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「光る君へ」第28回 「一帝二后」 光る君への強すぎる思いが招く不穏な空気

はじめに

 「気持ちを強く持つ」…この言葉は、メンタルの強さ、意思の強さ、不屈の精神などポジティブな意味合いで持っています。何事かを成そうとする目標、目的を持つ人であれば、不可欠のものと考えるのが一般的です。「強く思い続ければ夢は叶う」…という表現も使い古された感がありますが、未だに人気の高い言葉と思われます。
 たしかに夢を常に意識する人は、自分が何をすべきかが明白です。また、夢に向けてどう順序立てて物事を進めるかという計画性もあります。そして、それをやり遂げる揺るぎなさがあります。「虚仮(こけ)の一念岩をも通す」(愚者でも一途であれば岩をも貫通できる)という諺もそういうことでしょう。だから、「強く思い続ければ夢は叶う」は間違ってはいません。


 しかし、「優柔不断」と「慎重」が表裏一体であるように、人の心のあり様は光と陰があるものです。「強く気持ちを持つ」ことを、「意思が強い」「不屈の精神」と言えばポジティブな印象ですが、「頑固」「頑迷」「執着」と言い換えると一気にネガティブなイメージに変わります。それは、一つのことに一途になること、その問題点が見えてくるからです。

「頑固」とは、頑なで考え方に柔軟性がないことですが、これはともすれば人様の言葉に耳を貸さないという印象がつきまといます。「頑迷」になると、自分の気持ちに囚われ、物事の道理がわからなくなるといったニュアンスがあります。「執着」は、対象や対象への固執することで周りが見えなくなる傾向があります。例えば、愛が執着へと転じた場合、周りが見えなくなり、人の助言も聞けず、それどころか相手を傷つけることも厭わなくなることがままありますね。

 このように考えてみると、気持ちを強く持ち続けることは大切ですが、「強すぎる思い」というものは、周囲を混乱に招き、近しい大切な人を傷つけ、そして、結局は自分をも滅ぼしかねない諸刃の剣と言えるでしょう。


 このことは「光る君へ」の登場人物たちにも言えることです。例えば、まひろと道長の恋愛が成就しなかったのは、二人の未熟さ以上にお互いを想う気持ちが強すぎたからです。まひろ自身、父為時に「思えば、道長さまとは、向かい合いすぎて、求め合いすぎて、苦しゅうございました」(第24回)と告白していましたね。
 また道兼は、父の愛に執着した結果、身も心も激しく傷つくことになりました。道隆は、中関白家の権力への妄執が暴政を生み、結果的に中関白家凋落の一端を作ってしまいました。
 詮子は息子である一条帝を守らんとするあまり、肝心の彼の心がまったくつかまえていませんでした。そして、一条帝は母恋が転じた定子への深い執着によって、政を疎かにする暗愚な姿を晒すことになってしまいました。

 とはいえ、「強い思い」は夢とつながっているように、人の生き甲斐、生きていく糧とも直結します。したがって、いかに自分のなかにある「強い思い」とどうつきあっていくのか、それが大切になるのかもしれません。そこで今回は、未ださまざまな思惑が入り乱れる朝廷内の情勢を見ながら、人の強い思いが何を引き起こしていくのかを考えてみましょう。


1.子はかすがい~うまく回り始めた夫婦生活~

(1)おっかなびっくりのまひろの子育て

 娘を産んだまひろ、乳母あさを新たに迎えたものの、おしめの処理を始め、興味津々。何事も自分でやってみようとします。娘が産まれた嬉しさと好奇心が溢れているのでしょう。あさからしてみるとかえって邪魔だと思うのですが、手慣れた彼女は手ほどきしながら上手くこなしていきます。

 やってきた惟規は、そんなまひろを「お学問は得意だけど乳飲み子の扱いは下手だなぁ」とここぞとばかり、からかいます。「初めてのことだもの、致し方ないでしょ」とすぐさま返すまひろですが、惟規も本気で茶化すつもりはありません。「きぬやあさがいてくれて良かったよ」と、こうして無事、赤子が育つ環境にあることをしみじみと寿ぎます。
 惟規が、ちょくちょく顔を出すのは、姉を心配してのこと。学問はイマイチのお調子者ですが、昔から変わらず、心根の優しい弟。彼に救われることもあったでしょう。


 さて、そんな惟規、社交辞令とはいえ「おでこのあたりが宣孝さまに似てるねぇ」と要らないことを言い始めます。無論、娘は道長との不義の子。宣孝は父ではありません。動揺したまひろですが、それをさとらせないようなんとも言えない微妙な顔のまま固まります。赤子を覗き込む惟規には、そんなまひろの急変は視界にありません。構わず「このあたりも…耳とかも…」と嬉々として続けます。


 みるみる顔色を変えたまひろは堪らず「もうやめて!」と叫び、遮ります。まひろの剣幕に、かえって驚いたのは惟規のほうです。何を嫌がるのかわからず、「だって、おなごは父親に似るって言うから…」と言い訳めいたことを言うのは、宣孝に似てるという指摘には、宣孝とまひろの仲睦まじさを茶化すニュアンスがあったからでしょう。
 しかし、真顔を崩さないまひろに怯んだ惟規は、この子が宣孝に似ていないのを気に病んでいるのかもと思ったのでしょう。「無理…してないよ、別に」と返してしまいます。惟規、思わず取り繕いましたが、「無理…」と一拍入れてしまったことで、内心、宣孝にあまり似ていないと思っていることがバレバレです(苦笑)


 このくだり、惟規は、娘が不義の子と知っているのでは?と思われた方もいるでしょう。その真偽ははっきり描かれなかったのでわかりませんが、この考察では知っていないほうを選択しています。というのも、姉の幸せを願う気立てのよい彼が、夫婦仲に亀裂を入れかねないセンシティブなことを茶化すとは思われないからです。
 もし知っていてそれに触れるのであれば、「心配してたけど、宣孝さまに似てなくもないから良かった」と小声でそっと言い添えるくらいでしょう。まあ、これでもまひろから窘められるでしょうが。惟規はお調子者であってもデリカシーのない人ではないのではないでしょうか。ただ、まひろの頑なな様子は、何があったかと訝しむきっかけになるかもしれません。


 さて、乳飲み子の扱いが下手と揶揄されたまひろは、娘可愛さから赤子の娘に漢籍の「蒙求」を嬉しそうに読み聞かせるという逸りすぎ、暴走気味の胎教を始めてしまいます。嬉々としているのが、自己満足も大概で、イタいですね(苦笑)乳母のあさも「お方さま…さすがにそれはまだ早いと存じますが…」と控え目に意見しますが「いいのよ、子守歌代わりに聞いていれば。いつの間にか覚えてしまうのよ」と取り合いません…
 ってか、いやいやいやいや、何言っているの?!そんなのあんただけだ~(笑)!自分の優秀過ぎる幼少期を基準にするとは、賢い人間にありがちなイージーミスというもの。大体、聞いていれば漢籍をマスターできるというなら、惟規は今ごろ為時の学識を抜き去り、博士にでもなっているでしょう(笑)もうこの時点で、ヤバい教育ママになる予感がしますね(苦笑)


 「はあ…姫さまでございますけどね…」とおなごが学問を学んでも意味がないのではないかと、あさは呆れ気味に返します。これにもまひろは「学問の面白さがわかる姫になってほしいの」と一蹴します。平安期の女性としては先進的ですが、この願い自体は至極普通です。学識が高ければ、物事がよくわかり、実益もあれば、また精神的にも豊かになります。
 まひろをして、一時期は女がどんなに学んでも政に関われないと悲観的になった時期もありました。しかし、それがあればこそ、自分を見つめ直すことも、夢を描くこともできました。そして何より、多くの人との縁が出来たのは、学問があったから。自らの半生から得た確かな思いを娘に伝えたいというのは、わからないではありません。


 しかし、それはこういうやり方なのかと言えば、やはり首を傾げるしかないでしょう。自分の逸る思いや願望を、幼少期から押しつけることになるからです。教育とは、教授側が必要だから、大切だからという理屈で施すものではありません。受ける側が、面白そう、それをしたい、学びたい、必要だと思うことが肝要です。言い換えるなら、教授側は相手の興味関心、やる気を喚起させることが第一です。
 例えば、私事で恐縮ですが、私は親から読書をしろと言われたことはありません。ただ、さまざまな本をちょこちょこと買い足し、気軽に本を読める環境を作っていました。私が興味を持てば、勝手に読むだろうとの考えからでした。結果、私はごく自然に本を読み、楽しむようになりました。もっとも、それが高じて、文学研究者になるとは予想外だったでしょうが(笑)
 この考え方は、教室で各先生方が用意される学級文庫にも見られるものです。

 翻って「光る君へ」を見れば、まひろが学問好きになったのは、日々、漢籍を講読する父の声を聞く環境にあったからだけではなく、誰にも強制されず、自分の興味のまま学んだからです。逆に将来のためだからと厳しく学ばされた惟規(当時は太郎)は、漢籍が大嫌いになりましたね。これだけで、まひろが思い違いをしていることが窺えます(苦笑)

 娘を十二分に慈しみ、彼女のやりたいこと、興味のあることを見極め、それに合わせていく。まずはのびのびと育つのを見守る。すべてはその後でよいのです。どのみち、この家は書に溢れ、常態的に読む人たちを子どもは見るのですから、いずれは真似するでしょう。
 が、逸る気持ちのまま、自分基準で幼子に学問を教えようとするなら…娘は母を嫌い逃げ回ることになるでしょう。為時と同じ失敗、惟規の二の舞になりかねません。

 因みに紫式部の娘、大弐三位(賢子)は、後々、学才を花開かせ、出世し、恋多き女性と、母以上に華やかな女性となりますが、まずはまひろとの間で一波乱ありそうな気配がありますね。
 まひろの強すぎる娘の思い、学問への執着は、子育てにおいて既に波乱含みと言えそうです。そうとも知らず、まひろは「もう一度、最初から」と「蒙求」を繰り返し、いととあさを呆れさせています。


(2)まひろが得た幸せのかたち

 とにかくあれこれと娘の世話を焼くまひろですが、子どもは名無しのままです。宣孝に名をつけて貰おうと思っている彼女は、宇佐八幡宮の奉幣使として豊前にいる彼の帰京をけなげに心待ちにしているのです。

 宣孝に娘の名を預ける。このことは、まひろが前回の出来事を通して、宣孝の自分への真心を受け入れる気持ちになった信頼を示しています。また、血のつながらない娘を我が子として受け入れてくれる感謝もあるでしょう。そして、自ら名を付ける行為を通して、娘を自分同様に慈しんでもらいたいという願いもありそうですね。


 さて、帰京した宣孝を為時宅の一同は快く出迎えます。久々の来訪、地方からの帰還ということもあり、屋敷の下々にも土産を用意しています。貧しく卑しき身分の子に冷たい面のある宣孝ですが、多少はまひろに影響されたか、あるいは機嫌がよいだけか、それはわかりません。
 ようやく戻ってきた宣孝、まひろが抱える娘を見ると、すぐに相好を崩し「父上だぞ~」とあやします。出迎えたまひろに娘が愛されないのではないか、という逡巡が見られないあたりがよいですね。おそらく宣孝が豊前に行った後も二人は娘の出産報告など密に連絡を取り付けけ、夫婦関係を深めていったのだと察せられます。

 彼にとっては初めての娘、また老境になり赤子をあやすことは想像していなかったのでしょう。新しい命に触れる意外な悦びに「何やら照れるの」と笑います。そこには、やっと家族になれた安堵感もあるのでしょう。それは、おそらくまひろも同じと見え「お務めご苦労様でございました」と夫であり、父となる男を労います。
 すかさず、「まひろと姫に土産をたくさん持って帰ってきたぞ」と得意気に話す宣孝に「そうだろうと思っておりました」と返すまひろに成長が見えますね。以前は、高価なプレゼント攻勢をかける宣孝に、ここまでならなくてもと遠慮と戸惑いを見せるのが常でした。しかし、今はすんなり、しかも笑いに変えます。血のつながらない娘を受け入れた宣孝に影響され、相手を「ありのままを受け止める」あり方を自分もしてみるようになったのでしょう。

 冗談混じりで返すまひろに「お前には見透かされておるからの~」と嬉しそうにまひろを立てる宣孝の姿も自然です。二人は夫婦としての距離感がつかめてきたのかもしれませんね。不実で始まったこの夫婦、紆余曲折を経て、重大な隠し事がなく、一方でお互い踏み入ってはならないところはわかるといった関係になっています。

