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ハナノハナシナノ

なんか、最近「鼻」づいていてました。申し訳ありません。
流石にもう「鼻」いいだろて事で、この辺で「鼻」の話しは無しにして、纏わる作品リコメンドして終わりにしようと思います。
てことで、お暇な方はお付き合いください。はい~。

てことで「鼻」ね。
「ああ、あれね」て思い浮かんでる方多いと思うんですけど、多分それじゃないんで。残念した。
だって、あれでしょ、どうせ、芥川龍之介の「鼻」でしょ?
違うんで。見当違いね、それ。こないだ「侏儒の言葉」取り上げて、それに芥川龍之介で読み返すのは専ら晩年のものなんで、王朝物はあんまり、て感じです、私の場合。

私がここでリコメンドしたいのは、アレです。
ゴーゴリ―の「鼻」。
それもニコライ・ゴーゴリ著、平井肇訳の「鼻」。
これ。これ一択。
コレの何が良いて「候文」なんだよ。
勿論、話自体面白くていいんだけど、個人的に凄いツボなのがこの「候文」の箇所。

まず私、部類の候文好きなんで。
夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が松山の学校を辞するてんで辞表提出しますが、それ候文なんですよ。そこばっか読みますから、馬鹿みたいに。馬鹿なんですけど。そのくらい「候文」好き。

このゴーゴリ―の「鼻」てお話ご存じない方のために少しだけ説明します。
てんやわんや御座いまして「主人公」が「佐官夫人」に手紙書きます。
その手紙が平井先生によって「候文」で訳されているんです。
私は、ココ読みたいが為に何度も読み返すから。何ならココだけ読む。そんくらい好き。最高。平井肇先生訳「鼻」の醍醐味とさえ思ってます。
こうなると、もう、ゴーゴリ―の「鼻」読んでるのか平井肇の「鼻」読んでるのかて言う話だけど、勿論後者。私長谷川何某じゃないんで、ロシア語なんて原文で読めないし。そうなると最早私にとっての「鼻」とは平井肇先生のこの「鼻」なんだわ。はい。

兎に角ね、「候文」好きなら絶対に読んでいただきたいし、「候文」なんか知らねえて言う方にも、猛烈にリコメンドしたい。
この「候文」何しろテンポいい、読みやすい、なんならちょっとカッコイイ。兎に角最高だから。
繰り返しますが、話自体も最高です。
ゴーゴリ―最高。平井肇最高。

今現在幸運なことに「青空」でも読めるんで、是非読んでみて欲しい。そして「候文」の沼に嵌まれ。

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