#エッセイ
「編集者」になるのに10年かかった話
「風、あったかくなってきたなー!」
この風、めっちゃいいな。
サブスクにして売ってくれたら月額980円くらい払うんだけどな。
なんて春の風を楽しみながら駅まで歩き、改札を抜け、すぐに来た電車に乗って、つり革をつかんで。
ふと目の前に座ってる人のスマホを見たら、その人。
私が書いたnoteを読んでいた。
「ぴょ!?」って思った。
変な声出そうになった。
読んでいたのはロングヘアの若い女性だ
私が「つまらなそう」と思っていた父の仕事
私は昔、父の仕事が不思議だった。
というよりも、正直今思い返すと恥ずかしい限りなのだが、はっきり言って「面白くなさそうな仕事だな」と思っていた。
父は地方公務員で町の役場勤めだった。
役所の仕事をよくもわかってもいない癖に私はなんとなく、その仕事は誰にでもできる簡単なものだと勝手に思い込んでいたのだ。
簡単というか、決められた仕事をこなすような作業ばかりだと想像していた。
私が私としてこの世に
「お兄さん、俺、プロになりたい」夢を抱いた少年に背中を見せた2年間と、意外な展開
大学1、2年生の2年間、近所の小学校で毎週末サッカーを教えていた。といっても、コーチという立場ではない。
当時、ぼくは暇があれば小学校のグラウンドへ行って、壁に向かってひとりでシュート練習をしていた。
いつものように練習に打ち込んでいたある日、サッカーチームの保護者の男性から、「良かったらお兄さんも、一緒にゲームに混じりませんか?」と誘われたのが、その少年たちとサッカーをするようになったきっか
外国でいいプレーをするには、その国の言葉が話せないといけないのか。
自分がブラジルと
コスタリカでプレーしたことで
より考えるようになったであろう問いがあります。
「 外国でいいプレーをするには
その国の言葉が話せないといけないのか? 」
これまでは漠然としか考えていなかったので
答えもとても曖昧なものだったのですが
ここ最近とてもスッキリと答えが見えたのです。
2つのきっかけがありました。
ひとつは
8月末に放送された『 FOOT×BRAIN 』。
もしもきみが騙されて、お金を奪われたとするならば
寝たいだけ寝られるのは回復能力がある証拠なので、眠くなくなるまで寝よう。お昼前はセミがうるさくてかなわんから、イヤフォンをしてゴロゴロしよう。日が照りすぎていて暑いから、暮れるまでゆっくりしていよう。夜くらいはちょっとご飯を作るのを頑張ってみよう。ツイッターやメールの通知を見てしまうから、みんなが寝静まる深夜まで作業するのは待とう。
そんなことを繰り返していたら、月末までの原稿が東名高速上り海老
僕がサッカークラブを創った理由
プロになるという夢を叶えられずに大学卒業以来
サッカーと離れてもう6年が経っていました。
一度は諦めたサッカーで生きていくという道。
プレーすることからは離れていましたがサッカーが好きという想いに変わりはなくJリーグや日本代表戦など、観戦はよくしていました。
その中で離れた時期があるからこそ再認識出来たこともありました。
サッカーが好きという抽象的なものではなく、どんなサッカーが好きなのか
近況報告-何かが起こるきっかけを作り続ける日々-
Jリーグが再開し、週に2回のペースで試合が行われるようになると、なかなか試合以外のことを書く気になれず、サッカーのことばかり書いていました。
他のテーマを書こうにも、読書する回数も減ったので、インプットも減っています。リハビリを兼ねて、6月までは週報を書いて状況を報告していたのですが、7月以降は書けていないので、7月以降の出来事を思い出せる範囲で書いてみようと思います。
noteサークルを月に