 ですから、相手への過度の期待、極端な執着はあまりありません。一見、割り切りとも見えますが、そこには相手への配慮と労りがあり、通い合うものがあります。そして、言わなくてもなんとなくわかること、それを信じられる楽さが、今のまひろにはあるのでしょう。得てして日常を生きるには、こうした気楽な安心できる関係がいるのかもしれませんね。いつまでも強い情ばかりの帝といる定子、優しいけれど胸襟を開かない夫へ密かな不満を抱く倫子を横におくと、不実なまひろのが幸せに見えるような気がします。

 何気ない夫婦の会話が済むと、まひろは「抱いてやってくださいませんか」と宣孝に手渡します。手慣れた宣孝の手つきに、苦労しきりのまひろは「まあ、乳飲み子の扱いがお上手ですこと」と感嘆します。返す宣孝は「お前より長く生きておるからな」と、他の子の世話をした経験とは口にしません。細かい配慮のおかげで、まひろは素直に夫の知らない一面に感心できます。「ふはは、ずっと見ておれるの~、かわいい。まひろの機嫌のよいときの顔に似ておる…むふふ」とメロメロの夫を見て、まひろも思わず笑ってしまいます。

 そして、まひろが待ちかねたように名付けをお願いすると、「もう決めておる」と宣孝。おそらくは、娘が生まれたとの報せを文で受けていたのだと思われますが、こうして準備をしていたところにまひろへの情だけでなく、本当に赤子の父になろうと心を砕いていたことが窺えますね。そんな、彼が付けた名は「かたこ」。聞きなれぬ響きに「か、かたこ?」と聞き返します。まあ、発音だけ聞いたら「片子」「固子」「硬子」「堅子」と強情で可愛げのない漢字が浮かんでしまいそうですからね。

 戸惑うまひろに宣孝は「賢い子と書く。まひろの子ゆえ賢いことに間違いはない」と自信をもって名の由来を語ります。宣孝は、娘を思うだけでなく、まひろのことも思って「賢子」と名付けたのです。独り善がりではない彼の心遣いに、まひろは礼を言うと「賢子…よい名でございます」とニッコリ笑います。
 宣孝は知りませんが、学問の面白さがわかる子になるよう胎教に漢籍を聞かせているまひろです。「賢子」の名は、期せずして彼女の方針とも合致しています。まひろの笑顔を見た宣孝、「良かった、良かった」としみじみ言うと「母上も気に入ってくれて父もホッとしたぞ」と胸に押し抱く賢子に話しかけます。得意げに名付けましたが、小難しいまひろの同意が得られるか内心、冷や冷やしていたのかもしれませんね。


 カメラは、この一家団欒を子を抱く宣孝をナメて、まひろの表情を捉えます。こうすることで、彼女がようやく手に入れた幸せを噛み締めていることが窺えます。彼女は、夫婦、家族の幸せがどんなものなのか、初めてわかったのです。それは、長年可哀想に思っていた、母ちやはがどんな幸せを感じていたのかを知った瞬間です。28話までかけて、ようやくまひろはちやはと同じ目線に立ったと言えるでしょう。


(3)娘を得て深まる宣孝の寛容さ

 このようにまひろと宣孝は、娘の誕生を機に、互いを思い遣り、家族として寄り添い始めました。家族としての幸せを噛み締めているのは、宣孝も同様です。殊にまひろに似た子を父娘と対面し、その腕に抱けたことは大きな喜びだったのでしょう。家族を得た実感は、宣孝に充実感をもたらしたようです。それを象徴するのが、道長への帰参報告です。

 宇佐八幡宮の奉幣使の務め、つまり神事にかかわることを終えたという報告自体は業務連絡ですが、彼は馬二頭を献上品として礼を尽くして、道長のもとに表れます。任官の挨拶にかこつけて、お前の女を妻にしたぞとマウンティングをしに行ったあの日の対面とは違います。何故なら、寝取られ夫(宣孝)が、間男(道長)に会いに行くという逆転状態にあるからです。


 対する道長もまひろの夫を「おー、おお」と鷹揚に迎え入れます。あの日、まひろと再会し、互いの想いを確認し合えたという実感は、道長に一定の満足があったはずです。ですから、宣孝がやってきても、婚姻の報告を受けたときのような衝撃と不安はありません。それが、心の余裕となっていると思われます。現金なものだと思わなくはありませんが、まあ、道長のほうは情事がバレているとは露ほどにも思っていませんから、そんなものでしょう(苦笑)

 宣孝と道長の対面は、夫と間男の対面とは思えないほど和やかなものです。勿論、まひろの不義の子を自らの娘とした宣孝も、道長に浮気を問い質す気はありませんから、剣呑にはなりません。道長がその任を労いながら、馬の献上の礼を言うと、宣孝は「実は先日、子が生まれまして」と切り出します。これだけで道長は、まひろが子を産んだという話と悟り、一瞬真顔になります。人妻になったのですから、懐妊、出産は起こるべくして起こったこと。それなりの覚悟があっても、やはり聞けばショックでしょう。対面後、一人、深いため息をついたことにもそれは表れていますね。さすがに、この子の父が自分であるとは想像できていないでしょう。

 宣孝は「おそれながら、その喜びも込めてでございます」と、娘の誕生を寿ぐためでもあると続けます。道長も内心の動揺は伏せ、「そうであったか」と鷹揚に笑い「これまためでたい」と合わせます。ただ、宣孝のほうは以前の対面のときのようなギラつくものはありません。そもそも、生まれた子の父は道長ですから、その誕生を報告しても彼の自尊心を満たすことにはなりません。よしんば、お前の娘も俺のものにしたと得意げになるつもりだったとしても、彼が賢子を自分の子だと知っていなければ、効果はありません。

 おそらく宣孝は、真実を明かせないにしても、実の親が娘の誕生を知らないというのは、生まれてきた賢子が不憫だと思ったのではないでしょうか。せめて実の親にその子が産まれたことを伝え、祝ってやることが人の道ということです。道長は、まひろの子が生まれたと聞けば、自分の子とは思っていませんから、ショックを受けることも想定済みでしょう。ただ、それでも彼が真にまひろを愛しているならば、自分がそうであるように、誰との間の子であろうとまひろの子のことを寿ぐはずだという確信はあったと思います。

 勿論、我が子と気づいたのであれば、それはそれで道長は内心、喜ぶはずです。そうなった場合、馬二頭の献上も道長の子の誕生を寿ぐ宣孝の心遣いとなります。どのみち、宣孝にマイナスにはならないのですね。


 「初めてのおなごでありまして、かわいくてなりませぬ」と嬉しそうに話す宣孝の表情には、道長のマウントを取ろうとしていた、あのときのギラついた邪気はなく、心底、かわいく思っていることが窺えます(婚姻報告の表情との微妙なニュアンスの違いを演じ分ける佐々木蔵之介が巧いですね)。まひろと賢子、彼らと家族となれたという充実が、その表情に表れているのですね。

 それを見ては道長も「まだまだ仕事に精を出さねばならんな」と職務に励むよう、声掛けをするしかなく、宣孝の「よろしくお引き立てを存じまする」というあからさまなおねだりにも頷くだけです。まひろの子が無事、育つよう配慮することだけが、彼のしてやれることだからです。こうして夫と間男の対面は穏やかに終わります。当然、このことは、まひろには話さないでしょう。男たちだけの間で済ませればよいことですし、彼女が喜ばないことはわかっていますから。

 さて、宣孝のまひろと賢子への心遣いは、物語後半の道長危篤のときにも窺えます。その日、ただならぬ様子でやってきた宣孝に、まひろは緊張します。宣孝は「言うべきか、言わずにおくべきか迷ったが、知らせないのも悪いと思ったので言うことにする」と彼女らを思い迷ったうえでの決断であることをまず述べた上で「左大臣さまが高松どので倒れられ、ご危篤だ」と伝えます。

 宣孝は、まひろたちの笑顔が見たい、彼女を喜ばせたいというタイプの人間です。彼女が心から傷つくところを見たくはありません。かと言って、何も知らないまま道長が逝けば、これまたまひろは彼女自身を責めるでしょう。どちらに転んでも、まひろが傷つく以上、最善が思いつかなかったのです。迷ったことをわざわざ言ったのも、言うことにしたもののそれが正しいかわからないからです。宣孝は、彼女の最善を考えながら、正直に打ち明けたのです。

 案の定、「忘れえぬ人」の危篤に衝撃を受け呆然となったまひろ。その表情は能面のようで色がありません。予想以上の様子に宣孝は「余計なことを申したかのう」と自分の判断を謝るように気遣います。まひろは辛うじて「いえ、お教えくださりありがとうございました」とは返したものの、固まった表情は動きがなく、目は虚ろになっていきます。まひろを心配そうに見る宣孝が「…できることは、我らにはないがのう…」と声をかけるのは、申し訳なさと自分を責めないようにとの思いが内在するからでしょう。

 興味深いのは、宣孝がまひろを見やった後、すぐに賢子に視線を映し、カメラもその視線の先にあるすやすや眠る乳飲み子をクローズアップにしたことでしょう。宣孝は、まひろを心配すると共に、物心つく前に実の父を失うかもしれない我が娘を不憫に感じたのではないでしょうか。そして同時に、もしそうなったときは一層、この娘を慈しみ、まひろを支えて育てよう。そんな決意を宣孝がしたように思われる演出になっています。

 このように、前回、互いの不実から真心を見出したまひろと宣孝は、それぞれに相手をありのまま受け入れ、お互いの分を弁え譲りあうなかで、相手への思い遣りを見せられるようになってきました。そのことで二人は…いや、娘を入れた三人は家族として寄り添い始めたのです。
 互いの想いを主張しあっていたときには得られなかった幸せがまひろを取り巻いています。それは、家族間に日常的な信頼と安心が。あるからでしょう。残念なことは、史実的に、この幸せが長くは続かないということですが、それは次回以降となるでしょう。


2.彰子入内が決まるまで

(1)虚しさだけが広がる詮子

 さて、極端な執着から解かれ、それなりの幸せを手に入れつつあるまひろに対して、道長の政の世界は緊迫した状況が続いています。前回、晴明から一帝二后という前代未聞の策を進言された道長は、詮子の意見を伺うことにします。ただ、今回は、彰子入内のときのように悩んでのことではありません。晴明に理を説かれ、その合理性、それ以外の手がないことを理解できてしまった道長は、気乗りはしませんが既に納得ずく。詮子の意見を伺うのは協力を仰ぐほうが主です。

 さて、話を聞いた詮子は「道長はすごいことを考えるようになったわね…一人の帝に二人の后…いいんじゃないの?」と心底、感心します。提案は晴明ですが、それを妥当なものと採用しようとしているのは道長ですから、道長が「考え」たでよいのです。しかし、そう話す詮子の声には力がありません。
 おそらくは前回の帝から投げつけられた「朕は母上の慰みもの」という彼女の人生を全否定する言葉に衝撃が尾を引いているからでしょう。近年は度々、病に臥せっていた詮子ですから、この言葉が心労となり、既に生きる気力を失わせ、病に罹りつつあるのかもしれません。「いんじゃないの?」という認める言葉にも、やや投げ槍な感があります。


 投げ槍感を察したか「真にございますか?」と真意を確認する道長に「だって…やりたいんでしょ?」と薄く笑うと「私は亡き円融院に、女御のまま捨て置かれた身。そのことを思えば、一帝二后も悪い話ではないわ」と、自身がただの女御であったがゆえに円融院は軽んじたのだろうと推察します。だからこそ、多少強引であっても、効果を期待できる手は悪くないと思うのです。こうした判断は、政に生きただけに的確ですから、道長も納得するでしょう。
 ただ、この文言には、父、兼家が一帝二后のような対策を思いついていたら、円融院との関係は円満、息子との関係も拗れなかったのではないか。そんな埒もない考えが、頭をかすめているような気がします。それほどに息子から突き付けられた言葉は、彼女の心を抉っていますし、今、なお父への恨みも消えていないでしょう。だからこそ、自分が敵わなかった父すらも思いつかなかいことを思いつく道長に感心したのでしょう。彼は詮子が思う以上に化けたのですね。


 詮子の言葉に得心した道長は「今のお言葉、文にして帝にお届けくださいませんか」と一番の用件を彼女に願います。ため息をつきながらも快諾した彼女ですが、「私の文くらいで帝がうんとおっしゃるかどうかわからないけれど…」と独り言ちます。手塩にかけて育てた息子に自分の思いが何一つ理解されていなかった。それを知ったことで、詮子は激しく自信を喪失していると察せられます。

