舟山 華織

教育分野で名の知れた国立大学で学生しています。 のんびり更新しています。 先祖が東北な…

舟山 華織

教育分野で名の知れた国立大学で学生しています。 のんびり更新しています。 先祖が東北なのが影響しているのか、暑さに弱く、寒さに強いタイプです。 毎年、夏から秋はちょっとした命のやり取りゾーンになっています。 よろしくお願いします。

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  • 歴史から学べる教養 まとめ

    日本の歴史を中心に、教養が身につく素敵なお話をまとめています。

  • 戦時のお手紙 まとめ

    世界が戦火に巻き込まれた時代、日本を守り抜いてくれた英霊たちのお手紙をまとめています。

最近の記事

川で溺れかかった敵兵を救う

楠正行は、南北朝時代の武将です。 父・正成とともに、智将として南朝の後醍醐天皇をよく扶けましたが、その正行が、北朝側の足利尊氏と安倍川沿いで戦った時のことです。 足利軍一万は、安倍川沿いに楠軍を求めて連日、行軍を続けていました。 その日は、 朝から霙が降り、そのうえ強い風もあって、足利軍の足並みは乱れがちとなっていました。 楠軍はどこから襲って来るかわからない・・・ 先を行く兵士たちはぬかるむ川沿いを用心深く進みますが、後続は多少の気楽さもあって「早く行け、早く行け」とばか

    • 海軍上等水兵 吉田 勝

      昭和19年8月10日 マリアナ諸島方面にて戦死 東京都北区田端出身 36歳 明子ちゃん、大変におりこうさんに、なったそうですね。 お父さんは、よろこんでいます。 よく通子とも遊んでやるとの事。 おぢいさん、おばあさん、お母さんの云うことをよくきいて、ますます良い子になって下さい。 お父さんも、ここから元気に、へいたいさんになって、見ています。 塗絵たいへんよくできました。 もっともっとかいて、なにかひとりで、かいて下さい。 自分のなまえかけますか。 まだむりですか。

      • 海軍大尉 須賀 芳宗

        神風特別攻撃隊 第一正気隊 昭和20年4月28日 沖縄沖にて戦死 東京都台東区出身 26歳 昨日、今日と隊の桜も満開です。 この桜ほど美しい桜を私は未だ見た事がありません。 きっとこれも見る者の心のせいでしょう。 皆さんの去った隊内にこの綺麗な桜に囲まれていささか感傷に溺れました。 それは決して淋しい物悲しいホームシックではないことは断言できます。 恵まれた両親にかこまれて温かい家庭に幸福に溢れて育った小生が学生時代から愛し続けて来た飛行機で勇躍征途にのぼる、実に恵まれ

        • 町人への情け深い計らい

          老中の戸田忠昌が、御用部屋で執務をしていた時のお話です。 「大変です! 車力が制札を!」 忠昌の用人が息せき切って御用部屋に飛び込んで来ました。 聞くと、庭師に命じられて大石を運んでいた車力(運送業者)が、大手前で誤って石を車から落として制札を根元からボキッと折ってしまった、というのです。 その車力は、真面目一方でこれまで事故一つ起こしたことがなかったから、よりによってという感じでした。 制札といえば幕府からのお達しを、家臣たちに伝える厳粛な命令書です。 その制札を折っ

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        • 歴史から学べる教養 まとめ
          6本
        • 戦時のお手紙 まとめ
          7本

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          料理番に罪は無し

          老中の酒井忠世は、徳川創業の功臣です。 その忠世が、江戸城から下城しようとした時のことです。 下城する場合、御台所口の前を通るのですが、そこでバッタリと料理番の下役たちと顔を合わせました。 下役たちは、相手が老中だから慌てて平伏しましたが、その拍子に袖口から 何かが飛びだし、それが廊下に落ちました。 見れば魚の切り身です。 下役は顔を真っ赤にして、慌ててそれを後ろに引っ込めましたが、忠世は素知らぬ顔をして通り過ぎました。 それを見て供侍が口を尖らせて言いました。 「誠に

          料理番に罪は無し

          海軍少佐 都所 静世

          回天特別攻撃隊 昭和20年1月12日 ウルシー海域にて戦死 群馬県吾妻郡原町出身 21歳 蒸し風呂の中に居るようで、何をやるのも億劫なのですけれど、優しい姉上様のお姿を偲びつつ最後にもう一度筆を執ります。 三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消え行く故国の山々へ最後の決別をした時、真に感慨無量でした。 日本の国というものが、これほど神々しく見えたことはありませんでした。 神州断じて護らざるべからずの感を一入深くしました。 姉上様の面影がちらっと脳裏をかすめ、も

