の行き先は?