 前回の母子の会話を知らない道長は、軽く笑いながら「女院さまのお言葉に、帝はお逆らいになりますまい」と、なにを気弱になっているんだかというような軽い感じの励ましをします。道長に落ち度はまったくないのですが、「帝は詮子に逆らわない」との言葉は、彼女の心を苦しめた帝の言葉の一つ「朕も母上の操り人形でした」に重なるもの。詮子の心に刃として刺さったことは想像に難くありません。息子は母の言うことを聞くが、本心では聞くつもりがない。息子との心の溝の深さを改めて感じる詮子は、道長に気づかれない程度に顔を曇らせると自虐的に「そうね」とだけ答えます。


 詮子が、息子から投げつけられた言葉を思い出し、自分と彼との間にある深い溝について考えさせられるのは、道長との一帝二后のやり取りだけではありませんでした。ある日、彼女は倫子から「彰子が帝の御心を捉え奉るにはどうしたらよいのでございましょう」と相談を受けます。入内こそ華やかに行われたものの、女御宣下の折、公卿らの目の前で、帝と会話が続かなかったことは倫子の耳にも入っているでしょう。何か糸口を、と考えるのは親心です。

 倫子は、入内した後も彰子を、帝の女御という政の機能としてではなく、自分の娘として何とかしてやりたいと思っています。だから、「彰子」と呼び捨てなのです。娘を立后という形で権威付けを図る道長とは根本的に違います。

 「そうねぇ…」と思案げな詮子に「女院さま、帝のお好きなものをお教えくださいませ。お好きなお読みもの、お遊びごとなどご存知であられましょう?」とズバリ聞きます。それさえわかれば、それについて彰子を学ばせれば、会話のきっかけ、材料になると単純に思っただけです。しかし、この簡単な質問が、詮子には致命的でした。
 「帝のお好きなもの…?」と呟くと、頭を傾げて考えるのですが、目は泳ぎ挙動不審。やがて、彼女はポツリと「よく知らない…」と答えます。真顔の詮子を見れば、それが本気の言葉であることがわかります。冗談ではないとわかるからこそ、同じ親として、そんなことがあるのかと倫子は怯みます。


 驚いた表情の倫子を見て、息子の好みを知らないことが異質であることを察したのでしょう。詮子は「あなたは子らの好きなものを知っているの?」と問いかけます。「勿論でございます」と答えた倫子は「田鶴は身体を動かすことが大好きでございます。妍子(きよこ)はキラキラした華やかな装束や遊び道具を好みます…」とスラスラと澱みなく話していきます。その様子に目を丸くする詮子ですが、倫子の話は「せ君はまだ小そうございますが、竹くらべが大好きでございます」と末の息子にまで及びます。

 倫子の話からは子どもたちの生き生きとした様子が窺え、いつも笑っている姿が目に浮かぶようです。いかに彼女が子どもたちをよく見ていて、愛情を注ぎ、彼らの心の思うままにのびのびと育てているか。土御門殿の教育方針までわかりますね。まあ、のびのびし過ぎて、田鶴のやんちゃに手を焼くことがあるのは、第26回で描かれえています。それも微笑ましさのうちでしょう。
 子どもの好きなものを知ること、それがあり得るべき幸せの形の一つであることをまざまざと聞かされた詮子は、呆然としたまま、力なく笑います。その笑みは、自分が息子にしてきた教育への自虐が含まれた哀しいものです。

 詮子が、帝を厳しく育てたきっかけは、いつだったのか。おそらくそれは、兼家の命で円融院に毒が盛られたと知ったときでしょう。そのことで、彼女は円融院と鬼と罵られ、遠ざけられた(第4回)のですが、そのショックもさることながら、彼女は息子もまでもその犠牲にさせられることを恐れたでしょう。
 何があっても自分が息子を守る、その決意が教育に表れます。陰謀に立ち向かえる聡明で強い帝になるよう、学問も芸事も一流となるまで叩きこんだこともその一つでしょう。そして、自身は政争に身を投じ、彼を政治的に守ろうとしてきたのです。帝に毒を盛った実家を信用せず、彼らから自立し、新しい後ろ盾を得ようとした詮子。敵となる実家が強大なだけに、彼女の苦労は相当なものだったことでしょう。耐えられたのは、息子への深い情があったからです。その情に叶わぬ円融院への想いが入り混じっていたとしても仕方ないところでしょう。


 彼女は息子を守るために必死でした。それは状況からして致し方がない、それ以外の選択がなかったでしょう。理屈としては正しい。一方で、それは息子が望むことであったのか、と問われれば、答えようがない。彼が好きなものには「母上」がありますが、彼が最も母の愛を受け、遊んでほしかったとき、彼女は厳しく躾けるだけで何もしてやれませんでした。また、学問を嫌がる息子を、将来のため、帝に相応しくあれと叱り、しょげ返る彼に無理矢理、学ばせたものです。そんな彼を、いつもあやし、庇っていたのは、定子でした。


 結局、詮子は、息子を守らねばと強く思うあまり、彼の情緒にとって一番大切なときにやり取りをせず、また彼の望みを叶えようともしませんでした。結局、そのことが今の彼との拗れた関係であり、また息子の好きなものすら知らないという事実を生んでいます。彼女の息子への強い執着は、かえって二人の心に大きな溝を生み、自分から愛する息子を遠ざける結果となったのです。彼女は、今、それを激しく後悔し、そのことを何げない会話のなかで敏感に感じざる得ない心境に陥っています。


 因みに成人前の一条帝が好きだったものは「母、椿餅、松虫」(第13回)で、定子はそれを入内した日、「お上のお好きなもの、私も全部好きになります」と言って聞き出しました。こうして彼女はあっという間に帝の心のうちに入っていったのです。彼に必要だったのは、自分の気持ちに寄り添ってくれる人の存在だったのですね。それにしても、彼の好きなものの一つが、母だったことを知ることができたら、今の詮子も後悔しつつも救われるやもしれませんね。ただ、それを知る定子は、詮子から最も距離のある人だというのが不幸ですね。


 ところで、子どもたちの好きなものを澱みなく答えた倫子ですが、そんな彼女が唯一、何が好きなのかわからないのが、彰子です。だからこそ、必要以上に不安を覚え、空回りする準備を整える、詮子に相談をする、といったことをしているのです。さすがの倫子も、彰子だけは迷走しています。そんな彼女の悩みを強調するため、倫子と詮子の会話の直後、衛門から「古今和歌集」を学ぶ彰子のカットが挿入されています。この場面については、後述します。


(2)彰子の無欲が立后を決める

 道長の願いを受けて書かれた詮子の文は、蔵人頭の行成によって上奏されます。詮子の文を受け取りに来るのは、詮子の指示ですが、それでなくても行成が上奏することになったでしょう。彼は道長と帝をつなぎ、両者に信頼される大切なパイプですからね。


 さて、一帝二后の話、帝には寝耳に水だったようです。それでも、いきなり拒否せず、「これは…どうしたものか…そなたの考えを聞かせよ」と行成に問うたのは、ここまでする道長の意図を計りかねたからでしょう。野心とわかれば断固拒否も容易ですが、彼は単にそれをする人物ではありません。しかし、行成は「私は…いえ…」と言葉を濁し、黙ってしまいます。

 行成は、個人的に道長びいきですが、その私欲のない政にも心酔し、彼の力になりたいと心から思っています。その一方で、帝の聡明さとその心根にも敬愛の念を抱いています。ですから、道長の理屈も帝の定子への想いにも同情しています。ですから、双方にとってよい答えを探したものの、瞬時には答えられず考えあぐねてしまったのでしょう。

 しかし、その逡巡ゆえに「皆が定子を好んでおらぬのは知っておる。后を二人立てるなぞ、受け入れられるものではない。朕の后は定子一人である!」と帝の叱責にも似た激しい物言いを許し、早々に一帝二后は頓挫しかけてしまいます。


 ほぼ追い返された形の行成、どう報告したものかと悩んでいるところに、「いかがであった?」と待ちかねた道長から声をかけられます。行成の交渉に期待した道長の言葉に「お考えくださるご様子ではございました」と思わず嘘をついてしまった行成は、口にしてから、自分は道長の信頼を失うことが何より辛いのだと気づいたでしょう。追いつめられたときほど本音が出るとは言ったものですね。

 道長は、行成が足掛かりだけはつけてくれたのだと信じ「迷われるのは当然だ」と、そこまでやれただけでも上々だと労います。その上で「されど、そうしてなんとか…彰子さまを中宮に立てる流れを作ってもらいたい」と懇願します。推しの道長にこうまで信頼されては、行成は「心得ておりま」と答えるしかありません。実は既に失敗しているのですが、ここから何とか盛り返すしかない…行成は嘘から、自分の仕えるべきは道長であると決めることになりました。とはいえ、彼は若い頃からずっと道長を見つめ続けてきましたから、結果的にはこれは自然な決心です。


 その頃、彰子は、赤染衛門から「古今和歌集」のレクチャーを受けていました。衛門が語っていたのは、人臣から始めて摂政になった藤原北家、中興の祖である藤原良房の和歌「年ふれば よはひは老いぬ しかはあれど 花をしみれば もの思ひもなし(意訳:年月が過ぎてしまい、私は老いてしまった。しかしながら花を見ていると、何の物想いもない)」です。衛門は、良房について政治家としても、風流人としても優秀であったと語りますが、この一首を学ばせているのは、かなり意図的ですね。

 良房の「年ふれば~」は、皇后となった自分の娘,染殿后(そめどののきさき)の部屋にて、花瓶に挿された桜を詠んだ歌です。この娘が産んだのが清和天皇であり、即位後に良房は摂政になります。つまり、彼は自身の人生を振り返り、思い悩むことなどないと、その満足を歌にしたのです。
 したがって、歌で読まれている「花」には、目の前の桜だけでなく、皇后になった自分の娘、自分の花開いた人生なども含みこんでいると思われます。いやはや、傲慢と言えば傲慢かもしれませんが、羨ましいですよね(笑)後悔ばかりの我が身を思うと、一度くらいこんなことを言ってみたいものです←

 話を戻します。つまり、この歌は娘を入内させ摂関となることで権勢を振るってきた、藤原一門を象徴するものです。したがって、これを藤原家の子女に紐解くということは、藤原家の宿命を教え込むということを意味しています。男児に言うならば帝王学になりますし、女御となった彰子の場合は、その役割は皇子を産むことだと教えているのです。衛門は、極めて政治的な教育を彰子に行っているのです。最も聞いている彰子が、衛門の意図を汲んでいるかどうかは別問題ですが。


 そこへ突然、帝がやってきます。とはいえ、女御宣下でも会話がままならなかった彰子です。「今日は寒いの」「はい」「温かくして過ごせよ」「はい」「今日はそなたに朕の笛を聞かせたい」「はい」と帝の言葉に合いの手を入れているだけのような状態で、妙なリズムが可笑しいですが、凡そ会話にはなっていません。ハラハラしている衛門が気の毒です(笑)

 無論、帝の「笛を聞かせたい」は口実です。帝は、行成を通じて半ば叱責気味に自分の意思を道長たちに伝えましたが、これで道長が引き下がるとは思っていません。ですから、彼の真意を探ることも含めて、まずは彰子の人となりを確かめておこうと考えたようです。珍しく、彰子のもとへ渡ったのは、政治的な理由です。


 帝は、彰子から少し離れた場所の柱に寄り掛かると得意の笛をなめらかに奏でます。このとき、カメラは帝が笛を構える姿勢をナメ、その頭と腕の間を抜く形で、奥に鎮座する彰子がじっと首を傾けている様子を捉えます。彼女は、帝が「笛を聞かせたい」というから、ちゃんと聞いているのです。しかし、喜ぶでも、楽しげにするでも、愛想笑いを浮かべるでもないその様子は、帝には奇異なものと映ったようです。「そなたは何故、朕を見ないのだ?こちらを向いて聞いておくれ」と声をかけます。

 しかし、彰子は何も言わず、相変わらず首を傾げたままです。不味いと感じた衛門「女御さま、お答えを…」と促すと、「笛は聞くもので、見るものではございませぬ」と即答し、帝と衛門を驚かせます。言い分はまったく正しいですが、完全に肩透かしを食らってしまった帝は「これはやられてしまったな…」と苦笑いをするしかありません。ただ、「栄花物語」でも有名な彰子のこの応答、本作の彰子は、他意はまったくなく本気で思うところを述べたに過ぎません。彼女は、どこかで事の本質を捉えるような、そういう才覚があるのかもしれません。
 そう言えば、以前、弟の田鶴が「琴だって少しも覚えてなくて、お師匠さまが怒っておりました」(第26回)と倫子に告げ口していましたが、これも習うより聞き入っていただけなのかもしれませんね。