          海軍少佐 都所 静世

          海軍飛行特務少尉 岸田 清次郎

          昭和17年5月8日 珊瑚海にて戦死 甲飛三期生 滋賀県出身 19歳 拝啓 内地は、桜の候も、早や終った頃でしょう。 戦争中のこと故、花見どころではなかったでしょう。 小生このたび、また灼熱の赤道直下に暑さをおして御奉公致しております。 今度は海の上ばかりですが、南国の生活も、また情緒的です。 朝夕はやはり涼しく、海の水は澄み渡り、夜ともなれば南十字星が、さんとして水平線の彼方に輝いています。 思いに耽ると、故郷の山河が瞼に浮かびます。 町の様子は如何に、わが父母は如何に

          海軍飛行特務少尉 岸田 清次郎

          抗えぬ悲運に従う

          平知盛は、平氏の総帥・平清盛の四男です。 清盛が病没してのち、平氏の大将として必死になって源氏と戦ったのですが、時の勢いはどうすることもできず、遂に源氏に敗れて都落ちすることになりました。 その都落ちする時のお話です。 平知盛は、多くの部下とともに都をあとにして西に向かったのですが、その途中で偶々大番役(宮廷の警固を務める地方武士)と出会いました。 都落ちの途中とは言っても、平氏の兵にしてみれば、大番役は一応敵です。 そしてこちらは集団です。 兵たちは「斬り捨てましょう」

          抗えぬ悲運に従う

          陸軍大尉 川合 四郎

          昭和20年6月16日 沖縄にて戦死 東京都出身 36歳 お手紙ありがとう。 東京も梅雨がもう少しであけるそうですが、防空壕の中に水がたまってさぞ困るでしょう。 防空壕の上の木にもやがて蝉がみんみん鳴くことでしょう。 こうして手紙をかきながら眼をつぶりますと、そのときの光景が見えるようです。 もう今頃は一学期も終わりに近づいて水泳のできる頃になりましたが、お父さんが居れば多摩川へでも行って泳ぎを教えてあげるのですが、満洲にいてはそれもできず残念ですね。 お手紙を見ています

          陸軍大尉 川合 四郎

          母から学んだ武士の情け

          山中鹿之介は、戦国時代も終わりに近づいた頃、中国地方で毛利元就と死闘を繰り返していた尼子家の家臣です。 結局、尼子家は毛利元就に滅ぼされてしまうのですが、その滅ぼされた尼子家の再興に奔走、苦闘したのが山中鹿之介です。 その山中鹿之介が、まだ少年だった頃のお話です。 鹿之介の母は、幼い息子の鹿之介が仲間たちと戦ごっこをしている様子を見て激しく怒りました。 「戦ごっこをするのはよろしい。でも、仲間たちを尼子方と敵方に分けたのは、何故ですか!」 「・・・・・・」 「お前は、尼

          母から学んだ武士の情け

          陸軍兵長 的場 裕

          昭和18年8月6日 ソロモン諸島コロンバカラ島 西北方約100キロメートル海上にて戦死 香川県 綾歌郡 綾川町 陶 出身 29歳 こくみんがくかうの いちねんせい げんきで べんきやう するんだよ みなみのうみは きれいです さんごのはやしが きれいだよ こかげは すずしいよ つばめが すいすい とんでゆく よしこが がくかうへ ゆくころは つばめが ないちへ かへるだろ ちいさい のぶこや たかよしと なかよく あそんで やるんだよ よしこさんへ

          陸軍兵長 的場 裕

          粗相を許して、命を尊ぶ

          加藤嘉明は、豊臣秀吉に仕え「賤ヶ岳の合戦」では勝利の立役者となった七本槍の一人として活躍しました。 秀吉の死後、石田三成と対立して徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦では東軍に加わって大活躍。 その軍功により伊予国(愛媛県)の松山20万石を与えられ、のちに会津(福島県)40万石の大大名となった人物です。 その嘉明が若い頃のお話です。 嘉明は、合戦の時を考えて倹約に励み、金銀を蓄えていました。 合戦となれば戦費が必要です。 金銀ばかりではなく、南京の陶器を好み、蒐集し秘蔵していまし

          粗相を許して、命を尊ぶ

          海軍大尉 植村 真久

          神風特別攻撃隊 大和隊 昭和19年10月26日 フィリピン沖にて戦死 東京都 出身 25歳 愛児に宛てた手紙 素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。 私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。 素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。 素子という名前は私がつけたのです。 素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです

          海軍大尉 植村 真久