 なんだかいっぱい食わされた形の帝ですが、彰子がうつけというわけではなさそうと見て「彰子、そなたは中宮になりたいのか」と率直な質問をします。彼女が道長に言い含められ、意思を通じているのかどうかを直接確かめようというわけです。しかし、答えようがないのか、彰子は無言です。答えない彰子に「左大臣は、そなたが中宮になることを望んでおる。そなたはどうなのだ?」と再度、問い質します。

 すると「仰せのままに」とだけ答えます。道長が彼女に入内させたいが意見はどうかと聞いたときとまったく同じ返事です。彼女の意思を聞いたにもかかわらず、見当はずれの答えが返ってきたことに戸惑う帝は「誰の仰せのままだ?」と彼女の真意を訪ねます。しかし、彰子は「仰せのままに」と自動人形のように同じ言葉を繰り返すだけで、誰の意のままなのかさっぱりです。こうして不思議な対話は、彰子のトンチンカンな反応に悶絶する衛門を印象的に映して終わります。まあ、衛門は今後も気苦労が絶えないことでしょう(笑)


 しかし、この彰子の様子が、かえって帝に憐れみを抱かせます。帝は「彰子には己というものがない。少し可哀想になった。朕も女院さまの言いなりで育ったゆえ。我が身を見るような心持ちになった」と、自分の意思を一切示さず、他の私欲もなさそうな彰子に己を重ね、辛くなったようです。見るに見かねた彼は「朕にとって、愛しきおなごは定子だけである。されど、彰子を形の上で后にしてやってよいやもしれぬ」と行成に妥協を示すと、その場を去ります。

 去り際の「朕も左大臣と争うのは辛いゆえ」との言葉が印象的ですね。彼にとって、大雨による多くの死者を理由に道長が辞表を差し出したことは、かなり堪えています。真摯に自分を支えてきた道長に見捨てられた思いを抱いたのでしょう。つまり、彰子立后を断れば、己も政治的に見捨てられ、役目を果たせない彰子もまた顧みられない…そんな恐れが頭をよぎり、妥協したのかもしれません。勿論、道長がそのような冷酷な振る舞いはしないでしょうが、そうとしか思えないあたりに帝の孤独さがあります。定子にすがるのは、それもまた理由なのでしょう。


 こうして彰子は、執着心がないがゆえに中宮の座をほぼ手中に収めます。強い執着心が不幸を招くという、このところの「光る君へ」の登場人物らとは真逆のことが起きています。ただ、帝の言うように「己がない」というのは、少し違うように思われます。たしかに彼女は、多くの場合、相手の望むことに合わせようとする傾向があります。入内を受け入れたのも、衛門を真似てしなを作ったのも、母に合わせて「わーきれい」と言ったのも、全部同じことです。しかし、笛の音の一件での返答を見てもわかるように、彼女には彼女の考えがたしかにあるようです。

 ここからはあくまで憶測ですが、彼女は、実は人の心の機微をつかまえることがおそろしく下手なのではないでしょうか。つまり、相手が何故、それを望むのかが理解できない。例えば、笛はただ聞き入り、味わえばよい。にもかかわらず、帝は、笛を聞くだけでなく「朕を見よ」と言う。合理的ではないように見える。母と見た花も同じです。自分は花を観賞し、味わっています。それなのに、何故、母はそれを口にすることまで要求するのか。それにどんな意味があるのか、彼女にはピンときていない。だから、「まあ、綺麗」と言ってよと倫子に言われたとき、驚いたような表情をしたような気がします。

 ただ、人と争うことも、機嫌を損ねることも好まない彼女は、それならば相手の望むように振る舞っておけば、すべてが無難に済むと合理的に考えたのかもしれませんね。もしそうだとすれば、「仰せのままに」は彼女にとっては効率のよい、処世術だと言えるでしょう。

 こう考えていくと、彰子は、人と思いを共有することの価値、あるいは無駄とも思えることをすることの面白さ、そうしたものが、まだわからないのかもしれません。孤独も孤独と感じないのだとすれば、帝の憐れみも見当違いの可能性がありますね。彼女が他者を他者として意識し、触れ合いたいと願うとき、そのとき彼女の抱えた情緒、感性は飛躍的に外へ解放されることになるのかもしれません。


(3)道長を光る君と見定めた行成の覚悟

 ともあれ、帝からの妥協を引き出せた行成は、いそいそと「彰子さまを中宮にしてもよいとはっきり仰せになりました」と道長に報告します。その表情は喜色満面です。一番の気掛かりが解消された道長は「よくぞ…」と立ち上がると、控える行成を労わるようにその肩に手を置き「帝のお気持ちを動かしてくれた。礼を言う」と一礼します。「勿体ないお言葉にございます」と照れる行成がかわいいですね。

 道長は「四条宮で学んでいた頃より、そなたはいつもさりげなく俺に力を貸してくれた」と続けます。そうなのです。道長のために漢籍を書写することは茶飯事でした。まひろからの漢詩に戸惑ったとき、漢詩と和歌の違いについて教えてくれたのも行成です(第10回)。また、花山帝の腹心だった義懐が、公任らを招き、派閥を作ろうとしている件をそれとなく道長に警告をしてくれたこともありましたね(第6回)。そうした細々としたことを道長は、覚えてくれていたのです。

 行成は、道長に感謝されたくてしていたのではありません。自分が道長のために何かをしたかったという真心だけです。とはいえ、それが通じていたことは嬉しくないはずがありません。「今日までの恩、決して忘れん」とガッシリと手を握られた行成、「おお…」と込み上げる喜びから思わず感嘆を漏らし、道長を見上げます。こういう日を待っていたのかもしれない…報われる思いになったのではないでしょうか。二人の立ち位置が、推しに迫られるファンのような構図なので、余計に行成の喜びが伝わってきます(笑)

 懸念を祓ってくれた行成への道長の感謝は止まりません。「そなたの立身は勿論、この俺が」と言うと、さらに握る手に力を込めて「そなたの子らの立身は、俺の子らが受けよう!」とまで言います。貴族にとって大切なことは、我が「家」を繁栄させ次代に継ぐことです。道長は、その繁栄を確約したばかりか、次代に至るまで道長と行成の縁は続く、一蓮托生であるとまで言い切るのです。そこまでの感謝と信頼に、道長を見つめる行成の眼差しは喜びに打ち震える熱いものがこみ上げてきています。道長もまた、頷くように見つめ返します。

 このままだと、二人のロマンスが始まってしまいそうな勢いでしたが、唐突に道長が倒れたことで中断します。「道長さま?!」と抱きかかえ慌てる行成に「誰も呼ぶな、大事ない」と道長が答えるのは、自分が今、倒れれば内裏が大混乱に陥るからです。健康不安というだけで、無用の野心を抱く者もいますし、そもそも、何としても帝の暴走を抑えるために権力基盤を盤石にしなければならない時期。自分が倒れては、元も子もありません。

 とはいえ、行成は道長から寄せられる感謝と信頼によって、今度こそ自覚的に道長を自身と我が「家」の「光る君」として支えていくことを確信したと思われます。道長が倒れるという秘密も共有した今、なんとしてもお支えせねばならない。その想いを強くしたことでしょう。道長への強い思いを自覚したことで、どちらかと言えば、穏やかであった行成が、政治的に力を発揮することになります。


 年も明け、道長は晴明に日取りを占わせる…もとい、「こうなることはわかっておりましたので、先に占っておきました」とうそぶく晴明の申し出で中宮立后の日2月25日となりました。この立后は、道長の政治基盤を盤石にする、つまりは「国家安寧のため」。それゆえに晴明も、道長に対して積極的に協力しています。そう言えば、道長は、日記に書き込んだ立后の儀の記述を、まだ詔が下りていないとい晴明の進言を思い出し、墨で消しまくっていましたが、これは実際の「御堂関白記」に倣ったものです。

 さて、晴明が進言したとおり、帝は立后の詔を出さず、未だ逡巡していました。帝は、信頼する蔵人頭、行成を呼び出すと「彰子の立后のことだが、まだ心が決まらぬ。くれぐれも公にすることの無きよう。よしなに取り計らってくれ」と本音から頼みます。みるみる顔色が変わる行成を見ることもなく、物思いに心奪われたまま「誰かの口から聞けば、定子が傷つく。それを思うと耐えられぬ」と、公にしない理由が公のためではなく、私事の感情に過ぎないことを平気で話しています。

 これが公私混同であることも気づけないほど、帝は定子への執着に囚われているのですね。前回、詮子が「いい加減に、中宮に気をお遣いになるのはおよしなさいませ!」と叱りつけたこと自体は、正しい苦言であったと言えます。ただ、帝の気持ちを慮る言葉ではなかっただけです。


 この期に及んで、定子、定子と言い続ける帝。優しい行成にとって、その孤独な心中は察するところがあります。それだけに憐れむような表情になるのですが、前回のように逡巡することはしません。道長の信頼と感謝に望外の喜びを得、進むべき道を定めた行成は意を決すると、「おそれながら、お上はお上にあらせられまする。一天万乗の君たる帝が、下々の者と同じ心持ちで妻を思うことなぞ、あってはなりませぬ」と、帝の心得違いを正します。
 帝は個人のものではありません。万民を広く等しく愛するのが、その基本です。中宮であっても、万民の一人にすぎません。この一人にかまけるのは、帝の役割ではないのです。行成の理屈は、根本的には詮子の話と変わりません。ただ、真摯な行成は、詮子の説得よりも感情的ではなく、また論理的なもの。それゆえに帝は、その理屈に返す言葉がないのです。また、自分に同情的だった彼からの思わぬ苦言というのも堪えたでしょう。


 ただし、行成はここで手を緩めません。続けて、「大原野社の祭祀は代々、藤原より出でたる皇后が神事を務める習わしでございます。されど、中宮さまがご出家なさって以来、神事をお務めになる后がおられません」と、定子が出家した現状の問題点をズバリ指摘します。困り顔の帝は、御簾のおかげで行成から表情は見えないというのに目を逸らすような仕草をします。私心のない行成の澱みない言葉が、ワガママなだけの彼を怯ませるのでしょう。このことは、帝は内心、自身の定子の対応にこだわる在り方が間違っていることに気づいていることを示しています。

 行成は、さらに「なすべき神事がなされぬは神への非礼。このところの大水、地震などの怪異は、神の祟りではないかと私は考えまする」と、今度は帝が後ろめたく思っている政の失策を突いてきます。悩む帝にわずかな動揺も察せられますね。行成が語る神事に関するくだりは、実際に彼が言ったことであると「権記」に記されていますが、こうしてドラマという形で分解されると、行成が実に理路整然、そして雄弁であることが見えてきますね。後に四納言の一人となるだけはあるのです。

 ここで行成の顔がクローズアップされると、帝にトドメを刺すように「左大臣さまもそのことを憂えて、姫さまを奉ったのだと存じます。ここは一刻もはやく女御彰子さまを中宮へとなし奉り、神事を第一にすべきでございます」と涙目で訴えます。一帝二后が、道長の権力基盤の安定が目的であることは言うまでもありません。それゆえに、それによって定子がないがしろにされることを、帝は危惧しています。それをわかった上で、行成は、そもそも道長は娘を入内させたくなかったのだと言うのです。

 帝が定子に執着し、乱した世を鎮めるために、彰子を供物として捧げた。謂わば、一帝二后とは帝自身が招いたことなのだと指摘するのです。そして、最後に「それがならなければ世はますます荒れ果てましょう!」と締め、頑なだった帝をはっとした表情にさせます。これ以上、世を乱すのが、帝の御心ですか、そうではないでしょう、というわけです。

 道長は倫子に彰子は「生贄」だと言いましたが、行成は道長のそうした苦しい心中を理解しているのです。それゆえ、供物となった彰子を政治的に死なせることは苦しむ万民に対して罪であり、また左大臣と彰子に対しても非礼だと言うのです。そういう行成の目が涙目であるのは、道長の信頼に応えようという必死さと、これを聞いている帝の心中はいかばかりかと思うからでしょう。

 行成の道長びいきは筋金入りで揺らぐことはなく、この一件でそれはさらに強いものになりました。ただ、香炉峰の雪のとき(第16回)より帝の雰囲気と聡明さに敬意も強く抱いています。おそらく本作の男性キャラクターのなかでは、彼が一番、帝を敬愛しているといっても過言ではありません。
 ですから、ここまでの厳しい諫言をするのは、道長のためだけではなく、本来の帝は聡明であり、正道に戻り、名君になれると信じているからなのですね。一通り、理屈を述べた後の「何もかも…わかっておいででございましょう?」との懇願には、帝への信頼も窺えますね。


 すべてを見透かす行成の言葉に狼狽えた帝は「お上、どうか…お覚悟をお決めくださいませ」の言葉に、最早、抵抗できない。これ以外に世が治まる方法がないことを悟りますが、それでも定子を思い、決めかねています。しかし、この政における悪循環を断つ以外にありませんから、行成の期待どおり、一帝二后の承諾という正しい判断をします。

 そして、一帝二后の宣旨が公にされますが、公卿らの反応について、ナレーションが「前代未聞のこの宣治を聞いても反発する公卿はいなかった。あのご意見番の実資さえ異を唱えなかったのである」と、オウムが「センレイ」と覚えてしまうほど先例に煩い実資について言及されています。実資の賛同を意外に思った人もいるかもしれませんが、こうなるように物語は組まれています。


 実は実資は、道長が彰子入内の意向を公にする前に「もし左大臣さまの姫君が入内されれば、後宮の内もまとまり、帝の御運も上向いて、御代も長く保たれるのではございませんか?」と進言しています。そもそも、彼は道長の娘の入内に賛成していた人です。つまり、左大臣の政治基盤を強化することでその権威を帝への牽制にするということを、誰よりも理解し、その必要性を唱えていた人物なのです。当然、今回の立后が、その延長線上にあることを実資は理解していますから、反対をするはずがないのです。

 また、後半の道長危篤の際、「この度の一帝二后のこと、左大臣さまはやや強引ではありましたが、御心は広くあらせられました」と、公明正大な遣り方を担保していたことを寧ろ評価する発言をしています。加えて、前回、屏風歌に不参加だったことについて、道長から反対意見は尊重するが、公卿が一丸とならねばならないときは力を貸してほしいと釘を刺されてもいます。こうした様々が合わさった結果、実資は賛同しているのです。そして、実資の賛同は、一帝二后が、政治的に公正なものであることを保証することになります。


 こうして、彰子の中宮立后は盛大に行われます。お飾りの彰子は、相変わらず無表情のまま、なすがままですが、彼女の後宮での立ち位置を心配している倫子は、華やかな中宮立后の儀にとりあえず安堵したのか、微笑みを浮かべ、道長を見やります。しかし、道長にはそれを成し遂げた満足感はなく、固い表情のまま、儀式を眺めています。


3.燃え始めた明子女王の情念と野心

(1)嫡妻の貫禄に怯んだ明子女王

 彰子の中宮立后は、帝の説得に相当、骨が折れたものの、その説得は主に行成任せでした。また、詮子は無論、公卿らからも一切、反対は起きませんでした。つまり、一帝二后は、意外に道長の思惑どおり進んだと言えます。しかし、先にも述べたように、中宮となった娘を見る道長の眼差しには喜びはなく、固い表情を隠そうともしていません。

 このことは、彼にとって、一帝二后は今なお本意ではなく、心理的負担ですらあったということが窺えます。聡明ゆえに政治的に必要不可欠かつ最善の策であることは理解できても、感情まではついていけてはいないのです。加えて、この立后が果たしてどういう結果を生むかは、未知数。道長の気苦労は絶えません。


 癒しを求めて道長は高松殿を訪れますが、道長の心中を知らぬ明子は、まだ赤子の娘をあやしながは「いずれこの子も、殿のお役に立ちますように心して育てます」と、道長の権勢に娘を役立たせることを、さも当然かのように話します。
 興味深いのは、父道長の御前にいるにもかかわらず、三人の息子たちは年齢にかかわらず全員、母を注視していることです。彼らが、母明子の顔色を窺いながら、日々を過ごしていることが察せられます。つまり、高松殿では明子による強権的な教育が行われているのでしょう。因みに一番下の目のくりくりした三男坊、は君が後に摂関政治を終わらせるきっかけを作る能信です。

 道長はそれに気づいたふうはありませんが、明子の言葉には「そのようなこと考えるな」と返します。訝しむ彼女に道長は「入内して幸せなことなぞない」と元々、抱いていた本音を漏らします。
 入内及び中宮立后までの顛末、何一つ彰子にとって良かったことも、親として何かをしてやれた実感もない道長。彰子入内に後悔はありませんが、自分の良心を曲げた苦さは痛感しているでしょう。ですから、なおのこと入内は娘のためにならないと改めて思っていると思われます。続く「その娘は穏やかに生きたほうがよい」としみじみ言う言葉に道長の思いが端的に表れていますね。

 さて、明子は道長の漏らした本音には構わず、「この子らも「蒙求」を諳じることが出来るのでございますよ」と今度は息子たちの自慢を始めます。どうやら、明子の目的は子どもらを披露し、道長の心に止めてもらうことのようです。幼い今はともかく、やがては然るべき地位を息子に与えてもらうためです。
 目的だけであれば、兼家に「道綱、道綱」と吹き込んだ寧子に似ています。しかし、寧子のそれが夫の愛が離れたゆえの代償を含むものであったことに対し、こちらは嫡妻へのあからさまな対抗意識が大きいでしょう。赤子の姫の将来に関する話を見ても、嫡妻倫子の娘が入内したことに触発されていると思われます。


 ひたすら母の顔を窺い続けている息子たちは、明子に恐い顔で「さあ、父上の前で言ってごらんなさい」で促されると、慌てて「王戎簡要、裴楷清通…」とわけもわからないまま唱え始めます。一人満足げな明子ですが、彼女の子育てが等しく厳しく施されていることが窺えます。
 土御門殿の倫子の子どもたちが、それぞれ自分の好きなこと、興味のあることをのびのびとやりながら育っていることに対して、高松殿の子どもたちは母の顔色を窺い、窮屈な思いをしているようです。
 それにしても、明子の息子たちを見ていると、「蒙求」を諳じるばかりか、その解釈まで理解していた幼き日のまひろは相当優秀だったのですね。


 さて二人の子育ての違いは、性格の違いだけではなく、土御門殿の子どもらに負けないよう我が子を育てようという明子の対抗意識が反映されていることが大きいでしょう。道長は癒しを求め、明子に甘えていますが、そのことで明子は「私のが殿に愛されている」という自負を深めたのではないのでしょうか。
 さらに彼女は醍醐天皇の血縁。その血統ゆえに、明子女王は倫子に自分が負けるとは思えない。根本的に彼女は自らの血筋に強い誇りを抱いている人です。道長を慕う幸せになりをひそめていた気位の高さが、子どもの将来を考えるなかで表面化しつつあるのですね。

 とはいえ、その自信は、これほど自分が道長を慕い、尽くすのだから、彼は私に夢中であると信じるからこそです。疲労の色が濃い道長が、「今度ゆっくり聞かせてくれ父は疲れておるゆえ」と言われれば、直ぐ様子どもを下がらせ、子どもにこだわったことを詫びる気遣いを見せます。続けて「横になられませ」と言うのは、道長の健康を心配すると同時に、道長を癒せるのは私だけと思うからでしょう。道長への強い執着が窺えますね。

 「よい少しじっとしておれば収まる」と返した道長ですが、その疲労は既に身体を蝕み尽くしており、結局、倒れてしまいました。左大臣の自分が倒れたとなれば、内裏に動揺が走ります。帝の未熟が政を乱す今、これ以上の混乱は避けたい。おそらく道長は危篤に陥る前に、自身が倒れたことを外部に漏らさぬよう指示したようです。


 しかし、三日も高松殿に入り浸ったままでは、さすがに身内が怪しみます。「今宵も高松どのか?」と誰何し百舌鳥を「あ…いや…」とたじろがせる倫子からは嫉妬とは違う不審を抱いています。ですから「三日になるが内裏に参られてはいないのか?」と、政での不在を真剣に心配するのです。痩せてしまうほどの激務にある道長はただでさえ心配です。

 また、娘を政に差し出すほどに政に専念する彼が三日も出仕しないのは異常事態と考えるのが自然です。倫子は異常を感じ取るがゆえに百舌彦を詰問するのです。ただ、道長に忠実な彼は言い含められているのでしょう。しどろもどろになりながらも、答えを濁すしかありません。百舌彦が困り果てるなか、高松殿より道長危篤の報せが入ります。長きの危篤となれば、明子も倫子に伏せておくわけにはなくなったのです。


 本来、道長が高松殿で倒れるという失態を犯さなければ、倫子と明子は互いに自分の領分を侵すことなく、出会うことすらなかったでしょう。嫉妬心など複雑な思いを内心抱いていたとしても、それを相手にぶつける機会も必要もなく、棲み分けがなされていたのです。しかし、事ここに至っては、二人は顔を合わすより他ありません。懸命に看病の明子に「土御門北の方さまにございます」と倫子の来訪が告げられます。「来たか…」という覚悟を見せる明子の表情には、自陣に敵を招くような緊張が窺えます。

 しかし、部屋に現れた倫子は、心配しているとはいえ、明子に挨拶すらせず、眠り続ける道長の傍らへ座ります。すると、それまで明子が手を添えていた道長の手を、二人に割り込むようにすっと取ります。一連の流れは、嫡妻としてさも当たり前というようななめらかな動き。思わず、手を引いてしまった明子は、嫡妻の立場と貫禄に怯んでしまいました。
 一瞬のことですが、ヒリヒリした嫡妻VS妾妻(明子の一方的な対抗心ですが)はこれだけで勝負あり。終始、倫子優位で事は進みます。勿論、明子が一方的に対抗意識を燃やしているのであって、倫子のほうはさして気に留めていない…いや、そこが明子には気に食わないのですが。


 我が屋敷で倫子にアドバンテージを許した明子の心中は穏やかではないようで、倫子から見えない背後から彼女を睨むように見つめています。が、倫子は構わず「殿…殿…」と呼び掛けます。他の女が我が屋敷で愛しい人を見舞う姿は見ていられないのか、明子は目を逸らします。
 すると、今さら気づいたように倫子はようやく、わずかに顔を傾けると「お世話になります」と声をかけますが、顔は見ません。明子はさすがに愛想笑いを浮かべ「とんでもないことでございます。薬師の話では…」と話しかけますが、倫子は道長のみを見つめながら「薬師の話は今そこで聞きました。心の臓に乱れがあるそうですね」と彼女の話を遮ります。

 倫子の側にも多少、余裕がないことが窺えます。道長の危篤状態が心配で、心が乱れているということが第一ですが、もう一つは静かな嫉妬もあるでしょう。つまり、妾から倒れた夫の病状を聞くのは、彼女が看病をひけらかしているようで聞きたくないということです。自分が心理的に優位に立つことを潰された明子は、面白くなさそうに「はい…」とおとなしく答える他なくなります。

 愛しい道長に心配そうに顔を近づけた倫子は「殿…うちでお倒れになれば良いのに…」と、土御門殿であれば自身が献身的に看病するものを、という本音を漏らします。明子を見ようともしないところからして、彼女への牽制や挑発という意図は、この時点ではあまりないでしょう。ただ、その本音は、同時に自分と土御門殿であれば、この高松殿よりもっと確かな治療を施せるという自負も見え隠れしています。ですから、意図的な発言であろうとなかろうと、結果的に明子には挑発と受け取られる言葉になっています。

 そして、心配でたまらぬ様子を漂わせながらも、表情を改めると「でも大丈夫。貴方は死なないわ」と危篤状態の道長に励ましに似た言葉をかけます。ここにはさまざまな思いがあるでしょう。一つは、見舞った自分の想いが神仏に通じて、貴方を守るという願いです。
 そして、もう一つ、寧ろ、こちらが強いと思われますが、娘を入内させた道長の志はまだ道半ば、使命があるのだから死なないという夫の運と力を信じる思いです。彼女は、彼の政を物心両面で彼を支えてきましたから、信じる思いは強いのです。
 それは、長年、公私に渡りパートナーとして日々を過ごしてきた嫡妻だからこそのものでしょう。彼と苦楽を共にした日々だけは、一時的に渡るだけの妾や心のなかに生き続けるもう一人の女では敵わない。だからこそ、道長にかけたこの言葉は、夫の容態が不安でたまらない自分自身にも言い聞かせるものにもなっています。


 道長にかけるべき言葉をかけ、自分自身の心配も彼を信じることで一区切りつけた倫子は、落ち着きを取り戻したかのように「このようなご容態では、動かしてはよくないと存じます」と、初めて明子へ振り返ると、「どうぞ。我が夫をこちらで看病願いますね」と今度こそは、間違いなく明子を意識した牽制をかけます。つまり、意図的に、彼を「我が夫」と言い切ることで、道長はお前のものではないとマウントを取ったのです。明子側に立てば恐ろしい一撃を放った形ですが、倫子のほうは、道長への独占欲から放った言葉ではないでしょう。

 勿論、穏やかな性格の倫子も、道長を心から慕うだけに強い嫉妬心があります。当然、明子に対しても嫉妬を抱いていることは、これまでの様子からも察せられます。しかし、明子を見た今の倫子の眼差しにはそうした感情的なものは浮かんでいません。彼女にあるのは、夫が危篤のこの今、この状況をしっかり乗り切る女主人としての立場です。
 ですから、自分が看病したいという欲求や彼を想う感情よりも道長の病状に最善の手段を講じる冷静さ、一方で妾が図に乗らないよう釘を刺すこと(他の女性を監督すること)を同時に行い、それを明子に告げたのです。いかなるときも、嫡妻の役割としてしっかり務める気丈さと自覚が彼女の強さなのですね。

 嫡妻の貫禄を見せつけられ完敗の明子は、真顔のまま「承知いたしました」と答えますが、その目は敵意に満ちています。明子は、倫子とは対照的に喜怒哀楽が豊かな激しい性格です。倫子の言葉をあからさまな侮蔑と挑発と受け取ったのではないでしょうか。これまでは会う機会もありませんでしたし、道長も不用意に倫子の話を彼女の前で持ち出すことはしなかったでしょう。ですから、嫡妻への対抗意識は強くあっても、憎しみの対象として明確に像を結びはしなかったでしょう。

 しかし、こうして出会ったことで、明子にとって倫子は明確な敵として認識されたように思います。そもそも、家柄では倫子は宇多帝の曾孫、自身は醍醐帝の孫と引けを取ることはありません。こうして、会ってみれば、その女ぶりも決して自分を凌駕しているとも思えない。ただ、「家」が没落していただけのこと。風下に立つ謂われはない相手から嫡妻というだけで、苦言を呈され挑発を受けた。それは、気位の高い明子のプライドをいたく傷つけたでしょう。
 また、嫡妻である倫子に怯み、自ら道長に添えた手を引いてしまったことも、思わぬ行為とはいえ、彼女には屈辱的であったでしょう。この仕草は、明子の内にある引け目と小心のなせる業です。しかし、気位の高い彼女はその事実を認めることができません。こうした人は、その反動が怒りや恨みへと転じやすいものです。小心者ほど、過剰な反応を返しますから、かえって恐ろしいものです。


 このように並べると明子の逆恨みのようですが、倫子の側も決して明子に対して、無難な態度だったとは言えないことは押さえておきたいところです。高松殿に訪れてから、倫子は明子へ看病してくれたこと、連絡してくれたことへの感謝や労いの言葉をかけませんでした。それどころか、いくら道長のことで心乱れていたとはいえ、しばらく経つまで明子に一瞥もくれることもありませんでした。わざわざ、気位の高い明子のプライドを傷つけたようなものです。こうした倫子のミスも、明子の敵意に油を注ぐことになっているでしょう。
 無論、道長を想い、子を抱える今は、かつての兼家に対してのような生半の呪詛などはしないでしょう。その代わり、倫子の子どもに負けないよう息子たちの出世を道長に強く願うことが加速するだろうと思われます。道長への強い想い、家柄への執着、異常な気位の高さが、道長一家に不穏な空気をもたらしそうですね。嫡妻VS妾妻の争いは第一ラウンドが終わっただけ、実際は始まったばかりなのではないでしょうか。


(2)道長を死から救ったまひろへの想い

 視聴者のほうが冷や汗をかくような、倫子と明子の対決。危篤状態の道長に「おい、寝ている場合じゃねーよ。責任取れよ」とツッコミをいれたくなりますが、一方で心の臓が悪いという道長。偶然にも目が覚めて、二人の有様を見たら、今度こそ心労で逝ってしまいそう。やはり、危篤状態とはいえ、道長は目覚めていなくて正解だったかもしれません(苦笑)
 さて、明子女王が一方的に対抗意識を抱いたことで、道長の看病は、ヒリヒリしたものになり、視聴者には興味深いものでした。ただ、一方でその対立めいたものは空虚なものです。何故なら、当の道長の想いが彼女らには向いていないことです。

 危篤の道長の無事を祈るのは彼女らだけではありません。宣孝からその報せを受けたまひろがいます。宣孝は告げることだけ告げると、その場を去っていきましたが、おそらくは彼女が一人、思い悩むことだろうと、そっとしておく配慮だったのでしょう。
 そして、そのとおりにまひろは、娘を寝かしつけた後、一人縁側に佇みます。普段ならば夜空の月を見上げる彼女ですが、愛する人に迫る死を思う今の心境は、彼女をうつむかせます。その眼差しの先にあるのは、水に映る満月です。言うなれば、手に届きそうで届かない道長への想いを象徴するものでしょう。

 宣孝に言うように彼女にできることは、何もありません。かつて、疫病にかかった自分を一晩かけて看病してくれた道長のようなことも不可能です。彼は、今のまひろにとって、あまりに遠くにあります。その無力感、そして彼を永遠に失うかもしれないという哀しみと不安と後悔は、虚ろな彼女の顔に涙の筋を作っていきます。

 そして、ただ一言、「行かないで…!」と心で静かに、とても静かに絶叫します。「死なないで」ではなく、「行かないで」だというのが興味深いですね。彼女にとって道長は物理的に共に過ごすことはなくても、魂だけはいつも寄り添っている、そういう人なのでしょう。だから、私を「置いて行かないで」と願うのではないでしょうか。
 通じ合い響き合える魂の伴侶の存在を感じない人生は侘しいでしょう。また、二人が約束した志の道を独りで歩むのは辛いでしょう。彼女は、道長がいなくなったときどうなってしまうのか、まったく想像できないのです。おそらく彼を求めて彷徨するのでしょう。その面でもやはり「行かないで」の言葉になるでしょうね。そして、その涙は月の映る水面へ落ち、波紋を広げていきます。


 その落涙の音が聞こえたのか、道長は夢のなかで目を覚まします。半身を臥所から起こした彼は、周りを包む眩しいまでの光に圧倒され、訝しみます。光の先に何があるかもわかりません。不思議そうな顔をした彼は、そのまま再度、眠ろうとします。そのとき、彼の手をつかむ手、「戻ってきて」の声、思わず見ると、そこにはいつも心で求めている彼女の顔があります。驚きのあまり、呟きます。「まひろ…」と。
 こうして彼は死出の淵から目を覚まします。まひろと道長の魂が通じ合っているから起きた奇跡のような演出ですが、すべてのなくなった彼の心中において、それでもまひろへの強い想いだけは残っているということではないでしょうか。まあ、オカルトは晴明だけの独壇場でよいかもしれません。

 道長は、まひろとの約束を叶えようと粉骨砕身しています。その結果、ときに己の信念を曲げ、娘を犠牲にし、政の負の結果を引き受ける。そして度重なる激務。それらは、道長の心身を蝕み、今回のような事態を招いたと言えるでしょう。道長が、石山寺で「まひろに試されておるような気がする」とうそぶいたのも、あながち間違いではないのかもしれません。彼は、まひろへの強すぎる想いで、自身を疲労困憊にしてしまったのでしょう。
 しかし、その一方で、彼を現実に、生きる方向へいざない、引き戻すのもまた、まひろへの強すぎる想いなのです。彼にとっての「忘れえぬ人」は、いつだって彼の心に住み続けているのですね。それが幸せなのか、皮肉なことなのか、不幸せなのか…現時点ではわかりません。これからの道長とまひろの関係の行く末次第でしょう。


 さて、目を覚ましたのは、勿論、まひろのもとではなく高松殿です。道長の目に最初に入ったのは、心配そうに、そして目を覚ましたことに安堵する明子の顔です。心からよかったと思う顔は嘘ではありませんが、直後、すがりつくときに「殿…明子にございます。ようございました」というのが、恐いですね。
 殿を助けたのは、殿を守ったのは私ですとすかさず自己アピールしてしまうのは、余程に倫子に圧倒されたことが頭をよぎっているからでしょう。心のどこかで「勝てない」と感じたことが、反動として自分の価値と意味と慕う気持ちのアピールになっているのです。不遇の半生を送った彼女の本当の性格は弱さなのでしょう。その弱さを隠すために、兼家を呪い、道長へ執着し、倫子へ対抗意識を燃やすのかもしれません。

 また、この場面は、もう一つの可能性も見え隠れします。彼は目覚めるとき、「まひろ…」と言ってしまいました。それが、彼の脳内だけであったのであればよいのですが、寝言として漏れていたとしたら…「殿…明子にございます」は別の意味を帯びてきます。倫子以外の他の女の存在を嗅ぎ取ったそれは、「あなたは私のもの、誰にも渡さない」ということになるでしょう。それは、それで狂気じみた強すぎる道長への想いということで面白いですね←
 もっとも、まひろには遠からずピンチが訪れそうになってしまいますが。因みに倫子に聞かれるパターンだった場合は、もっとダイレクトに騒動になりそうです。道長…迂闊だぞ(笑)


 やがて本復した彼は、土御門殿へと戻ります。出迎えたのは、彼の家族一同。揃って出迎えた家族を見て、道長は何とも言えない表情を浮かべます。まひろの想いはあれども、彼が守るべきものが、その目の前にいるのです。そのことを改めて自覚させられたのかもしれません。一同を代表して「ご快癒祝着にございます」という倫子の言葉に「皆にもいたく心配をかけた」と声をかけたのは、守るべき家族をどこかで見ていなかったことに気づいたからかもしれません。
 すると、倫子は気丈にも「私どもはなにもしておりません」と、気にかける必要はないと答えます。殊更、自分を主張もせず、看病の手柄は明子にあることも認め、そして、何より道長の心の負担にならないように心がける…嫡妻としての彼女のできた振る舞いには頭が下がりますね。たとえ、実家が没落していなかったとしても明子では敵わないでしょう。
 そして、倫子は「でも必ずお帰りになると信じておりました」と夫を見つめます。あなたはあなたの強運で戻ってきた、使命を果たしましょうという励ましの言葉です。しかし、その目には涙が溜まっています。高松殿ゆえに看病もままならない倫子が、本当はどれほど心配し、不安を覚えていたか、信じていても愛していれば不安になるのが当たり前ですからね。その涙こそが、彼への愛情であり、本音でしょう。道長は、ささやかな笑顔で「ん」と頷くしかありません。

 道長は、まひろへの強すぎる想いだけでなく、現実の妻と家族にもう少し目を向けたほうが、バランスが取れるような気がします。そんな糸口を感じさせる場面です。道長がそれをどこまで自覚しているかが問題ですが。


4.光る君、定子が失われて

(1)定子にすがる帝と皇后として自覚する定子

 一帝二后という政治イベントの一番の主役は彰子のはずです。その瀟洒な儀式とは裏腹に彼女自身はただ流されるままその装束と地位をお仕着せられたに過ぎません。自分の本心を曲げた帝もまた主役足り得ません。そして、儀式に参加することも出来ず皇后へ昇格した三人目の主役、定子に至っては腫れ物扱いでした。

 立后の儀が行われる前、日中、定子と皇子らを内裏に呼び寄せたのは、帝からすれば、せめてもの抵抗の意思であり、定子への謝罪、そして彼らへの愛情表現です。しかし「彰子が立后の儀のため、一旦、退出した翌日、一条帝は定子と皇子たちを内裏に呼んだ」とのナレーションがわざわざ挿入されたように、それは彰子と入れ替わる形でした。つまり、帝の人目を憚りながらめあからさまな周囲への当て擦りは、かえって彰子を光、定子を影として際立たせたと言えるでしょう。


 皇子らを連れて、久々に内裏の渡りをしずしずと進む定子へ、宮中の女房たちは「どういうおつもりで内裏にいらしたの」「サイテー」「帝が敦康さまのお顔をご覧になりたかったのよ」「どの面さげて…」と遠慮のない、これ見よがしの辛辣な言葉を浴びせます。相変わらず、御簾越しのヒソヒソ話にしながらも、相手の耳には届くように話すのが、女の世界の恐さというものでしょうか。
 かつて、父道隆の暴政ゆえに陰口を叩かれたときは、父の権力、母の機転、兄弟の協力によって定子は守られ、また事態にも対抗策を講じられました。しかし、今の定子には何一つ後ろ楯はありません。女房たちの悪口雑言もただ聞き流す他ありません。定子にとって内裏入りすることは晴れがましいものではなく、針の筵(むしろ)のなかにいるような気鬱なものだと察せられます。


 ですから、我が子と共に帝と対面を果たし、泣く皇子(敦康親王)を帝にあやしてもらう一家団欒のなかにあって、定子は笑顔を浮かべるものの、そこには心からの晴れやかさはありません。不安と紙一重の微妙な幸薄い愛想笑いなのですね。
 閨に入り、帝と二人きりになると、定子の顔からは笑顔が消えてしまいます。昼間、我が身の今の境遇を思い知らされれば、暗い顔にならざるを得ません。そして、この境遇を招いたのは、激情に駈られて勝手な落飾をした自分自身なのです。

 定子のを彰子立后の憂鬱と見た帝は「后を二人にすること…許せ」と詫びます。ただ、そのことが定子の憂いの直接原因ではありませんから、定子は真顔のまま、自身の思いに囚われています。定子の様子に再度「すまぬ」と詫びる帝ですが、定子は「私こそお上に謝らねばなりません」と意外なことを言い始めます。ここからカメラは二人を真横からミドルショットで捉えますが、これは二人の関係が対等であり、帝が定子を守るというものではないことを象徴していると思われます。


 「父が死に、母が死に、兄と弟が身を貶すなか、私は我が家のことばかり考えておりました。お上のお苦しみよりも、己の苦しみに心が囚われておりました」と定子は淡々と自らの罪を語ります。この言葉に偽りはないでしょう。例えば、かの落飾は最たるところで、その行為が帝をどれほど苦しめるかは思い至らず、また帝の定子への想いを信じ切れず、ただただ我が身の境遇を儚み、将来に絶望しただけです。
 また、その後もひたすらに死のうと思った彼女は、清少納言がいなければ生きようとすらしなかった。このことは暗闇に囚われた彼女が、帝の現状を思い浮かべなかったことを意味しています。愛する人すら忘れ、自分の内側へと籠ってしまいました。


 思えば、長徳の変以降、定子が帝の寵を受けることに対して、嬉しく思いながら一歩引いたところがあったのは、帝よりも我が「家」のことを優先してしまったことへの後ろめたさ…これも原因の一つだったのかもしれませんね。

 ただ、定子が、帝への愛よりも我が家の命運に囚われたことはあまり責められないとも思われます。定子は、物心ついたときから、入内するために中関白家で育てられ、入内後も我が家の庇護にありました。帝を慕う自然な気持ちもその環境下であればこそ幸せに直結したのです。つまり彼女は我が「家」の価値観のなかでの生き方しか知らなかったのです。ですから、父の死、兄弟の失脚は、彼女の生きる基盤(物理的にも精神的にも)を大きく揺るがすものになり、彼女を絶望のどん底へと追いやったのです。

 このように出家に到る定子の言動は、心情的には致し方なかった面があります。しかし、その一方で短慮が招いた事態の重さは、同情で帳消しになるものではないでしょう。
 帝の政を陰ながら支えねばならない中宮でありながら、帝を落胆させ、政を忌避する厭世的気分にさせました。聡明さで期待された帝は公卿らに呆れられる暗愚となっていきます。そして、悪循環に陥る彼は、ますます定子にのめり込みますが、その結果、政は滞り、天災による多くの死者を生みます。その報告と辞意を表明した道長の姿に、己の罪を痛感した定子の様子も記憶にあるところですね。


 ですから、うつむき加減で自らの罪を今さらに帝に語る定子には、彰子入内を機にこの悪循環を断ち切らねばならないという苦しい胸中が窺えます。後ろ指のなさから帝にすがり、帝のためにならぬことを延々と重ねてきたことへの慚愧が、「どうか、私のことは気になさらず、彰子さまを中宮となさいませ。さすれば、お上の立場も磐石となりましょう」と罪滅ぼしの言葉となります。
 無論、ここにあるのは、帝への愛情と後悔だけではありません。一つは我が子の将来を案ずるからです。道長の権勢や時流に逆らわないことも、子どもたちが安心して生きる道です。その程度の打算は許されるでしょう。そして、もう一つ、自分と同じく我が「家」のために幼くして入内した彰子への憐憫があるのでしょう。兄曰くうつけが事実ならば、尚更です。


 定子の言葉を受けた帝は、彼女の肩から右腕を落とすと、落胆したように「そなた…朕を愛おしく思うておらなかったのか?」と、彼女の言葉をただ額面どおりに受け止め哀しげな表情をします。一条帝こそ、己の定子への想いに囚われ、彼女が何に悩み、どんな覚悟を持って、この告白をしたのか、その真意を見ようとしません。悪い意味で愛は盲目になっています。
 クローズアップされた帝を見返す定子の目は見開かれています。帝への後ろめたさを抱く定子は帝を改めて傷つけたことにわずか狼狽えてしまうのでしょう。震える声で「お慕いしております」と、彼を落ち着かせようとした上で「ですが、そもそも、私は家のために入内した身にございます。彰子さまと変わりませぬ」と再度、一線を引くよう説きます。

 しかし、帝は「これまでのことはすべて偽りであったのか…」とそのことばかりです。定子は言葉に詰まったように答えられません。一つには偽りの面もあったからです。こうした形の婚姻では、詮子のように一目惚れでもしない限り、最初から慕うことはないでしょう。幼い彼と日々を共に過ごし、成長していくなかで彼への真心は形になり、深まっていったのだと思われます。嘘から出た真…そんな純愛とてあるのではないでしょうか。
 そして、そんな真心ゆえに帝のため、二人のため、我が子のために、彼を正道に戻すべく、彰子立后を推さねばならないのが定子の苦しい心境です。ですから、帝の「偽りか?」の問いに肯定することも否定することもできません。

 ここでようやく、自身が定子を問い詰め、追い詰めていることに気づいたのか、帝は定子を抱き寄せると「偽りでもかまわぬ。朕はそなたを離さぬ」と力を込めます。前回note記事でも触れたように、帝にとって定子とは単なる想い人ではありません。恋人でもあり、母でもあり、姉でもある伴侶…彼のすべてなのです。
 彼女が傍らに居続け、彼がひたすら彼女を思うことだけが、彼の真実。定子が自分をどう思おうと、それだけは変わらない…その万感が「離さぬ」という一見、ワガママにしか聞こえない言葉に込められています。謂わば、一条帝にとって、定子こそが光…「光る君」なのでしょう。

 そんな帝の熱い想いが、定子に届かないはずはありません。彼女にとっても帝は唯一無二の殿御「光る君」です。でなければ、こんなに苦しむことはなく、またこのような辛い告白で他の女の立后を推しはしません。自分に真っ直ぐに向けられた帝の想いに定子もまた押し隠す帝への愛情を刺激されてしまいます。「…お上…」と泣きながら、抱き返してしまいます。
 「人の思いと行いは裏腹にございます」と、こうした発言をする自身の苦しい胸の内を理解してくれるよう訴えつつ、なおも「彰子さまとて見えておるものだけがすべてではございません」と述べます。自分への愛に目を曇らさず、真っ直ぐに彰子の人柄を見極めるように諭すのです。

 入内してくる女たちの喜びも苦しみも哀しみも余すことなく知る定子は、後宮に生きる彼女らを救うのは帝の心映え次第であることをわかっているのでしょう。奇しくも、行成の「帝が、下々の者と同じ心持ちで妻を思うことなぞ、あってはなりませぬ」との説得の言葉にも呼応していますね。行成は政として、定子は女の立場から帝のありうべき姿を説いています。また、後宮に来た彰子が、いかに不安や戸惑いを抱えているのかも彼女が一番、理解していると思われます。彼女の言葉は、入内する女たちすべての思いを代弁するものとなっているのでしょう。

 帝は抱きしめながら、定子に横目を流しつつ、その話を聞いて何を思ったでしょうか。定子を苦しめていることは感じたでしょうが、彰子には何か思ったでしょうか。あるいは以前より一条帝の女御である義子、元子に哀しませていることに気づいたでしょうか。そして、定子が語る入内する女たちの哀しい立場と思いは、母である詮子も同じであることに思いを馳せられたでしょうか。その哀しみを、帝はより深く抉っています。


 定子は、帝から身体を離すと「どうか、彰子さまとご一緒のときは、私のことは、お考えになりませぬよう、どうか…」と泣きながら懇願します。帝を支えるため苦言を呈する哀しみ、ただ帝に愛されたいという本音を抑える苦しさ、帝の強すぎる想いに答えられない辛さ、そうしたものがない交ぜになった涙でしょう。定子は、このような事態に追い込まれるなかで、帝を、内裏を、政を俯瞰して見られるようになったと言えるかもしれません。

 帝は定子の懇願に悩みつつ、そしてそれを受け入れる他ないことを察しながらも、それゆえに今、この場は定子への強いに自らを委ねます。そして、遂には定子も帝の想いに答えます。こうして、彼女は立て続けの形で、その年の三月、身体を休める暇もなく三度の懐妊となります。


(2)清少納言の献身の行方

 この三度目の懐妊について、「栄花物語」では、定子は「それをうれしと思ふべきにもはべらず。今年は人の慎むべき年にもあり、宿曜などにも心細くのみ言ひてはべれば、なほいとこそ、さあらむにつけても心細かるべけれ」と不安を口にしたと言われています。

 言葉を意訳すると「懐妊を嬉しいとも思うはずでもございません。今年は人が自粛しなければならない年でもあり、宿曜などにもひたすら心細く言っておりますので、やはりたいへん、妊娠するというようなことに関しても心細いに違いない」となります。「栄花物語」が道長寄りの記述であることを差し引いても、定子がこの妊娠を不安に思っていたことが窺えます。前の二人の妊娠とは違う何かを、定子は感じ取っていたのかもしれません。


 その年の端午の節句、暑さもあるのでしょう、体調が思わしくない定子です。その世話をする清少納言は、彼女の疲れなど様子を窺いながら、そっと菓子を差し出します。質問する定子に少納言は「節句の頂きもので青ざしという麦のお菓子でございます。これならば少しは召し上がれるかと思いまして…」と控えめに気遣うように答えます。食欲のない自分にタイミングを見計らって差し出す如才ない少納言に、定子は思わず微笑み礼を言うと「そなたはいつも気が利くこと」と褒めそやし、菓子を乗せた紙を切って和歌を書き付け、彼女に下賜します。

  みな人の花や蝶やといそぐ日も わが心をば君ぞ知りける」(意訳:みん  
  なが花や蝶やと賑わっている日も、私の心を知っているのは、そなただ 
  けである)

自分を思って詠んでくれた和歌を吟じながら、その最大限の賛辞への嬉しさ、そして和歌に込められた彼女の正直な弱音を察して、途中から涙ぐむ少納言。この日、宮中では「菖蒲の節句」を晴れやかに行われています。参列する公卿の中には左大臣道長、そして帝の隣には中宮彰子が鎮座しているでしょう。ですから、「みな人の花や蝶やといそぐ日」なのです。そして、そのような華やかな日、彼女の住まう平生昌屋敷改め三条宮には誰も訪れることなく、閑散としています。皆、時の権力者道長の顔色を窺っているからです。


 つまり、道長の一帝二后の策は一定の成功を収め、既に定子と彰子の立場は逆転している、この年の「菖蒲の節句」は、そのことを象徴しています。こうなることをわかった上で定子は、彰子の立后を推したのですが、元々、華やいだことの好きだった定子です。ここまで人に顧みられない侘しさ、人の情の無さへの寂しさは一塩だったでしょう。まして、懐妊に不安を感じている今、それを紛らしたかったはずです。少納言の気配りは、そうした定子の気鬱も引き取っており、また、定子は少納言には素直にそれを明かせるのです。

 和歌に込められた自身の思い…それを少納言が感得していることは、彼女の涙ぐむ表情を見れば、わかります。少納言が定子を察するように、定子もまた少納言のことがわかります。定子は微笑みながら「そなただけだ、私の思いを知ってくれているのは」としみじみとそして率直に語ります。

 以前のnote記事の繰り返しになりますが、帝は愛しき人なれど、彼は強すぎる想いゆえに定子を理解できません。野心に逸る兄もマイペースな弟も、彼女のナイーブな心情を察することができません。生きる気力を失った最悪の時期に真心を尽くしてくれ、今また誰も見向きもしない時勢となっても傍らに控えてくれる少納言だけが、安心して胸襟を開けられる相手です。


 定子の自分を思う気持ちに嬉しくなりつつも「長いことお仕えしておりますゆえ」と謙虚に答える少納言…その受け答えの一々が定子には心地好い。自然と「いつまでも私の傍にいておくれ」との言葉が口をついて出ます。それが言えるほどに共に過ごすことが当たり前になり、少納言といることが定子の安心なのですね。定子は、ドン底に陥ったときは、傍に仕えることを拒絶しましたが、少納言の真摯な想いは定子に穏やかな幸せを与えた。少納言の努力の賜物でしょう。

 主の思わぬ願いに「私こそ…」で一旦、軽く息を飲んだのは、その悦びに胸をつまらせたからでしょうか。「末長く傍に置いていただきたいといつもいつも念じております」と心からの言葉を尽くします。すると、悪戯っぽく笑った定子、「そなたの恩に報いたいと、私もいつもいつも思っておる」と彼女の「いつもいつも」に被せた冗談を言います。ここで、少納言は定子の冗談混じりの返答が、二人の思い出の和歌をかけたものであることに気づきます。

 それは「枕草子」の「清涼殿の丑寅の隅の」の段に描かれています。

 あるとき、定子は女房たちに紙を渡し、思いついた古歌を記せというお題を出します。慌てた少納言は、悩んだ末、前の場面で衛門が彰子に教えていた「古今和歌集」の良房の和歌「年ふれば よはひは老いぬ しかはあれど 花をしみれば もの思ひもなし」を、一文字だけ替え「年ふれば よはひは老いぬ しかはあれど 君をしみれば もの思ひもなし(意訳:年月が過ぎてしまい、私は老いてしまいました。しかしながら中宮さまを見ていると、何の物想いもごさいません)」と書き付けました。

 定子がこのようなお題を出したのは、女房たちの本音を知るためです。人は慌てたときほど本性が出るもの。遊びに見せかけた心理テストだったのです。少納言は、ただ古歌を記さず、それを使って、自らの中宮への忠誠心を歌い上げました。機転と心映え、その双方で定子の期待に応え、感心させたのです。

 さて、定子が少納言に感心したのは、彼女の才覚だけではありませんでした。少納言と同じことを、父道隆が円融院にしていたからです。円融院も定子と同じお題を出しました。そのとき、道隆が、引用した和歌が「しほの満つ いつもの浦の いつもいつも 君をばふかく 思ふはやわが(意訳:潮が満ちるいつもの浦のように、いつもいつもあなたを深く想っているのは私です)」…「いつもいつも」の和歌です。
 道隆は、詠み人も出典も不明とされるこの「いつもいつも」和歌の「思ふ」を「頼む」に替え、「しほの満つ いつもの浦の いつもいつも 君をばふかく 頼むはやわが(意訳:潮が満ちるいつもの浦のように、いつもいつもお上を深く頼りとするのは私です)」と詠み、円融院を称えたのです。

 つまり、少納言は期せずして、定子の父をもリスペクトするようなことをしてのけたのですね。この奇妙な符号は、定子を驚かせ、いたく感動させ、少納言への信頼を深めました。このエピソードは二人の絆を固めたものとして知られているのです。

 そして、今、定子と少納言は、二人そろって、その大切な楽しかった思い出を思い返しているのです。ですから、二人は顔を見合わせ、「いつもいつも」ハモると、声を出して朗らかに笑います。思えば、定子は元々、こうした粋な諧謔も好む人でした。入内前は兄の恋文をからかっていましたし、入内した日も緊張する一条帝を変顔で和ませていました。今や少納言の前だけで見せる朗らかさが、彼女の本性です。この笑顔を消してしまったのは、誰なのか。このことです。

 ひとしきり笑うと定子は「少納言と話していたら、力が出てきた。青ざし、いただいてみる」と彼女の心遣いに応えようと青ざしを一口、口にします。お口に合うかしら、無理をなさっていないかしら、と心配そうな顔つきの少納言ですが、定子の「美味しい…」の一言にぱあっと世にも幸せそうな顔になります。この正直さが、少納言のよいところですね。その表情に相好を崩した定子は、優しげな眼差しを前へ向けます。そこには、乳母らにあやされ、楽しげにしている我が子たちがいます。

 次のカットでカメラは、定子と少納言を斜め後方から映し、定子の眼差しの先にいる子らも含めた遠景を捉えます。ソウルメイトとも言える親友、少納言と気の置けない会話を楽しみ、我が子の成長を見守る、この初夏の穏やかな日こそが、定子の求めたささやかな幸せだった。それを印象付けるカットです。そこには政も争いも無用な哀しみも苦しみもありません。


 こうして、その年の暮れ、定子は産後の容態、芳しくなく逝去します。前段のシーンから唐突にその死が描かれたように見えますが、実は「枕草子」における定子の記述は、先の端午の節句での様子が最後なのです。その後、死に至るまでのくだくだしたことは一切書かれていません。定子との美しい思い出、光り輝いていた姿だけが「枕草子」には封じ込められているのです。
 謂わば、清少納言にとってもまた、定子は「光る君」だったのでしょう。ドラマのストーリーと演出は、「枕草子」とそれを記した清少納言の想いに最大限の敬意を払い、このような展開にしたのですね。「光る君へ」では、「枕草子」の描写を再現するリスペクトが多くありましたが、ここでもまた粋な計らいをしたと言えるでしょう。


 さて、その死は、呆然とした様子の清少納言により隣室で控えていた伊周に伝えられます。触穢を気にして、死には近づかないのが貴族の本分ですが、伊周は定子の遺骸に滂沱の涙を流し、すがりつきます。正直、伊周の定子に対する態度は、その自己愛と自尊心の強さもあって、野心ばかり先立つ強権的なものが多く、感心しないのですが、妹を失った哀しみは、母を失ったときと同じく正直なものであろうことが窺えます。入内前は仲の良い兄妹でしたし、定子は兄を気にかけていましたから。

 定子の遺骸で泣きすがる伊周を立って見つめていた少納言は、その死を改めて実感したのか、一筋の涙を零します。ふと目の前の御帳台の帷子の紐に文が括りつけてあることに気づきます。そこには、誰に当てたか辞世の句「よもすがら 契りしことを 忘れずば 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき(意訳:一晩中契りを交わしたことをお忘れでないなら、私の死んだ後、あなたは泣いてくれるでしょう。その涙の色が知りたい)」というものです。

 この和歌がいつ詠まれたものかはわかりません。しかし、あれほど三度目の懐妊を不安に思い、夏場に体調を崩していた定子です。随分前から、自分の運命を覚悟していたと思われる。そういう一首です。もしも、端午の節句のあの日、自身の運命を悟りながら、それでも少納言に「いつまでも私の傍にいておくれ」と言ったのだとしたら…切ないですね。


 一条帝との契りが記されていますが、彼が泣いた涙の色を知りたいという言い方に彼女の詩心とこの世への未練が窺えます。「栄花物語」によれば、御帳台の帷子の紐にあった和歌は他にも二首ありますが、帝や子らを残していく心細さなどが詠まれています。

 ところで、この辞世の和歌を見つけたのは「栄華物語」では伊周と隆家なのですが、本作では少納言に変えられています。立った少納言の目線に止まる位置に文を括ってあったことから、和歌の内容こそ帝を慕う気持ちが詠まれていますが、実は和歌そのものは少納言に宛てたものだったかもしれません。何故なら、「そなただけだ、私の思いを知ってくれているのは」だから。少納言にだけ、帝への想いを伝えておきたかったのかもしれませんね。


 しかし、さすがの少納言も哀しみに暮れるあまり、その和歌を伊周にも見せます。ただでさえ感情的になっている伊周は、帝へのせつない想いを知り、さらに絶望します。そして…「こんなにも哀しい歌を…すべて、あいつのせいだ!」と叫びます。定子を失った哀しみ、彼女の秘めた帝への想いに放心状態の少納言は、機械的に「あいつ?」と聞き返します。

 伊周は「左大臣だ!」と絶叫すると、憎々しげに恨みを募らせると「左大臣が大事にしているものを、これから俺がことごとく奪ってやる!」と復讐を誓います。伊周の思考は、ドン底に陥った経験をもってしても、短絡的で変わりません。そもそも、彼は、道長が内覧の座に就いたのは、姉詮子を道長が利用したからだと勘違いしていました。おそらく「長徳の変」も自分たちをこのような目に合わせたのは道長だと信じているのでしょう。


 しかし、定子を最初に追い詰めたのは、中関白家の栄華ばかりを唱えて「皇子を産め」と強要し責め立てた父、道隆と伊周自身です。そこには、妹を思う気持ちはなく、ただただ中関白家という「家」への強い執着心しかありませんでした。その執着心が他人様への横柄な態度として嫌われ、人望を失いました。「長徳の変」にきっかけとなった花山院闘乱事件も、つまるところ自身の出世が思うままにならぬ鬱屈に端を発しています。

 「長徳の変」自体は、それを利用しようとした(道長以外の)他者の野心と暗躍がありましたが、それを招き入れたこと、誰も庇わなかったことは伊周自身の招いたこと。結局、自業自得です。その不徳が、中関白家の凋落へとつながり、深く傷つき、心理的に追い詰められた定子が落飾の暴挙をしでかすことになるのです。つまりは、定子をこうした立場に追い込んだ遠因は、伊周自身にあり、道長のせいにするなどお門違い、逆恨みです。彼は野心という執着で、物事がまるで見えないのですね。

 分不相応な野心をいつまでも抱き、失敗と向き合うこともせず、他人へと責任転嫁する…伊周はあれだけの挫折を味わいながら、何も変わっていないのです。そんな様子を部屋の外の渡りで聞いていた弟の隆家は、付き合いきれないとばかりにそっとその場を後にします。時勢は道長にあると読み、道長に急接近、政に参加しようと前向きな彼からすれば、兄のお門違いの復讐心など迷惑なだけでしょう。

 また、定子は息子、敦康親王を遺しています。叔父である伊周は、地道に務め続けていれば、復権の機会はまだあるのです。冷静に考えれば、道長への復讐心にかまけている場合ではないはずです。それでも、道長への復讐に凝り固まるのは、彼は失われた中関白家へ未だ執着しているからでしょう。彼もまたその強い執着心で、自身の未来を捻じ曲げていくようです。


 気掛かりなのは、伊周の主張を呆然と聞いている清少納言です。自分のやりたいことがはっきりしており、時勢に合わせる柔軟性を持つ隆家は、伊周の妄言にも等しい復讐心から離れていきました。少納言は、どうでしょうか。定子が存命であれば、伊周の妄言は愚かな執着心とバッサリでしょう。実際、かつての権勢を取り戻そうと躍起になってばかりの伊周の様子に眉をひそめ、牽制したぐらいでした(第26回)。

 しかし、今の少納言は、光る君定子を失い、その心には大きな穴が開いています。今の彼女には生きる目標も生き甲斐もありません。何かでそれを埋めなければ、心が壊れてしまいそうなのではないでしょうか。そうなると、「左大臣のせいで定子は不幸になったから復讐しよう」という言葉は、甘い囁きになるかもしれません。誰からの援助も受けられず、苦労しながら定子の世話を続けてきた少納言からすれば、伊周の主張に符号してしまう部分もあると思われます。現に彼女は、伊周の妄言を突っぱねようとはしていません。


 したがって、今後、何らかの形で伊周の復讐心に加担する可能性があります。少納言の定子への強すぎる想いは定子を救い、定子の晩年を心穏やかなものにしました。しかし、その定子、光を失ってしまった少納言は、その想いの行く先を失い彷徨するしかありません。そこを伊周につけ込まれかねないと思われます。

 そして同じことになりそうなのが、定子の死を知り、むせび泣き嗚咽を漏らす一条帝です。彼は、彼を唯一、彼の思うように慈しんでくれる存在を失い、宮中、いやこの世ですがるものを失いました。その喪失感と孤独感を伊周に利用されないとは限りません。彼もまた、定子への強すぎる想いゆえに、彷徨せざるを得ず、道を曲げてしまいかねない危険を孕んでいるのですね。



おわりに

 結局、一条帝の定子への過ぎた寵愛は、彼女自身の立場をひたすらに悪くし、また立て続けの懐妊で身体へ負担をかけただけでした。彼女の彼を慕う優しさにつけ込んだと言ってもよいでしょう。謂わば、彼女が心身ともに疲弊し、若くして亡くなったことは、一条帝の強すぎる情念が招いたことだと言えるでしょう。
 勿論、彼女にまったく問題なかったわけではありません。しかし、帝がもう少し、自分の激情と孤独感を定子に押し付けるのではなく、彼女の気持ちに寄り添い、願いを叶えようとしていたら、こうはならなかったように思われます。帝と定子の関係は、純愛ではあっても、それは帝からの一方的なものであったのです。

 このように考えて見ると、惟規の乳母いとがまひろに言った「思いをいただくばかり、己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えませぬ」という助言は、いたく至言ですね。
 まひろと宣孝の夫婦の顛末を見ていると、いとのこの言葉は段階を踏んで深化していったように見えます。そのなかで相手の真心を知り、ありのままを受け止め、譲り合うことを彼らは覚えていきました。その結果、相手の側に立つ思い遣りによる信頼関係を築けたと言えるでしょう。つまり、強すぎる想いをコントロールするのは、相手の側に立つような思い遣りなのかもしれませんね。

 ともあれ、定子の死は、残された人々の情念を昇華するのではなく、くすぶらせることとなりました。謂わば、定子を巡る人々の強すぎる情念は、新たな火種をなっていくのです。道長とまひろは、その渦中に飛び込まざるを得なくなるのでしょう。


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